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BAS

ヘルパーの吸引 2002
現代史の中のALS
《医療的ケアの必要な人のニーズと提供されているサービスの現状報告》


第1回 Body and Society 発表レジュメ
川口有美子


はじめに
 第一回BAS研究会でお話したこととこのレジュメの内容は重なっている部分もありますが全く違ったものになっています。BAS研究会の皆様に感謝します。 今回の発表は私の研究計画の二本柱のうちの一本目、「ALSの在宅介護を支える非システム論」として「ヘルパーの吸引」を取り上げました。

新しいALS観をさらに
 筋萎縮性側索硬化症(通称ALS)という神経難病がある。全国で6000人ほどの罹患者がおり、100万人に3,4人の発症率と言われているが増加傾向にある。 発症年齢も 低年齢化しているようだ。現在は、まだ治療法がなくその残忍さでは比類なき病といわれ難病中の難病と呼ばれてきた。本人も気がつかないうちに身体のどこかで アポトーシスとの闘いが静かに始まり、そして全身の運動神経だけが選択的に少しずつ侵され、徐々に身体機能は失われ最終的にはほとんど動けなくなってしまう。しかし 聴覚や視覚、皮膚感覚は最後まで残り意識も鮮明であり続ける。
 肺の機能を維持する呼吸筋に麻痺が至れば、生命維持のためには人工呼吸器◆01 の装着が必要になるが、たとえ装着してもその後の生存期間は大して長びくことも なかったデータや、在宅における介護制度の不備は同居家族の生活まで脅かしたりもしたので、医者は積極的に呼吸器装着を勧めてこなかった。だから呼吸筋麻痺を もってALSのターミナルとしてきた歴史があり、呼吸器を装着しない方がよき選択のようにも言われてきた。しかし1990年代に入って「ALSの呼吸筋麻痺をALSの 一つの症状、一つの進行過程」(林秀明)と捉える新たなALS観が生まれ、医療は呼吸器装着によって患者を新たな生命観のもとに療養を促す支援姿勢に移りつつある。
 日本のALS療養者の歩みは、林の言葉を借りれば「1970年代のALSの認識期、1980年台の都立神経病院及び全国施設での呼吸筋麻痺を越えての生活の試行期、 そして1990年代の呼吸筋麻痺を越えた「新しいALS観」での療養の取り組みの始まり」というように時代と共に変容を遂げてきたのである。
 このようなALS療養史の流れを鳥瞰すれば、2002年に始まったヘルパーに吸引を求める運動◆02 はALS療養者と家族が主導した初めての示威運動と読み解くことが でき、患者主権時代の到来を予感させる出来事とも言える。ALS療養者の母を持つ筆者は、この一連の動きを患者による主体性獲得のプロセス、あるいはALS療養者自身に よるエンパワメントの夜明けとみて高く評価してきた。ただ、ここでいくつか確認しておかねばならないことがある。

