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研究紹介

薬害HIV訴訟 和解10年


■ 薬害エイズ事件 HIV訴訟原告、「死にたい」1割 半数「差別感じる」 支援組織、256人調査
 非加熱血液製剤で感染したHIV(エイズウイルス)訴訟の原告の48%が現在も「2、3年先について考えられない」と思い、約1割が「死んでしまいたい、死んでも いい」と強く感じていることが、支援組織などの実態調査で分かった。何気ない会話やマスコミ報道に偏見や差別感、不安感を感じている人も48%に上る。HIV訴訟が 和解して10年を経た現在も被害の深刻さが改めて浮き彫りになった。
 支援組織「はばたき福祉事業団」と大阪HIV訴訟原告団、研究者らが昨年9月、原告の被害患者652人に調査票を 送付し、今年1月末現在、256人が回答。平均年齢は38・2歳で、性別は男性244人、女性9人、無回答3人。今年10月に報告書にまとめる予定。
 調査によると、「死んでしまいたい、死んでもいい」と感じている人が「少し感じる」を合わせて37%に上った。
 HIVによる症状をおおむねコントロールしているとみられる人も多いが、9割近くがHCV(C型肝炎ウイルス)にも感染。うち「慢性肝炎」が55%、「肝硬変」が 10%で、重複感染の深刻さがうかがえる。医療体制への要望では8割超が「HCVへの対応充実」や「血友病への対応」を求めていた。また、ここ1年間で「血友病や HIV感染症であることから、受診を断られた経験」のある人が3人(内科2人、皮膚科1人)もおり、いまだに医療機関に残る差別の実態が明らかになった。
 経済状況をみると、就労率は57%で、今後の経済的不安が「大いにある」は49%だった。配偶者などパートナーがいる人は49%。一度もいない人は全体で25%、 20歳代で35%、30歳代で30%に上る。子どもは「ほしいが、あきらめた」とする人も29%に上った。理由は「相手へのHIV感染のリスクがあるから」が88% を占めた。【玉木達也】

毎日新聞 2006年3月26日 東京朝刊



■ 薬害のない未来を HIV訴訟和解10年 当時の関係者に聞く 走り続けた日々、消えぬ悲しみ、思いめぐらす関係者
 25日開かれた薬害エイズ裁判和解10周年記念集会の会場で、当時の関係者に聞いた。

◇当たり前の人生を――東京HIV訴訟原告団の佐々木秀人代表
 感染から20年たち、身体的にも精神的にも苦しむ原告や、消えることのない悲しみをかかえる遺族を、優しく包み込む社会を一日も早く実現してほしい。被害体験を 語り続ければ、真の救済の答えは見えてくると思っている。最善の治療を受けながら仕事、恋愛、結婚といった人間として当たり前の人生を歩みたい。
◇国はまだ非人道的――東京HIV訴訟弁護団の鈴木利廣弁護士
 記念集会では「薬害エイズが悲惨な被害だったという認識は変わらない」との川崎二郎厚生労働相の談話が紹介された。しかし、国は「損害賠償請求権が消滅した」と 主張して、いまだに裁判で2人の原告との和解に応じておらず、矛盾する。国の姿勢は依然として非人道的であり、理解しがたい。
◇天下りが元凶――当時、厚相だった菅直人民主党元代表
 和解が昨日のことのように思える。この問題は被害者救済だけでなく、原因究明とその責任を明らかにすることが重要だった。厚相のとき、なぜもっと早い段階で、国が 被害を止めることができなかったのかと強く思った。原因の一つは役人の天下りだ。本来は薬の安全性を守らなければならない厚生省の担当局のOBが(加害企業である) 製薬メーカーの当時の社長に天下っており、それが政策に影響しないはずがない。天下りは日本の行政の最大の問題点と思う。
◇C型肝炎も深刻――薬害エイズの被害者で参院議員の家西悟
 あの和解の日は、雨だったのか晴れだったのか、寒かったのか、まったく覚えていない。とにかく必死で走った日々だった。この10年、仲間は徐々に亡くなり減少した が、この数年は状況が変わってきた。エイズよりC型肝炎で亡くなる人が増えてきた。血液製剤の薬害はエイズだけでない。血友病患者の9割はC型肝炎に感染している。 C型肝炎の感染は何の救済もない。多くの被害をもたらしている肝炎感染の実態が、どうして世間に伝わらないのか悔しい。
◇一区切りではない――大阪HIV訴訟原告団の花井十伍代表
 我々の10年の月日は平たんではなかった。ある者は闘病だけで精いっぱい。ある者は病と闘いながら、新たな人生を探してきた。遺族は二度とかえらない愛する者へ の思いを抱きながら過ごしてきた。これで一区切りとは到底思えない。今後も命の尊さを訴えていきたい。命を大事にする社会になれば、このような悲劇は二度と起きない だろう。

