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研究紹介

出生前診断


■ 特集「命は選べるか 出生前診断」読売新聞
http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/inochi/index.htm

(1)見えてしまう「不安」

◇障害? 超音波画像に困惑
 妊婦のだれもが受ける胎児の超音波検査。「わが子の最初のスナップ写真」ともいわれるが、その技術の進展が、医療現場に困惑をもたらしている。画像が鮮明になり、 ある部位の特徴が、ダウン症など染色体異常と関連することがわかってきたのだ。「見えてしまった可能性」を知らせるべきか、医師は悩む。妊婦も自分はどこまで 知るべきか、いやおうなく選択を迫られるようになった。


 診察台のカーテンの向こうで、医師が何度も首をかしげた。「ええっ」「おっ」という声が聞こえた。
 大阪府に住む女性(33)は昨年一月、喜びの絶頂から不安に突き落とされた。不妊治療を重ね、三度目の体外受精でやっと妊娠。三か月目の検診で民間病院へ出向いた 時のことだ。
 別室へ通され、女性医師はいきなりこう告げた。「大学病院に紹介状を書きますから」。超音波の写真を見せて「ここんとこですよ」と説明する。素人目には何も わからない。しかし医師は「気になる」「ダウン症か心臓疾患があるかも」と言い、その場で大学へ電話して受診日まで決めた。
 ルンルン気分は消し飛んだ。追いかけて来た看護師が「確実ではないからね。深刻な顔したらあかんよ」と肩をたたいてくれた。
 実際、超音波でわかる確度は高くない。問題の部位の研究は約五年前から主に英国で進んだが、本当に染色体異常である率は英国のデータで21―64%、米国の 研究ではもっと低い。日本人の場合にどうかは不明で、一、二週間で消えることもある。
 大学病院では「五か月ぐらいになれば、羊水検査で確定診断できる」と教えられた。この話は親には内証にしようと夫婦で決め、民間病院にもそう頼んだ。が、その 病院の別の医師は実母にすべて話してしまった。
 「今なら堕(お)ろせる。苦労は目に見えてる」と母に電話で泣かれた。「どんな子でも産みたい。何回も体外受精してうまく行かず、この子だけがしがみついて くれたんよ」と訴えた。思いつめ、どん底の気分で羊水検査の結果を待った。
 二か月後の結論は「97%異常なし」。八月には大学病院で待望の娘を出産した。「大丈夫やよ」と担当医から言われ、涙があふれた。結局は無用の心配だったのだ。
 「気づいたことは言ってほしいが、配慮がなさすぎる。一回言われたら気になるのが人間。産むと決めても、羊水検査をしないと出産まで不安を抱えたままだった」と 女性は語る。


 近年の医学でめざましい進歩を遂げた領域の一つが画像診断だ。超音波診断もデジタル化、ノイズ除去などで画像が格段に見やすくなり、最近は立体映像の装置も 登場した。普及率は日本が世界のトップ。とりわけ産科診療は、もはや超音波なしでは成り立たない。
 それだけに、医師たちの戸惑いも大きい。
 「こんなの発見したやつは何を考えてるんだ。すべての産科医が出生前診断に巻き込まれるじゃないか」
 今年一月、京都民医連中央病院(京都市)の倫理委員会で、産婦人科の男性医師はそうこぼし、どう対処すべきか、提言を求めた。
 同病院では、障害者の存在否定につながるとして、中絶を視野に入れた出生前診断は避けている。だが血液や羊水の検査と違い、超音波は、見ようとしなくても、 その部位が見えてしまうことがある。
 親に伝えたら、羊水検査を経て中絶する人が出る。不安も与える。でも伝えないと障害児が生まれた時に「なぜ教えなかったか」と訴えられるかも知れない。
 「見えた」ケースは半年間に四例あった。一人目は別の病院の羊水検査で正常と判明。二人目は他院ですぐ中絶、胎児に異常はあった。三人目は「それも覚悟の妊娠 だから」と検査は受けずに出産を待っている。四人目は別の病院の再検査で正常だった。
 「わかった情報は患者に伝えるべき」「知りたくない権利も大切だ」「この件は伝えないと説明したら、かえって妊婦に知識を広め、中絶を増やすのでは」
 多くのジレンマに倫理委の議論は難航したが、ようやく「積極的には伝えない。それを初診時に文書で具体的に説明する」という方向でまとまりつつある。
 だが問題の部位を積極的に観察し、親に伝えている医療機関もある。それは事実上、障害児の出生の広範な事前排除につながるが、関係学会では、対応指針の検討さえ 行われていない。