違法と呼ばれた聖なる行為
 それは、まずALSの介護についてまわる「家族介護24時間」の言説についてである。24時間365日不断で行う労働など実際にはありえない。患者側は介護の過酷さを 語る必要があるとき、「24時間」をことさら強調してきたのだが、実はそこには多くの場合、短時間であっても交代してくれる援助者の存在はあった。ただし、彼らや 彼女らが医療職である場合を除けば、その行いは違法と呼ばれ、公に評価されることもまた業として社会的認知もなされることなく、密室の在宅で個々に細々と行われて きた。
 目前にいるその人が今その行為をしなければ死んでしまうとしたら、あなたは自分ができる程度のことなら喜んで力になりたいと思うだろう。その沸き立つような 道義心は人としてまったく自然な感情である。だが、社会は時としてそのような感情を否定する。そして何も知らない人たちは何も考えずにあなたのしようとした行為を 非難するのである。
 「医療職でないものは医療をしてはならない」
 たとえば、その行為は医師法第17条に反するから行ってはいけないという。平然と言う。その患者を前にして投げつけられたその言葉は、その人が生きるための 手段の否定である。あなたの生のための手段を認めない、すなわち私たちはあなたの生存を許さないということだ。その言葉の道理のなさに人々は気がついていない のだろうか。
 たった数センチ喉に開けた穴から気管に吸引カテーテルを挿入し、わずかな分泌物を吸引するだけの行為なのである。それが違法といわれ、家族だけになぜか 許されてきた。そしてそれを遂行する家族にとって「家族介護24時間」とは、基本的な社会生活を送る権利を剥奪し病者に縛りつけて家という墓場に埋められるが ごとき宣告に聞こえた。想像力を欠いた社会からの救済など予兆も微塵もなかったのだが、そのようなALS療養者の実態を見過ごすことができなくて、みずから 違法行為を買ってでた人々がわずかながらいたのである。
 都の事業であった全身性障害者介護人派遣制度が始まる前から、彼らや彼女たちはALSの人のもとへやってきた。そして、生存の手段は意図的に社会から隠された 場所で家族からその人たちの手にもゆだねられ、互いの自己責任の名のもとに守られてきたのである。徒弟制度のようにその手技を後輩に伝授し手渡していった。素人 から素人へ。長年、都内の自宅で暮らしてきたALS療養者たちはそのような人たちによって現実としての生を手に入れたといえる。
 制度には必ず制限がつきまとい規制や基準が設けられ、人の個性は輪郭をなくし大まかに、そして小分けに束ねられていく。しかし、どうしても大胆にはみ出していく 者がいる。そうした、はみだし者の多くは無視され勝手に生きるのなら生きてよいとされてきた。それらは医療が先に遭遇した生であった。確かに医療は命を救うこと には熱心だったかもしれないが、生活の場ではほとんど無力でありつづけた。だから在宅は姥捨て山というより医療のとどかぬ原野のような状態だったのだが、ALS との共存を誓い共に原野に降り立った者には吸引手技は手渡された。つまり、そこでは活躍のしようのなかった医療職によって、原野を耕すための鍬や鋤のように吸引の 手技はまず同居する家族に手渡され、そして、患者もろとも放置されたのだが、次に家族から素人ヘルパーたちへとその手技は受け継がれ、そうして知恵や工夫は積み 重ねられながら、毎年次々に新人たちへ引き継がれた。そしてそれは必要に応じるままに横に広がっていった。東京都内にはこのような者たちのネットワークがあり、 新たに患者が発生すればその中の誰かが赴き、またそこでその患者を核にした支援グループができ、技術や手技は個別に工夫され次世代に手渡され再び広がっていった。 次第にリーダーと呼べる数名の者たちが都内全域に点在するようになり、現在の筆者の活動につながっている。
 もとをたどれば誰かが始めたことであり、今ならたどれるところまでたどれるだろうと思われる。このようにして患者と家族と医療の非専門家たちによる吸引手技の 実行とそのネットワークがあって、出会いの運に恵まれた都内のALS患者らは在宅療養者として生き延びてこられたのである。

