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研究紹介

薬害のない未来を
肝炎九州訴訟判決を前に


薬害のない未来を:肝炎九州訴訟判決を前に/上 夢も妻も奪われ

 危険な血液製剤を放置した国と製薬会社の責任を問う「薬害C型肝炎訴訟」の全国2番目の判決が30日、福岡地裁で言い渡される。スモン、HIV、ヤコブ病 など、繰り返されてきた薬による健康被害。肝炎にさせられた患者全員の救済と薬害のない未来を願い闘ってきた九州訴訟原告の思いを追った。

 ◇「人生のスタートラインに立ちたい」
 大学中退、就職差別、恋人との出会い、結婚、離婚。長崎県佐世保市の「原告番号13」の男性(23)はこの5年、C型肝炎に翻ろうされ続けた。
 01年、大学1年の夏だった。中学2年の時から理由を知らされず通っていた血液検査。病院に向かう途中、母に聞いた。「僕、病気なの?」。母はしばらく黙った 後、C型肝炎の感染を告げ「がんになって死ぬかもしれない」と言った。
 友人に話せず、ふさぎこむ毎日。そんな時、アルバイト先で出会った同い年の女性を好きになり、感染を打ち明けた。ありのままを受け入れてくれた彼女は、 かけがえのない存在になった。
 大学を中退し、04年9月に結婚。親類の経営する土建会社で働いた。税理士になるのが目標で、経理の仕事を探していたが、感染の事実を書いた履歴書を送って 採用してくれる企業はなかった。アパートを借り、歌手を夢見た妻とカラオケによく行った。
 結婚8カ月目に妻が持病のぜんそくを悪化させ入院。妻の母親から「実家に引き取る。あなたの病気が進行したら、生活は成り立たないでしょう?」と告げられた。 反論できず、離婚届に判を押した。
 判決を待つ九州訴訟の原告18人のうち、20代は5人。うち彼を含む4人は、出生時に止血剤として、薬害エイズの原因にもなった「クリスマシン」を投与され感染 した。多くの若い命をエイズで死に至らしめた血液製剤が、ここでも若者たちの未来を奪う。
 今年2月の意見陳述で証言台に立ち、裁判長に訴えた。「彼女にもう一度、一緒にいてほしいと言える自信が持てるような判決を下さい」
 しかし、6月の大阪地裁判決は「薬の有用性は否定できなかった」との理由で、クリスマシンで感染した原告の訴えを退けた。再び連絡を取り合うようになった彼女は 言った。「裁判、勝てないっちゃろ。決着が付くまで何年も待てないよ」
 裁判で何が変わるか、分からない。それでも彼女に「勝ったよ」と言いに行きたい。「それでやっと、人生のスタートラインに立てると思うから」【清水健二】

毎日新聞 2006年8月24日 東京夕刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/archive/news/2006/08/20060824dde041100021000c.html