 今年二月、神戸市の医師による着床前診断の独断実施が判明した。だが「命の選別」をどう考えるかは、水面下で広がる妊娠中の出生前診断、そして中絶の問題を 抜きに論議できない。現状を取材した。

胎児の先天異常検査
 母親の血液から主に3種類の物質を検出する「母体血清マーカー検査」が簡便だが精度は低い。確定には子宮に針を刺し胎児の細胞を採る羊水検査や絨毛(じゅうもう) 検査が必要で流産などリスクも伴う。

関連写真
おなかの赤ちゃんの超音波画像。妊婦も医師もあまり構えずに検査するが、ある部位の特徴から染色体異常の可能性がわかってしまう。

(2004年6月20日)



(2)「産めない」水面下の選択

◇障害理由の中絶 存在認めぬ国・学会
 「羊水検査は私にとって、『must』(ぜひとも必要)だったんです」。大阪市内の会社に勤める美和子さん(仮名)は四十五歳で妊娠した時のことを振り返って 言う。
 「おなかの子は天から授けられた存在」という思いは強かった。二人目のためなら、長年勤めて要職についた会社を辞める覚悟も決めていた。
 だが高齢出産、とくに四十歳前後から、染色体異常の率が上がることも知っていた。その中でも多いダウン症の場合、子供は五十歳ぐらいまで生きられると医師に 教えられ、一つの計算を始めた。
 「子供が五十歳になった時、私は九十五歳。長女が面倒を見るのか。そんな責任を彼女に押しつけられるのか……」
 そう考えた時、何も調べずに出産は待てなかった。「絶対大丈夫」と信じて検査を受けた。しかし診断結果は「ダウン症」。美和子さんは「仕方がないのだ」と自分に 言い聞かせ、中絶を選択した。涙が止まらなかった。
 ただ、ダウン症の子供を不幸と考える人ばかりではない。明るい性格の我が子の育児を楽しみ、成長過程の写真をホームページで公開している人もいる。


 厚生労働省研究班は医療機関や検査会社へのアンケートから、二〇〇〇年度に一万六百件余りの羊水検査が行われたと推計した。この検査での染色体異常の発見率は 2%程度とされ、二百―三百人が異常を告知された計算になる。
 そうした出生前診断から行われる中絶を「選択的人工妊娠中絶」と呼ぶが、どの程度の数かは、全くの水面下だ。
 四月十日、東京ベイエリアのホテルで日本産科婦人科学会の記者会見があった。学会はその日の総会で、着床前診断を独断で実施していた神戸市の医師を除名処分に した。除名の理由を説明する学会幹部に、女性記者が質問した。
 「着床前診断は生命の選別につながると言われるけれど、出生前診断では、胎児の異常を理由に中絶が行われているんですが……」
 会長だった野沢志朗・慶応大教授は大げさに驚いた表情で周囲を見回して言った。
 「えっ、そんなことがあるんですか? エビデンス(証拠)を示してもらえますか」
 日本に選択的妊娠中絶は存在しない――刑法の堕胎(だたい)罪に触れる行為をする医師はいないという“建前”である。


 日本では中絶は自由にできる、と誤解している人は多い。だが子供の病気や障害を理由にした中絶は現行法上、認められていない。かつての優生保護法は、親や子供の 遺伝性の病気などを中絶の理由に認めていた。しかし一九九六年施行の母体保護法で、そうした条項は削除された。
 指定医による中絶が許されるのは、〈1〉妊娠の継続や出産が、身体的または経済的理由で母体の健康を著しく害する恐れがある〈2〉性的暴行による妊娠――の いずれかで、原則として妊娠二十一週まで。
 二〇〇二年度の医師の届け出は約三十三万件。うち百四十五件が〈2〉、残りはすべて〈1〉で、むろん出生前診断による中絶の数字はない。
 〈障害児が生まれると、経済的に苦しくなる〉〈母親の精神的負担や育児による過労が懸念される〉。産婦人科医の多くは、そんな理屈を考えて、経済的・身体的の どちらかの理由にあてはめれば、合法と解釈している。
 厚生労働省母子保健課は「届けられた中絶はすべて法律に沿ったものと考えている」と言うだけ。医師らの解釈が合法か違法かも答えない。
 子供に病気・障害があったら……。悩み抜いた末の苦しい選択など、存在しないというのが国の見解である。
 美和子さんの決断を受け入れた医師は、こう告げたという。「あなたは『うつ病』だということにします」


ダウン症
 人の細胞には遺伝子をのせた染色体が23対あり、そのうち21番目が偶然、通常より1本多い3本になって起こる。心臓などに障害がある場合も多いが、治療可能。 知的能力や運動能力にハンデを持つ反面、性格は朗らかで優しい。
(2004年6月21日)