自律/自立から剥離させる
 前述したこととは別に、新しく起きつつあることにも目を向けたい。  吸引運動の末、紆余曲折を経たもののヘルパーの吸引は3年間の時限付きでとりあえず認められた。そして2003年の支援費制度◆03 の導入も追い風となり、ALSでも 24時間の他人介護が可能になり、独居療養者が全国で2名ほど出現したりもした。しかし喜ぶべきことばかりではなく一年近く経た2004年4月、新たな問題が顕在化して きている。
   そのひとつにヘルパーのモティベーションの低下やALS等の長時間サービスの収益率の低さからくる事業所の撤退とそれに伴うサービス不足や休止、平たく言えば 事業者都合による介護破綻の危機である。サービス開始当初は、ヘルパーたちもALSに対する同情が強く、人道的義務感に駆られて介護を引き受けたのだが後が続かない、 止めたい、どうしたらよいのかという相談が筆者の元にも舞い込んできている。
 支援費制度と介護保険は、介護は家族がするものという近代家族の規範を破り他人介護を常識にしつつある。それは歓迎されるべきことで、実際、家族以外の介護は 常識になりつつある。しかし、これらの制度では実施主体が利用者から事業者へと移ったために、利用者自身の自律性は削がれやすくなってしまった。つまり介護 サービスは現物としての労働力を直接受け取れることになったので利用者は、もしサービスが気に入らねば事業者に文句を言えば済むということになった。それは、自ら ヘルパーを探して依頼するという手間を省いてくれたので、気に食わないヘルパーはいつでも交代してもらえるということなのだが、実際には消費者としての権利意識が 利用者の主体性や自立心を凌駕してしまうこともある。ここで利用者というのは、ALS療養者と同居する家族も含んでいる。ALSの在宅では同居家族の介護を本人が 強く望む場合が多く、利用者としての意見を代表するのも患者より家族の場合であることが圧倒的に多い。
 だから、患者家族の、自助努力は次第になされなくなり、ヘルパーを引き止めるための手練手管も影をひそめ、気遣いも必要なくなったりする。もちろん、気遣いの たぐいなどいらないはずのものだから、これは利用者にとってよい状況のようではあるが、実は利用者の態度に不満を抱いたヘルパーらの離職がサービスの持続不可能性を 引き起こすという大きな欠陥を暗に抱えてしまっている。
 翻って支援費制度の前身であった全身性障害者介護人派遣制度◆04 では、上手に利用すれば利用者がヘルパーに直接謝礼として金銭を支払うこともできた。さらに ヘルパーは自薦が原則であった。だから、利用者は実質的な経営者なので、上手にヘルパーを使うためには経営感覚を磨く必要があり、ヘルパーらも利用者自身が雇用主の ようなものだったのでかえって仕事がしやすかった面があった。そのような関係性では、利用者は利用者でありながらもヘルパーを育てる責務を自然に感じ自覚していた といえる。だから、ヘルパーのミスは自分のミスとして無理なく受け止められてきた。ところがALSの場合、現行の制度*05)でも責任の所在があいまいのまま吸引行為 は取り残されてしまった。利用者にヘルパーの技量を納得してもらうという意味合いでも、ヘルパーの育成義務が利用者側にあるという制度のあり方が望まれる。
 このように、利用者とヘルパーの間に事業者が定置されてしまったことで不都合が起きることもある。この場合、たいてい利用者が、わがままだと言われるのだが、 調査すれば何も無謀なことを言ってないことがわかるはずである。実証検証的な調査の必要を感じている。またヘルパーたちも悪くはない。
 誰も悪いものなどいない。制度がALSにそぐわないのである。

既存のケアを解体する
 上記に述べてきたようなことは、ALSの在宅療養をめぐる数あるカテゴリーの中からふたつ列挙してみただけである。
 これまで、ALSの在宅はケアの提供者側から語られ、患者側は言われたことについてただ受け取るばかりに近かった。しかし、介護も医療も「サービス」である ならば、利用者側に主権がある。 そうでなければ生活者として暮らす意義がなくなってしまう。これは家で暮らす者の権利である。 そして、この主張に従えば 今までの「ケア」は、解体され再構築されねばならないだろう。それこそALSなどを生き難くしてきた根源的なもの、つまり「生命の固有性、個別性」という 当たり前のことを否定する規制や規則や制度や標準化などをひとつひとつ吟味し、指摘し排除する作業を行う必要がある。そのようにして利用者中心の新しいケアの 思想を生成することは、在宅介護というミクロな営みの構造改革を目指すようであっても、もっと大きな問いに対する答えをおのずと求めていく作業となるだろう。

