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研究紹介

知らないでいる権利/知らない自由
( right not to know / freedom not to know? )


■ 知らないでいる権利 ( right not to know )
武藤香織 2004 「『知らないでいる権利』を行使するために」 『科学』74巻5号

 当事者であるウェクスラーが証言したことから、「知らないでいる権利」は急速に普及した。
 しかし、「知らないでいる権利」を行使できるのは、遺伝性疾患になるかもしれないリスクが存在することを知っている人である。いつ誰がどうやって知らせるか、 ということは、その事実を知る者、特に親にとっては、とてつもなく大きな悩みである。

 つまり、私たちは、疾病に罹患する確率についての情報の読み解き能力(リテラシー)や同意・不同意能力を高める必要に迫られており、なおかつメタレベルで (あるいは、時にあからさまに)健康を目指すような行動を期待されているのである。
 「病気になる確率情報なんて知らなくてもいい!」と言い放って生きる権利は、果たしてあるのだろうか?


◇Wexler, Alice 1995 MAPPING FATE A Memoir of Family, Risk, and Genetic Research University of California
 アリス・ウェクスラー 武藤香織・額賀淑郎 訳 20030925  『ウェクスラー家の選択 遺伝子診断と向き合った家族』 361p. 2600+税 新潮社

 当面の成果は発症前診断の過程を簡素化できたことだ。いまや、発病リスクのある人は、望みさえすれば、検査を受けることができる。費用もかなりや安く、単純な 血液検査と同程度である。だが、私たちは検査に対する注意を促していくのだろうか? 検査が可能ということが即検査を強制することにならないように保証できるの だろうか? 検査を受けないという決心が法的な選択として守られ、検査を受けないことで勇気がないとか、「タイム」誌が書いたように「無知でいたい」欲求などと 言われずにすむのであろうか?

 しかし一方で、別の人たちにとっては、検査を受けないということが、理性的で現実的な選択なのだ。マスメディアにときどき煽られるように、真実や事実から 逃げているのでもなく、勇気がないわけでも、責任逃れや「無知でいること」を選んだわけでもなく、「自我の強さ」に欠けているのでもない。



■ 知らない自由 ( freedom not to know? )
◇草田央 2001 「感染を知らない自由の尊重が必要だ」  LAPニュースレター第32号

 つまり、何も早期発見・早期治療が必ず本人のためになるとは言えないという事実だ。自分の感染を知らない自由も、その結果としてエイズで死んでしまう自由も 尊重されなければならない。そして、そうした多様な価値観を認めず「HIV抗体検査を受けましょう」などという価値観の押し付けは、決して「感染者のため」など というものではなく、必然的に社会防衛的色彩を帯びるということを自覚しなければならない。何も一概に社会防衛論がいけないとは私は考えないが、そこに 「感染者のため」などというとってつけた理由を掲げることは大いなる矛盾であるし、欺瞞であり偽善でしか過ぎない。

cf. LAP
cf. AIDS SCANDAL



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