(3)医師の一言 絶望と救い

◇安易に検査 「染色体異常ですね」
 十分な遺伝医学の知識を持たないのに、患者に染色体の検査を安易に勧め、奈落の底に突き落としてしまう医師がいる。その一方で、患者の心を傷つけて医療は成立 しないことを知る医師もいる。


 その日、車で三十分ほどの病院の不妊センターから自宅まで、どの道を運転して帰ったのか、大阪府豊中市に住む明子さん(仮名)は全く覚えていない。よく事故を 起こさずに済んだものだと思う。
 「何度も流産するのは、あなたの体の染色体に異常があるからだ」と、センターの医師から言われた日のことだ。
 明子さんが診察室に入ると医師は看護師に「返ってきてる?」と聞き、何枚かの紙を受け取った。検査結果のデータ。初めて見る様子だ。
 「あー、はいはい。染色体異常ですねぇ」
 「え?」
 涙があふれた。「ちょっと見せて」と言い、記載を目で確かめるのが精いっぱいだった。
 染色体異常を解説した難解な資料を渡し、医師は言った。
 「僕も(遺伝医学の)専門家じゃないんで、詳しいことは説明できない。別の病院へ行って下さい」
 ぼうぜんと診察室を出た。 染色体の検査は自分から希望したわけではない。医師に勧められるまま、流れ作業のように血液を採られた。こんなに追い詰められるとは、 みじんも考えなかった。
 明子さんは「染色体異常なら治らない。もう子供はだめだ」と思い込んだ。あきらめたので、正確な情報を集める気にならず、別の病院へも行かなかった。
 夫には離婚を切り出し、「(子供を)外で作って下さい。あなたは正常なんだから」と迫った。
 明子さんの染色体異常は「均衡型相互転座」という、さほど珍しくない現象だ。主に卵子や精子が作られる過程で起きるが、身体に問題が生じることはまれで、絶対に 子供ができないわけではない。


 和代さん(仮名)の一人目の子供は、遺伝性疾患と診断された。二人目を身ごもり、遺伝医学の専門家から、受診先として、その医師を紹介された時、あまり気が 進まなかった。「また大学病院の先生なの?」と思ったからだ。
 一人目の妊娠では、別の大学病院にかかった。特に心配ごとがあったわけではないが「大学病院なら何があっても大丈夫」と考えて選んだ。
 五か月目に出血があり、入院。早産の兆候が現れた。その時、主治医は信じられない言葉を告げた。「うちでは子供の命を助けられない」。大量に出血し、破水した 状態で民間病院へ救急搬送された。
 転院先で十日後、赤ちゃんは超未熟児で生まれた。合併症を防ぐ治療のために、遠方の大学病院へ転院。そこで遺伝性の病気がわかり、確定診断のために公立病院へ。
 転々とする中で、様々な医師の姿を見た。診察を終えると、説明もせずに無言で医局に帰ってしまう医師。病気の先進治療について尋ねると「あんなものは無駄だ」と 一言で切り捨てた医師……。
 不信が最高潮に達した時、次の子供を妊娠した。この子が病気ならどうするのか、考えなければならない。パニック状態で駆け回り、遺伝医学の専門家を探して相談 した。
 紹介を受け、しぶしぶ足を運んだ大学病院で、その医師は、感情の高ぶりを抑えきれない和代さんの話を一時間、ただ静かに聞いてくれた。
 胸に積もっていた医療への嫌悪感が、すっと消えた。
 病院から帰って電話をかけてきた和代さんの声の明るさに専門家は驚き、紹介先の医師に電話した。
 「一体どんな手を使ったんですか。彼女、まるで先生に一目ぼれですよ」
 「いや、特別なことは……」
 和代さんがようやく出会えた医師。彼は重い遺伝病を抱えた自分の患者のことを学会で話す時、涙を流すという。


染色体
 遺伝子をのせたひも状の構造物で、人の細胞には常染色体22対、性染色体1対の計46本ある。形や数の異常は偶然に起きやすく、だれでも卵子や精子の10%以上 に見つかる。受精直後にも起きる。主にこれらのため、受精卵の数十%は妊娠のごく初期に流産する。

関連写真
明子さんの検査指示書の染色体異常の欄に、医師は無造作にチェックを入れた。遺伝子や染色体にかかわる検査は、事前の十分な説明と患者を支える体制が必要だ
(2004年6月22日)