研究の方法
 さて、そこで当研究の方法についてである。まず筆者の記憶を掘り起こしながら、リーダー格のヘルパーたちの行いの数々とそこから運動へと発展した経緯と周辺に ついて、記述してみたいと思っている。具体的には今まで何度も語られてきた「ケアの量や質」の文脈において、筆者が見知っている介護現場では専門性は常に除外 される方向にあったのだが、医療職ではない者が行いうる医療的ケアが、これまでどのようにして発生し根を張って広がっていったのか、都内(中野、練馬、杉並、 板橋、墨田、足立、多摩地区など)で実際に長期に渡ってALS療養支援活動をしてきた数名の介護福祉士やヘルパーたちの聞き取りを行い、これらの地域のALS在宅 療養介護者ネットワーク史を実際に描いてみる。そして非専門職の医療行為の可能性とその行為の本質にあるものについて論を進めてみたいと思う。
 ここで筆者の当事者性はいやおうなく描かれていく必要がでてくるのだが、都内で行なわれてきたヘルパーの医療行為について調査すれば、筆者はどうしても「私」や 「私たち」と遭遇せねばならない。したがってインフォーマントとの出会いには労しなかったということにして自分たちのことを書くことにする。
 当時者が自分の所属する集団をフィールドに選び、果たして社会学として成立するのかと悩み方法について迷っていたが、たとえ主観的であると批判されても、まず 書きおくべき事が最初にあり、そのために研究を志したのだから書きたいことはどうしても書きたいのである。だから新たな地平線を広げていくつもりで、研究者として の立ち位置を徐々に定めていきたいと思う。そのためにも研究方法についての研究も重ねつつ、先行研究や文献を参考にしながら、ライフヒストリー法を用いて書かれた 自伝的な論文やモノグラフやエスノグフィーなどの作品群についても触れてみようと思っている。
 そのようにしても紐解かねばと思わせる意味世界がALSの現実を取り巻いている。ALS療養者たちは現代社会の象徴的弱者というポジションを与えられたのだが、 身動きもできない彼らとの共生社会は健常と呼ばれる者にとっても理想郷なのだろうか。これは誰もが心のどこかにとどめている疑念である。その問いは「真に私の 生存に意味はあるのだろうか」あるいは「私は真に彼らの生存を望んでいるのだろうか」である。だが、理念と現実の狭間で揺れ動くALS療養者や家族や支援者らの 心の葛藤から生み出された「闘病のリアリティー」は一般化され共有されるべきものであり、それがすべての人の生存の価値を肯定している。筆者にはそれがありありと 見えてきている。だからできれば描いてみたいと思うのだ。
 本稿はアカデミックな場から遠く隔たれた生活を送ってきた筆者の学問復帰第一弾としてまとめられるはずの試論の予告と簡単な自己紹介であった。そしてここから 始まる一連の研究の目的は、ALS療養者本人のニードと提供されているサービスのずれを鮮明にし、できうる限りALS療養者の視点に立ち、家族も含めたケアやキュアの 提供者たちに対して、ALS療養者にとっての理想的な在宅療養のあり方を提示し始めることである。(とういうようなことを考えていますが、仕事と家事の合間を縫って 行う研究なのです。どうなることやら…)