■ 川田龍平さんに聞く――命あるうちに 仲間の死、伝えなければ消し去られる 癒着の構造、変わっていない
 「今日まで自分が生きてこられるとは思っていなかった。人命より利益を大切にする考え方を社会が改めない限り、薬害は終わらない」。25日、東京で開かれた「薬害 エイズ裁判和解10周年記念集会」で川田龍平さん(30)は語った。実名を公表し、被害者の先頭に立ち続けてきた。この日は、非常勤講師を務める松本大がある長野県 から駆けつけ、原告団や支援者らと旧交を温めた。
 川田さんの脳裏には、常に10人の仲間がいる。病院の壁の向こうでうめき声を上げ、親族にさえ病名が伏せられたまま逝った仲間たちのことだ。
 95年7月、仲間を訪ねると、病室に医師が集まっていた。「アーアー」とうめき声が聞こえ、見舞いをあきらめた。息を引き取ったのは約1時間後。19歳だった 川田さんは、日記にこう書いた。
 <許せない>
 節目のたびに開かれる記者会見でいつも「仲間が次々と殺された」と語るのはそのためだ。「声を上げなければ、存在ごと消し去られる。語り続けなければならない」
 96年3月29日の和解調印式。川田さんは国や製薬企業に「あなた方が積極的・主体的に真相究明をすること。僕たちが生きるための保障をすること。心から反省し 謝罪をすること。本当に実行するかどうか、一つ一つ見続けたい」と訴えた。
 あれから10年。薬害を生む構造は何一つ変わっていないと感じる。研究費や機材を製薬企業に丸抱えされた大学、族議員への献金……。患者と向き合う医師が現れて きたことも知っているが、ヤコブ病、肝炎、イレッサと薬害は後を絶たない。
 約束だった真相究明も不十分に映る。「特に82〜83年の事実関係が確定していない。どんな証拠があるのかさえ、被害者には分からない。ハンセン病のように国が きちんと検証をしないからだ」
 毎週のように小学校や中学校などを訪ね、エイズや差別について語り続けている。95年3月6日の実名公表からちょうど11年にあたる今月6日も、東京都内で講演 した。「責任をあいまいにし続けるこの国とは何なんだろう。あと何年、生きられるか分からないが、二度と薬害が起こらないよう、できることをできるうちにやりたい」 【小林直、夫彰子】

毎日新聞 2006年3月26日 東京朝刊



■ 薬害エイズ事件 HIV訴訟和解10年 薬害根絶へ、思い新た――記念集会
 非加熱血液製剤でHIVに感染した血友病患者らが国と製薬会社に賠償を求めた薬害エイズ訴訟が東京・大阪両地裁で和解して29日で10年となる。25日は東京都 千代田区のホテルで記念集会が開かれた。薬害エイズでは約1500人が感染し、提訴者1382人のうち586人がすでに亡くなっている。集会には全国から原告や遺族 ら約200人が参加。仲間の冥福を祈って献花をささげ、薬害根絶への思いを新たにした。
 「薬害エイズ裁判和解10周年記念集会」は東京、大阪の原告団・弁護団が主催。 評論家の柳田邦男さん(69)の記念講演の後、東京HIV訴訟原告団の佐々木秀人代表(48)が、「被害者の生きるための闘いはこれから。被害体験を伝え続けること で、エイズへの差別や偏見の撤廃や、薬害根絶などの課題を解決していきたい」と語った。【川俣享子】