薬害のない未来を:肝炎九州訴訟判決を前に/中 非情な「線引き」

 ◇「長く患うほど不利になるなんて」
 テレビに流れる「勝訴」の速報。福岡市内の法律事務所で、大阪地裁判決が出るのを待っていた九州訴訟原告の小林邦丘(くにたか)さん(34)=福岡県福津市=は、 感涙にむせぶ全国原告団代表の山口美智子さん(50)=福岡市=と笑顔で握手した。実際は「一部勝訴」。その直後、84年に感染した自分は救済されない側だと知り、 ショックを受けた。「感染時期で線引きされるなんて、考えていなかった」
 大阪判決は国と企業の責任を認定したが、その時期を企業は85年8月以降、国は87年4月以降に限定した。感染時期で原告の勝ち負けが分かれたのは、日本の薬害 裁判で初めてのことだった。「同じ被害なのに、どうして差がつくのか」。小林さんの思いは、全国96人の原告全員に共通する。
 「原告番号16」として匿名で訴訟に参加した福岡県田川市の女性(46)も、大阪判決に当てはめれば敗訴する一人だ。81年、長男の出産で血液製剤「フィブリノ ゲン」を投与された。その後は、少し動いただけで目が回ったり微熱が出るようになった。
 91年にC型肝炎の感染が分かる。家族にうつさないようにと、一人だけ別の歯磨き粉を使った。危険がないのに、風呂も最後に入った。「長く苦しんだ人ほど不利に なるなんて、納得できない」。弁護士に怒りを吐き出そうとしたが、悔し涙で言葉にならなかった。
 製造承認時(64年)の試験データのずさんさなど、大阪判決は87年以前の国の対応も批判した。にもかかわらず、違法性を認めなかったのは「感染の危険性やC型 肝炎の病態が当時は未解明だった」と判断したからだ。
 骨髄の病気の手術で感染、26歳の時の献血でそれを知った小林さんは、プロゴルファーの夢をあきらめ、恋人とも別れた。実名公表後は、各地の訴訟に足を運んだ。 握手を交わした5カ月後に他界した人もいた。ある原告の家族は「切り捨てられるなら裁判をやめたい」と声を落とした。
 同じ被害者として、小林さんは「長く患い、症状の重い人こそ救わなければ意味はない」と強く思う。肝硬変や肝がんの重症患者は、将来の自分の姿かもしれない。 「全員の救済が未来を取り戻す道につながる」と信じている。【清水健二、木下武】

毎日新聞 2006年8月25日 東京夕刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/archive/news/2006/08/20060825dde041100019000c.html



薬害のない未来を:肝炎九州訴訟判決を前に/下 逃げる「産・官・医」

 ◇「この苦しみ、いったい誰が」
 熊本県に住む原告8番の女性(57)にとって、「2度目の死刑宣告」だった。昨春、医師から「インターフェロン治療はもうできない」と告げられた。4年前は リウマチ症状が出て中止した。再開は副作用の危険がありすぎるという。「一生治らないんだ」。今も絶望で眠れない夜がある。
 80年の長男出産後に体調が急変し、赤ん坊を抱く力も入らなくなった。入院40日。家事がこなせず、不満を募らせる夫と6年後に離婚した。血液製剤「フィブリノ ゲン」の投与で肝炎感染が分かったのは、それから10年以上たっていた。
 裁判で国側の主張に耳を疑った。「慢性肝炎の多くは無症状。原告らの訴える倦怠(けんたい)感などは別の原因ではないか」。ではこの苦しみは何なのか。国の肝炎 患者への姿勢こそが、誤解や偏見を生んでいる気がしてならない。
 87年の出産時に感染した熊本市の出田(いでた)妙子さん(48)は「出血が止まって命が助かったんだから、感染も仕方ない」と考えていた。だが04年11月、 国側証人に立った産科血液学の権威とされる医師の発言に、裏切られた思いがした。
 原告側弁護士「75年以降、フィブリノゲンがなければ救命できなかった症例は一例も出てない」
 医師「珍しいことに限って発表してる」
 弁護士「(製剤投与効果を調べる)数値を測っていないということか」
 医師「出てきた血液を見れば(効果は)分かる」
 実は4年前、厚生労働省はこの医師らの働き掛けで学会がまとめた「フィブリノゲンは必要」との意見を、「製薬会社に協力する一部の医師だけ」と結論付けていた。 6月の大阪地裁判決は「かつて自らが排斥した医師の見解を、立場を覆して援用している」と、国の変節ぶりを批判した。
 科学的な根拠を示せない医師に、反論のためになりふり構わぬ国。薬害エイズ事件で露呈した「産・官・医の癒着」が見え隠れする。
 24日、出田さんは東京の「薬害根絶デー」に初めて参加した。厚労省の敷地に建つ「誓いの碑」には「医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう最善の 努力を重ねていく」と刻まれている。だが出田さんの表情は沈んでいた。「国は何を言っても『検討します』ばかり。官僚には切羽詰まった問題じゃないんですね」 【清水健二】

毎日新聞 2006年8月26日 東京夕刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/archive/news/2006/08/20060826dde041100053000c.html


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