【注】
◆01 1990年に在宅人工呼吸療法に社会保険適用。それまでは自費。1992年度から東京都・千葉県で在宅療養患者を対象に人工呼吸器の貸し出し事業が始まる。病院が 在宅療養患者に人工呼吸器を購入するさい、その費用を補助するというもの。台数はそれぞれ年間2台。1996年の支給対象者に島田祐子(母)の主治医中村洋一が 運よく当たった。そうでなければ我が家は呼吸器を自費購入しなければならなかったのだ。1台300万円かかると言われた。その費用の調達ができなければ呼吸器装着を 断念し死ねばならない時代であった。
◆02 吸引運動: 2002年11月「ALS等のたんの吸引を必要とする患者に医師の指導を受けたヘルパー等介護者が日常生活の場で吸引を行えるようにしてください」との 要望を全国から集めた18万近くの署名と共に坂口力厚生労働大臣に直接提出した。翌年平成15年2月より8回に渉って「看護師等によるALS患者の在宅療養支援に 関する分科会」が開催された。しかし、分科会のまとめに不満をもった患者会が再度、平成15年5月「ヘルパー等介護者によるたんの吸引実施に関する要望書」を大臣に 提出。
◆03 支援費制度:2003年スタートした障害者介護保障施策。介護保険とは理念が異なり、サービスの選択は当事者自身が行うことになっている。しかし、介護保険でも 支援費制度でもALSに適切な介護計画を立案できるケアマネやコーディネーターはほとんどいない。ALSの在宅介護は経験せねばわからない微細な要求が多く、 寝たきりであっても患者本人は鮮明な意思を持ちえているので、クレームは的確でありそれでかえってもめるケースが多い。
◆04 東京都の全身性障害者介護人派遣事業では2002年度で1時間1430円、8時間支給された区では1日11,440円。練馬区、板橋区、杉並区のALS療養者には上乗せが あった(未調査)。中野区では1ヵ月平均354,640円の支給実績。この制度では市区町村に障害者が介護者を推薦登録し、介護時間に応じて介護者の銀行口座に介護料が 振り込まれた。実際には代表者一人の銀行口座に全額を振り込んでもらってそこからの支払いは患者自身か家族が行っていた。各利用者ごとに介護者への支払い方法や 基準は工夫され好きなように設定されていた。たとえば、ベテラン介護者には1800円、初心者には800円というように時給に差をつけてベテランを優遇したりしていた。 支援費制度の導入に伴い各介護者の銀行口座への振込み実績が「みなし介護人」の登録証発行の条件となったため、上記のような方法をとっていた患者宅で働いていた 介護者はみなし介護人資格を得ることができなかったこともあった。支援費制度目前にして各介護者の銀行口座への振込みを依頼する利用者が増えたため、区の職員も 介護者の銀行口座の駆け込み登録に事務作業は倍増し業務に追われていた。支援費制度への移行に伴いALSもこの事業の対象から外されたが、外さないで欲しいという 声も多かった。大雑把な制度であったため、各利用者により運用の仕方に工夫の余地があり、使い勝手はよかったのである。これらの制度について『生の技法』「第8章 私が決め、社会が支える、のを当事者が支える―介助システム論―」(立岩)p228−265に詳しく解説されている。
05)介護保険は40歳以上で開始。支援費制度は年齢制限なし。
筆者はALS療養者や家族からの電話や面接、e-mailなどを媒体に在宅介護相談を受けたりするのだが、述べたような事例や家族の経済破綻などの相談もあり、これら ALSなどに起こる諸問題を看破するためには、介護保障としての現金の直接支給は必要なのではないかと思う。この理論を制度に具現化していく必要は(すべての障害者 に適応される必要はないのだが)でてくるだろうと思っている。このように考えていくと、「ダイレクト・ペイメント制度」*07)的なものの導入の検討とそして同時に 「パーソナルアシスタント制度」的なものの可能性も探る必要がある。これら2つの約束事は特殊な介護技術のニーズや長時間介護が必要な全身性障害者の暮らしに応じる ための根本原理ではないだろうか。介護事業運営やALS療養支援活動を通して筆者はこの2点についての必要性を確信しているのだが、ただ、そうした場合、自己決定 できない人や自律困難な人にはコーディネーターが必要なのだが、そこを誰が担うのかが問題である。また、医療的ケアが必要な場合、ヘルパーが患者を引き受けやすく するにはどうするか、などの問題は残る。単純な発想を当てはめれば介護保険のようなケアマネージャが浮上してしまう。アセスメントを行う専門職の配置はケアの 標準化をもたらすだろうが、それは提供者側の都合である。
07)ダイレクト・ペイメント制度。イギリスのコミュニティケア法(1996)による利用者経由の現金の直接給付。コミュニティケアの利用者はサービスの直接給付と ダイレクト・ペイメントの現金給付のどちらかを選択できる。日本における支援費制度では事業者と自治体間の代理受領が行われ金銭の利用者立替がない。ダイレクト・ ペイメントはフレキシブルな制度であり、利用者の自己決定を尊重するが、利用者はサービスの選択と管理を自分で行う必要がある。自立生活を促進する法のひとつで 日本の支援費制度への適用も可能という。(小川)
09)『生の技法』第8章の7で立岩が8項目に渡って提案している(1)地域格差の是正(2)所得保障とは別立てで(3)障害種別の区分けをしない(4)判定に対する 異議申し立て制度、代理人の存在(5)介護資源の給付方法(6)コーディネーターとしての非営利機関の必要性(7)(6)の組織が未成熟な地域ではある程度は 行政がそれを担う必要性(8)組織経営のあり方について