毎日新聞 2006年3月26日 東京朝刊



■ 薬害のない未来を HIV訴訟和解10年 感染者と家族の今
 息子を失った悲しみから立ち直れない母がいる。恋愛をためらったまま青春時代を過ごした人もいる。薬害エイズ訴訟が和解して10年。感染者と家族の今を紹介 する。

◇遺志継ぐ心支えに――再発防止訴えた故・草伏村生さんの母
 東京HIV訴訟に参加し、和解の成立を見届けるように96年10月に44歳で亡くなった草伏村生さん(ペンネーム)は、同年夏に面会謝絶の状態になるまで感染者 が安心して治療を受け、生活できる恒久対策の確立や薬害の再発防止を訴え続けた。それから10年が過ぎた今も、母(76)は家族を失った悲しみから立ち直れないで いる。
 草伏さんは血友病の治療のため82〜84年に非加熱血液製剤を使い、HIVに感染した。当時、大分県の血友病患者団体の事務局長をしていた。仲間の感染を 防げなかったことを悔やみ、県内の患者宅を一軒一軒訪ねて訴訟への参加を呼びかけた。手記「冬の銀河」も出版し、素顔を公表して薬害に巻き込まれた仲間の惨状を 訴えた。
 訴訟や講演にでかけようとする息子の体が心配で、母が泣いて止めることもしばしばだった。弁護士に「息子をさらしものにしないで」と訴えたこともある。それでも 熱意に押され、和解直前の96年2月には体調が悪化した草伏さんに代わって厚生省(当時)前での座り込みに参加した。「大臣交渉を終えて外に出ると、みぞれの中で 待ち続けていた支援者たちが拍手で迎えてくれたことが忘れられない」と振り返る。
 死の直前、53キロあった草伏さんの体重は30キロ台に落ち、免疫力が低下してかかった肺炎などで何度か意識不明になった。それでも、最後まで若い被害者の将来を 心配していたという。
 草伏さんの父も、草伏さんの葬儀であいさつを終えた直後に倒れ、息子の後を追うように96年末に亡くなった。母は家族2人を失ったショックで、一時は歩けないほど 衰弱した。いまだに「活動をやめるように言ったりして息子には悪いことをした」という後悔は消えない。一日のほとんどを仏壇のある部屋で過ごし「この家から引っ越せ ば、気持ちの整理がつくだろうか」と思い悩む。
 心の支えは地元の支援者だ。「HIV薬害訴訟を支える会・大分」は毎年、和解が成立した3月と、草伏さんのお別れの会をした11月に欠かさず集会を開いてきた。 「草伏さんの遺志を継ぐ」を合言葉に、ハンセン病訴訟やC型肝炎訴訟の支援にも活動を広げた。
 26日には大分市で和解から10年を振り返る集会を開く。「これからも、悲しい思い出を持つ人たちが、心を通い合わせる会であってほしい」と母は願っている。 【柳原美砂子】