(4)「不幸な子とは・・・」重い問い

◇遺伝タブー視に支援体制遅れ  「不幸な子どもの生まれないために」という運動があった。一九六六年から兵庫県を中心に展開された。当時の金井元彦知事が滋賀県の障害児施設を訪れ、胸を痛めた のがきっかけだった。
 七〇年には「不幸な子どもの生まれない対策室」が県庁に設置され、婚前者・夫婦・妊婦への遺伝相談、血液検査、講座の開催などの事業を進めた。県は精神障害者や 知的障害者の不妊手術の費用を負担し、七二年からは染色体異常を調べる羊水検査の費用も負担した。自治体が「出生前診断」を推進していたのだ。
 主観的には「人々の幸せ」を手助けする事業だった。
 が、こうした施策は脳性マヒ者団体「青い芝の会」などから猛烈な抗議を受け、対策室は七四年に廃止された。
 「障害者は不幸な存在なのか? 幸・不幸を誰が決めるのか? 不幸にされてきたなら、誰のせいなのか?」
 青い芝の会は根底から問いを突きつけた。将来を悲観した親が障害児を殺す事件も相次いでいた。今度は生まれる前から排除されるのか。「抹殺される側」の叫び だった。
 この一件は、遺伝関連医療のイメージを下げ、この領域自体をタブー視する傾向も生まれた。大阪府庁では今なお「遺伝」を差別用語ととらえ、公に使うことを ためらう。


 四八年制定の優生保護法は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護すること」を目的と定めていた。本人や配偶者に遺伝性疾患、 精神疾患、知的障害、ハンセン病などがある場合が中絶や不妊手術の理由になった。遺伝性疾患は四親等内の血族にある場合も対象だった。強制不妊手術も行われた。
 そして羊水検査が日本に導入されたのが六〇年代後半。兵庫県は「最先端の医学」の活用を図ったのだった。
 この時期に米国で検査技術を学び、日本で普及に努めた新古賀病院(福岡県)の婦人科医、斎藤仲道さん(63)は、当時を振り返って話す。
 「日本では出生前診断がなかなか普及せず、いらだっていた。技術を発展させ、みんなが障害のない子を産めるようにと懸命だった」
 そうした発想を打ちのめされたのは七五年ごろ、東京で開かれた学会。「羊水検査の精度が60%に向上した」と発表したが、「残り40%の胎児はどうなるのか?」と 質問され、壇上で立ちつくした。
 「技術の向上にばかり気を取られ、患者と向き合って来なかった自分に気付いた」
 正確な知識を提供し、じっくり考えてもらい、支えることの重要性を痛感した。


 「完全参加と平等」を求める「国際障害者の十年」は八一年から国連の提唱で展開された。ノーマライゼーション(障害者も健常者も隔てなく暮らせる社会)という 言葉が国内でも次第に広がった。
 だが優生保護法はしぶとく残った。母体保護法に改正されたのは九六年。「国家による優生思想」は一応否定されたが、「障害イコール不幸」という見方は根強い。
 国家でなく、個人の選択なら「不幸な子供の出生を防ぐ」のはよいことなのか。逆に「選別・排除はいけない」と批判するだけで、遺伝や出産にかかわる困難な問題に 直面する人の役に立てるのか。
 社会の考え方が確立しないうちに、生命科学は急激に進み、遺伝子レベルで診断・治療が可能な時代に突入した。
 だが長年のタブー視で現場の対応は追いつかない。遺伝に関する研修や認定を受けた医療従事者は延べ五千人を超すが、保険適用外でもあり、実際に患者の支えを できているのは百人程度とされる。
 斎藤さんはその後、多くの出生前診断に携わった。中絶手術は他の病院に行ってもらうが、間接的には関係する。
 「中絶はしない、だから出生前診断もしないと言うだけで済むのか。悩んだが、現実に戸惑い、苦しむ人に、支援の努力をするしかない」
 一方、同様に出生前診断にかかわりつつ矛盾を感じ、「僕は天国にはいけないかも」とつぶやく小児科医もいる。  模索と迷いが続く。


優生思想
 不良な遺伝的素質を持つ子孫の出生を防ぎ、優良な子孫だけを残して繁栄していこうという考え方。20世紀初めから欧米を中心に障害者の断種法などが制定され、 ナチスドイツではユダヤ人や障害者の大虐殺につながった。

関連写真
兵庫県が作成した「不幸な子どもの生まれない運動」の推進パンフレット。出生前診断で胎児の異常がわかることなどを紹介していた
(2004年6月23日)
血友病  ◇研究紹介  ◇年表  ◇50音順索引  ◇人名索引  ◇リンク  ◇掲示板

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