 この研究のほかの研究のためにも読みたい文献予定表(2004年4月現在更新中・研究と親和性のありそうな著作を列挙した・既読*印)

◆社会学研究法
Denzin 1992『エピファニーの社会学解釈学的相互作用論の核心』マグロウヒル出版
江原由美子 1985『生活世界の社会学』勁草書房
野口裕二・大谷英昭 2001『臨床社会学の実践』有斐閣選書*
大村英昭編 20001020『臨床社会学を学ぶ人のために』世界思想社*
木下康仁 2003『グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践』*
ホロウェイ+ウィーラー 監訳・野口美和子 2000『ナースのための質的研究入門』医学書院*
Glaser.Barney&Anselm,Strauss, 1965,Awareness of Dying. Aldine PublishingCompany, New York.1998
= 木下康仁訳 1998『死のアウェアネス理論と看護―死の認識と終末期ケア』医学書院
福岡安則 20001220『聞き取り調査の方法』〈社会学する〉ことへの招待、創土社
今田高俊編 20001220『社会学研究法 リアリティの捉え方』有斐閣アルマ*
谷富夫編 20020520『ライフ・ヒストリーを学ぶ人のために』世界思想社
Anderson,Nels, 1923, On Hobos and Homelessness:The Sociology of the Homeless Man,Chicago.、
= 広田康生訳 1999『ホーボー』ハーベスト社
Hayner,Norman S, 1936,Hotel Life, Univ.of NorthCarolina Press
= 田島淳子訳 1997『ホテル・ライフ』ハーベスト社
Becker,Howard S., 1963,Outsider:Studies in the Sociology of Deviance,free Pres
= 村上直之訳 1978『アウトサイダーズ』新泉社
O. Lewis, The Children of Sanchez, N. Y.: Random House, 1961.
= 柴田稔彦・行方昭夫訳1969『サンチェスの子供たち』みすず書房
タキエ・スギヤマ・リブラ 20000810『近代日本の上流階級、華族のエスノグラフィー』世界思想社
Plummer Kenneth, 1983,Documents of Life
= 原田勝弘ほか訳 1991『生活記録の社会学』光生館
――――― 1995,Telling Sexual Stories
=桜井厚ほか訳 1998『セクシュアル・ストーリーの時代 語りのポリティクス』新潮社
金子勝・大澤真幸 20020426『見たくない思想的現実を見る』65−65岩波書店*
大澤真幸 1994「混沌と秩序」『社会システムと自己組織性』290-346岩波書店
木田元 19930222『ハイデガーの思想』岩波新書
塩野谷祐一・鈴村興太郎・後藤玲子 20040116『福祉の公共哲学』東京大学出版会
箕浦康子編著 19990320『フィールドワークの技法と実際』ミネルヴァ書房

◆難病
SSK『ALSA」機関紙1号−62号1971〜「日本ALS協会―筋萎縮性側索硬化症と共に闘い歩む会」
植竹日奈・伊藤道哉・北村弥生・田中恵美子・玉井真理子・土屋葉・武藤香織2004『あなたは呼吸器をつけますか?』メディカ出版*
川村佐和子 1993『難病患者のケア』出版研*
――――― 1979『難病に取り組む女性たち』勁草書房
――――― 1978『難病患者の在宅ケア』医学書院
――――― 1994『在宅介護福祉論』誠信書房
川村・木下・山手編 1975『難病患者とともに』亜紀書房
沖中重雄 1979『難病−研究と展望』東京大学出版会
木下安子他編 1985『難病と保健活動』医学書院
今井米子 1986『筋無力症を乗り越えて』長崎出版
児島美都子編 1988『医療福祉のネットワーク』中央法規
三鷹市医師会編 1990『難病(第2集)』信山社
園田恭一 1991『保健・医療・福祉と地域社会』有信堂高文社
西谷裕編『現代難病事典』東山書房
大貫稔・大貫学 2000『脳・神経系疾患と難病の基礎知識』一橋出版
豊浦保子 19967『命のコミュニケーション』
アリス・ウェクスラー、武藤香織・額賀淑郎訳 20030925『ウェクスラー家の選択』新潮社*