◇若者の楽観、怖い――恋愛にためらい、将守七十六さん
 「エイズになっても薬があるんでしょ」。テレビの街頭インタビュー。女子高生があっけらかんと話すのを聞くと、がっくりくる。将守七十六(まさもりなそろく)= ペンネーム=さん、大阪府在住の30代。「七十六」は薬害HIV大阪訴訟の原告番号だ。約15年前に感染が分かってから薬漬けの生活を送ってきた。ウイルスに耐性が できると薬を変え、その度に新たな副作用との闘い。今はけん怠感と末しょう神経障害、物を持つとピリピリ手がしびれ、尿にも血が混じる。「HIV薬はたくさんある けど、ウイルスを消すわけじゃない。発症を遅らせるだけ。身を削りながら薬を死ぬまで飲み続けなきゃいけないのに」
 カミングアウトしてマスコミに登場する被害者はパワフルに発言し行動する。結婚したり、恋人がいたり。一見、普通の人と変わらない。「実はそんな人はごく一部。 僕の知っている仲間の大半は引きこもりみたいな生活」。将守さんもコンピューター関係の会社に勤めていたが、体調の悪化で在宅勤務に切り替えた。
 薬の副作用や血友病の出血による関節障害もあって、被害者らの就職は難しい。自宅にこもり、交友関係も広がらない。そんな「地味な薬害エイズの姿」を記録しておき たい。将守さんは今月、「血にまつわる病から生まれたメトセトラ」(文芸社)を出版した。
 「なぁお前、Hってしたことあるか?」「先輩は?」「あるわけねぇだろ」「同じくあるわけないでしょ」。本には将守さんと仲間のやりとりが登場する。青春時代に 感染していた若い被害者たちは、恋愛をためらったまま年齢を重ねる人が多いという。「僕らもいっちょ前に性欲はあるんですよ。この問題は深刻過ぎて、仲間内でもなか なか話題にできない」
 この10年で日本のHIV性感染者は爆発的に増えた。将守さんが通院するエイズのブロック拠点病院は「性感染者は確保されている病床からあふれている」。あまり にもエイズに楽観的な風潮が怖くなる。「性体験もなく死んでいった仲間もいる。生き残っている僕らも必死に性欲を抑えつけて生きている。この悲しい存在からどうして 何も学んでくれないのですか?」【和泉かよ子】

毎日新聞 2006年3月25日 東京朝刊



■ 薬害のない未来を:HIV訴訟和解10年 悪性リンパ腫、白血病…600人が他界 新たな病に直面「モグラたたきだ」
 非加熱製剤でHIV(エイズウイルス)に感染した血友病患者らが、国と製薬会社5社に賠償を求めた「HIV訴訟」が東京・大阪両地裁で和解して29日で10年。 既に約600人が他界した。被害者は悪性リンパ腫、白血病、肝硬変など新たな病に直面し、遺族は救いようのない喪失感にさいなまれている。終わりのない闘いが今も 続いている。
 94年64人、95年63人、96年61人……。薬害エイズによって毎年60人超が死亡していたが、3種類の薬を併用する「カクテル療法」の導入で発症が抑え られ、死者はいったん激減した。ところがその後、非加熱製剤に混入していたHCV(C型肝炎ウイルス)の重複感染による肝疾患での死者が増加してきた。
 カクテル療法で服用する「HIVプロテアーゼ阻害剤」と「逆転写酵素阻害剤」は、継続的な服用が不可欠で、中断すると体内に薬の効かない「耐性ウイルス」が 生じる可能性がある。だが、肝臓への負担は大きく、薬の変更を余儀なくされることもある。体質が合わず、発疹や下痢などの副作用に苦しむ被害者も多い。
 プロテアーゼの服用や肝臓の悪化は出血傾向を高め、血友病特有の出血管理も問題になる。「一方をたたけば別の症状が悪化する。まるでモグラたたき」。被害者の救済 事業を進める「はばたき福祉事業団」の大平勝美理事長(57)は語る。
 最近は悪性リンパ腫や白血病、がんなどを発症する感染者も増えている。投薬やHIVとの関連は不明で、同事業団は厚生労働省に研究班の設置を要望している。
 ストレスも問題だ。HIV感染が告知されるようになって20年になるが、この間、被害者のほとんどは実名を公表せず、社会との間に壁を築きながら生活してきた。 30代の男性は「正社員としての就職や恋愛、結婚も難しい。腹を割って他人と話す機会も少ない。カウンセリングを受けても問題は解決しない」と語る。【小林直】