◆ALS関係(これから)
arsvi.com
http://www.arsvi.com/0y/als.htm
http://www.arsvi.com/0y/als-b.htm
http://www.arsvi.com/0y/als-b2.htm

◆運動論/障害学/制度
中西正司・上野千鶴子 2003『当事者主権』岩波新書*
倉本智明・長瀬修 2000『障害学を語る』*
石川准・倉本智明・長瀬修編 2001『障害学の主張』明石書店*
石川准・長瀬修編著 1999『障害学への招待:社会、文化、ディスアビリティ』*
安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也 1990『生の技法:家を出て暮らす障害者の社会学』*
生瀬克己 1999『日本の障害者の歴史』明石書店
花田花兆 1997『日本の障害者:その文化史的側面』中央法規
長宏 1978『患者運動』勁草書房
久保紘章 1988『自立のための援助論』川島書店
横田弘対談集 20040125『否定されるいのちからの問い』現代書館
石川左門 1990『ささえあう暮らしとまちづくり』萌文社*
石川 准 20040113『見えないものと見えるもの──社交とアシストの障害学』,医学書院

◆医療/専門性
向井承子 1990『病いの戦後史』筑摩書房*
―――― 20030825『患者追放』*
林秀明『都民講座』 http://www.tmin.ac.jp/publish/1999/news173b.html
森岡恭彦 1994『インフォームド・コンセント』日本放送出版協会
土屋貴志 1998「インフォームド・コンセント」 佐藤純一・黒田浩一郎編『医療神話の社会学』世界思想社
矢次正利 1996「医療と人間の疎外」太田富雄編『現代医療の光と影』晃洋書房
篠崎良勝編著 20030210『ホームヘルパーの医療行為」一橋出版*

◆家族/規範
土屋葉 2002『障害者家族を生きる』勁草書房*
山田昌弘 19940515『近代家族のゆくえ』新曜社*

◆分配/自由/正義/所有
大庭健・鷲田清一編 2000『所有のエチカ』ナカニシヤ出版*
立岩真也 2003『自由の平等』岩波書店*
アマルティア・セン 1999『不平等の再検討』岩波書店
チャドラン・クカサス/フィリップ・ベティット 山田・島津訳 19990515『ロールズ「正義論」とその批判者たち』勁草書房

◆生命倫理
水津嘉克 2001 『死別と悲嘆の臨床社会学』有斐閣選書198
Murphy 1998『ボディー・サイレント――病と障害の人類』新宿書房
立岩真也 2000『弱くある自由へ:自己決定、介護、生死の技術』青土社*
―――― 1997『私的所有論』勁草書房*
Berger 1967『聖なる天蓋』新曜社
現代思想 200311月号特集『争点としての生命』*
ミシェル・フーコー 1975『狂気の歴史』新潮社
清水哲郎 1997『臨床現場に臨む哲学』勁草書房 *
―――― 20000801『医療現場に臨む哲学II──ことばに与る私たち』勁草書房*
小松美彦 19960620『死は共鳴する──脳死・臓器移植の深みへ』勁草書房
森岡正博 19941020『生命観を問いなおす』ちくま新書*
―――― 2003『無痛文明論』トランスビュー社
――――   『脳死の人』
神谷美恵子 19741210『こころの旅』日本評論社*
――――― 20000125『神谷美恵子 いのちのよろこび』日本図書センター*
――――― 19800625『生きがいについて』みすず書房*
  小泉義之 20030325『レヴィナス何のために生きるのか』NHK出版*
―――― 1997『弔いの哲学』河出書房新社*
―――― 2000『ドゥルーズの哲学』講談社現代新書*
―――― 2003『生殖の哲学』河出書房新社
Jean_Dominique Bauby 1997、The Diving ? Bell and Butterfly
ダナ・ハラウェイ 20000715『猿と女とサイボーグ 自然の再発見』青土社
養老孟司 2004『死の壁』新潮新書*
アーサー・カプラン 19991126『生命の尊厳とはなにか』青土社*
松原洋子 2000「日本−戦後の優生保護法という断種法」米本他[2000]
米本昌平・松原洋子 ・島次郎・市野川容孝 2000『優生学と人間社会』講談社現代新書
熊野純彦 19990624『レヴィナス 移ろいゆくものへの視線』岩波書店*