毎日新聞 2006年3月24日 東京朝刊



■ 薬害のない未来を HIV訴訟和解10年 遺族の半数超、うつ 係争中の被害者は4人
 血友病など血液凝固異常症患者を対象にした全国調査(厚生労働省委託事業)によると、04年5月末現在、HIV感染者は計1428人。うち577人がエイズを発症 するなどして他界した。「はばたき福祉事業団」によると、凝固異常症以外も加えた死者数は586人(1月19日現在) だが、この数字は民事訴訟の提訴者に限ったもので、死者総数は約600人と推定される。
 「患者は病院に来るからカウンセリングなどの対処が可能だ。しかし、遺族は音信が途絶えるなど対応が難しい」。和解後に治療向上のため設立された「エイズ治療・ 研究開発センター」(ACC、東京都新宿区)の関係者は頭を悩ませる。
 東大の研究者やHIV訴訟の原告・弁護団などが共同実施した実態調査(02年10月公表)によると、遺族の半数以上がうつ傾向にあり、約3分の1は面接調査の 途中で泣き出すなど、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負っているとされる。

◇1378人が和解
 89年に提訴した原告・弁護団の地道な訴訟活動に加え、若い支援者らが中心となって厚生労働省を囲んだ「人間のくさり」(95年7月)、厳寒の中で行われた座り 込み(96年2月)など運動の高まりが96年2月16日、菅直人厚相(当時)の謝罪を引き出し、96年3月29日の和解に結実した。
 和解が成立したのは東京地裁の47人と大阪地裁の71人。1人当たり4500万円の和解金を支払い、発症者にはさらに月15万円の介護手当を支払う内容で、同時 に交わした確認書には(1)厚生大臣と製薬会社は悲惨な被害を拡大させたことについて重大な責任を深く自覚、衷心よりおわびする(2)厚生大臣はサリドマイド、キノ ホルムの和解で「薬害の再発防止に最善の努力をする」と確約しながら、再び悲惨な被害を発生させたことを深く反省し、薬害再発防止に最善、最大の努力を重ねることを 確約する−−と記載された。
 これまでの和解者総数は1378人。現在もなお東京地裁で3人、大阪地裁で1人が係争中で、東京地裁のケースでは、国は「被害者は投薬から20年と4日経過して から提訴しているから、損害賠償請求権が消滅している」と主張。被害者側は「感染を知ってから4カ月しかたっておらず、国の主張はあまりにもひどい」と反発を強めて おり、行方が注目される。

◇5人逮捕・起訴
 産・官・学(医)の癒着が生んだ薬害エイズは、東京・大阪両地検による強制捜査に発展。安部英・元帝京大副学長(死亡)、元厚生省生物製剤課長の松村明仁 被告(64)、旧ミドリ十字の松下廉蔵元社長(85)▽須山忠和元社長(78)▽川野武彦元社長(死亡)の5人が業務上過失致死容疑で逮捕・起訴された。
 押収された安部元副学長の日記から「(加熱製剤の開発で先行していた製薬企業の)トラベノール来り。金を収めないことを言う、絶対に優位は与えない」(83年 11月)との記載が見つかったことなど、刑事手続きならではの真相解明が進んだ。
 ただ、元副学長に対する東京地裁判決(01年3月)は「(患者死亡の)予見可能性は低く、元副学長だけに過失を認めることは出来ない」として無罪を言い渡した。 検察側は控訴したが2審公判中の04年2月、心神喪失で公判停止となり、元副学長は05年4月に死亡した。
 松村被告に対する1、2審判決も、元副学長と同じ患者への85年の投与に関する部分は無罪とする一方、86年の投与について「非加熱製剤を回収する注意義務を 怠った」と官僚の不作為(怠慢)を初めて有罪認定した(上告中)。
 一方、松下、須山の両元社長は最高裁で上告が棄却され、実刑が確定。川野元社長も1審で実刑判決を受け、2審の途中で死亡した。【小林直】