◆ 進化論/意識機能
セオドア・ローザク 19781230『意識の進化と神秘主義』紀伊国屋書店
立花隆 20010301『脳を究める』脳研究最前線、朝日文庫
―――― 1994『臨死体験』上下巻、文芸春秋社

◆ 論文
石川左門 197610「難病患者の実態とその課題」『医療と福祉』第30号日本医療社事業協会
木下安子 197610「地域医療福祉活動の中から『医療と福祉』第30号、日本医療社事業協会『医療と福祉』第32号(特集−難病)日本医療社会事業協会
鈴木勉 1978「現代日本における患者運動の現状とその意義」『日本福祉大学研究紀要』第37号
山手茂 1979「難病患者の組織と行動」保健・医療社会学研究会編『保健・医療の組織と行動1979』垣内出版
「特定疾患の地域ケアの試み(MSWの実践)」19795『医療と福祉』第35号、日本医療社会事業協会
佐藤エミ子 1981「難病『障害者の人権と生活保障(ジュリスト臨増総合特集)』有斐閣
榎本ひとみ 19825「難病患者にとって退院とは『医療と福祉』第41号、日本医療社事業協会
川村佐和子・星旦 1986「難病への取り組み」『日本の医療−これから(ジュリスト臨増総合特集44号)』有斐閣
石川左門 1986「これからの医療・福祉−患者の立場から」『日本の医療−これからジュリスト臨増総合特集44号)』有斐閣
伊藤たてお 19917「患者・家族会、患者運動の視点から」『医療と福祉』第56号、日本医療社会事業協会
田中顕悟 1994「難病患者へのソーシャルワーク援助の課題」『東洋大学大学院紀(31集)
林 秀明 2000「ALSの呼吸筋麻痺と呼吸器装着−最近の考え方−『今までのALS観』から『新しいALS観』への進展」『PTジャーナル』第34巻第1号:46-48
平成10年度厚生省特定疾患調査研究「神経難病医療情報整備研究班」総括研究報主任研究者:木村格(国立量要所山形病院院長)
http://www.hosp.go.jp/~yamagata/report_txt/98report-j.htm
佐伯みか・山崎喜比古 1996『末期患者の意向尊重をめぐる医師の役割認知に関する研究』保健医療社会学論集、日本保健医療社会学会
Mills,C.W. 1959 The Sociological Imagination. Oxford University press
= 鈴木広訳 1965『社会学的想像力』紀伊国屋書店
小川喜道 20030823「イギリスにおける障害者の地域生活支援」/障害者(児)の地域生活支援のあり方に関する検討会ヒアリング資料
立岩真也 1997「彎曲する空間──医療に介入する社会学・序説2」日本社会学会第70回大会報告
―――― 1996「医療に介入する社会学・序説」『病と医療の社会学』岩波講座現代社会学14,93-108、岩波書店*
―――― 1997「私が決めることの難しさ──空疎でない自己決定論のために」太田省一編『分析・現代社会──制度/身体/物語』154-184,八千代出版
―――― 1997「彎曲する空間──医療に介入する社会学・序説2」日本社会学会第70回大会報告
―――― 1998「都合のよい死・屈辱による死──「安楽死」について」『仏教』42,85-93,法藏舘*
―――― 1998「一九七〇年」『現代思想』26-2,216-233,青土社
―――― 1998「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」『現代思想』26-7,57-75,青土社*
―――― 1998「自己決定→自己責任,という誤り──むしろ決定を可能にし,支え,補うこと」『福祉展望』23,18-25,東京都社会福祉協議会*
―――― 1999「生殖技術論」『ソシオロゴス』NO.17 東京大学院社会学研究科1999


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