◇薬害エイズの主な経緯◇
 <1982年>
  7月16日 米国立防疫センター(CDC)が血友病患者の感染者3例報告
 <83年>
  3月 4日 CDCが「血友病患者の感染は血液製剤が原因とみられる」と警告
  3月21日 米で加熱製剤認可
  6月13日 厚生省(当時)エイズ研究班(班長は安部英・元帝京大副学長)発足
  7月 5日 帝京大病院で血友病患者がエイズで死亡
    18日 エイズ研究班が帝京大の血友病死亡者のエイズ認定見送り
 <84年>
  7月16日 松村明仁・元課長が厚生省生物製剤課長に就任(〜86年6月30日)
  9月 6日 安部元副学長が米国のギャロ博士に依頼した血友病患者のHIV抗体検査で、48人中23人が陽性と判明
 <85年>
  3月22日 厚生省が男性同性愛者を日本初のエイズ患者と認定。原因は性的感染
  5〜6月  帝京大病院で血友病患者に非加熱製剤を投与(松村元課長と安部元副学長の起訴事実。91年12月死亡)
  5月30日 厚生省が83年の帝京大症例を含む血友病患者3人をエイズと認定
  7月 1日 厚生省が製薬5社の加熱第8因子製剤を承認。非加熱製剤の回収は指示せず
 12月    厚生省が加熱第9因子製剤の製造承認を始める
 <86年>
  4月    大阪の病院で肝臓病患者に非加熱製剤を投与(松村元課長と旧ミドリ十字歴代3社長の起訴事実。95年12月死亡)
 <89年>
  5月 8日 大阪HIV訴訟の提訴(原告2人)
 10月27日 東京HIV訴訟の提訴(原告14人)
 <95年>
  3月27日 東京地裁で4次提訴分までが結審
  7月24日 厚生省を囲む「3500人、人間のくさり」
  7月26日 大阪地裁で10次提訴分までが結審
  8月11日 森井忠良厚相(当時)が「和解も検討」と発言
 10月 6日 東京、大阪両地裁が和解勧告・所見
 <96年>
  2月14日 原告被害者、厚生省前に座り込み(〜16日)
  2月16日 菅直人厚相(当時)が国の責任を認めて謝罪
  3月29日 東京・大阪両地裁でHIV訴訟の和解成立
  8月29日 東京地検が安部元副学長を業務上過失致死容疑で逮捕
  9月19日 大阪地検が旧ミドリ十字の松下廉蔵元社長ら歴代3社長を逮捕
 10月 4日 東京地検が松村元課長を逮捕
 <97年>
  3月10日 安部元副学長が初公判で無罪を主張
    12日 松村元課長が初公判で無罪を主張
    24日 旧ミドリ十字歴代3社長が初公判で起訴事実認める
 <2000年>
  2月24日 大阪地裁が旧ミドリ十字歴代3社長に実刑判決
 <01年>
  3月28日 東京地裁が安部元副学長に無罪判決
  9月28日 東京地裁が松村元課長に有罪判決(一部無罪)
 <02年>
  8月21日 大阪高裁が旧ミドリ十字歴代2社長に実刑判決(1人死亡)
 <04年>
  2月23日 東京高裁が心神喪失により安部元副学長の公判を停止
 <05年>
  3月25日 東京高裁が松村元課長に有罪判決(一部無罪維持)
  4月14日 東京高裁が安部元副学長について「無罪とすべき明らかな場合に当たらない」と異例の所見
  4月25日 安部元副学長が死亡
  6月27日 最高裁が旧ミドリ十字歴代2社長の上告棄却決定

毎日新聞 2006年3月24日 東京朝刊


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