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障害者自立生活運動
−大阪を事例として−


第1回 Body and Society 発表レジュメ
定藤邦子


I.障害者の自立生活の概念
1.障害者基本思想の変遷

戦前:慈善の対象、保護的存在
戦後:障害者の基本的人権の尊重、権利の主体に
(1948年:世界人権宣言、1946年:日本国憲法25条)

2.障害者福祉思想の展開
(1)リハビリテーション論の展開
 アメリカのリハビリテーション法が代表的で、日常生活動作(ADL:Activity of Daily Living)の自立と職業訓練、職能開発等による 職場復帰、職業的自立の回復が主要な目標とされる。介助の必要な重度障害者に及ぶものではなく、身体障害者を中心においている。
(2)コミュニティ・ケア思想
 1960年代初めに、イギリスで、精神障害者の精神医療領域の改革から生まれた。精神障害者が地域社会の中で、人間らしい生活を営みうる ことを目標とした援助理念。地域社会を治療の場とみなし、精神障害者がその潜在能力を開発、発揮して地域社会生活を形成する事を目指すために、ナイトホスピタル、 デイケア、共同作業所などの中間的ケアの確立に貢献した。
(3)ノーマライゼーション思想
 1950年代、60年代のデンマーク、スウェーデンなどで、知的障害者に対する巨大施設の隔離収容的保護における非人間的処遇への批判、 反省からおこる。すべての知的障害者に社会の普通の生活条件、生活様式を提供していく事を目標に掲げた理念。
(4)自立生活思想
 1970年代初めのアメリカでは、障害者の自立生活運動へと発展。
◆アメリカの自立生活の代表的思想
「人の助けを借りて、15分で衣服を着、外出し社会参加できる障害者は、自分で衣服着るのに2時間かかるために家にいるほかはない障害者よりも自立している」
◆他人の介助による自立、日常動作(ADL)自立からQOL(Quality of Life)尊重の自立、医療モデルから自立生活モデルへ

障害者の自立生活思想における自立観である当事者主体、自己決定、自己選択、他者の介助による自立は、特に介助の必要な重度障害者が権利主体になることと、自立 生活を可能にした。


II.日本における障害者自立生活運動(1970年代〜)
・障害者自立生活運動は当事者主体で日本独自のものとして生成、展開
・家族責任主義と施設収容主義に異議を唱えるものとしておこる
・日本における障害者自立生活運動→「障害者が施設・家族に依存しない生活を送る」
 障害者の置かれた社会的な位置の変更(それを含む社会の変更)、生活の自律性の確保とその存在を受容する社会の獲得

1.障害者政策と障害者運動(60年代まで)
(1)障害者政策
戦前
障害者に対する固有の政策はなかった(1932年:「救護法」による貧困者に対する保護だけ)
戦後
1.1949年「身体障害者福祉法」→リハビリテーション対策的な位置づけで、更正可能な軽度者を対象とする更正援護に目的を限定。職業に就く能力のない 障害者は法の適用から除外され、生活保護によってカバーされる。収入のないものは、家族扶養か生活保護法に規定される救護施設での生活。
2.59年の国民年金法による障害者福祉年金は、障害者に対する生活保障の施策で重度者に限定。低額支給は所得保障の問題点を残す。
3.72年7月の身体障害者法改定によって身体障害者療護施設(大規模施設)の誕生
この時期の政策は、職業更正(自立は経済的自立)、収容施設の拡充政策、重度障害者には年金支給 生活するには足りないので、家族への依存

(2)障害者の運動
1.職業につくための訓練の要求と雇用の確保
2.親たちの収容施設拡充運動
3.生活保障、年金制度の創設とその対象と支給額の拡大に向けての運動
運動は障害者とその家族の最低限の生活要求に向かい、設定された枠組みの不足部分を指摘するに留まった。親の運動が主となったので、当事者の意向は 押さえられた。

2.障害者自立生活運動(1970年代から)
(1)青い芝の会の運動
1.横浜の障害児を殺した親に対する減刑運動や優生保護法の改定作業に反対。障害者の生命の否定と障害者に対する社会の否定的なイメージを批判して、障害当事者 からの社会への問題提起。社会の目を障害当事者に向けさせた。
2.施設の否定、家族の否定。家庭や施設を出て生活する試み。健常者の支援(自立生活運動、介助などの支援)
(2)府中療育センターでの運動
1.施設への管理体制への批判。
2.生活の公的保障。公的介助保障と介助者を自ら選ぶ。行政との交渉。73年、重度脳性マヒ者等介護人派遣事業の設立(74年実施)


III.大阪における障害者自立生活運動
・青い芝の運動の流れをくんだ、当事者を中心とした障害者自立生活運動
・85年に全国青い芝の会を脱退し、現実的な方針に基づく運動へと転換する
・80年に、在宅障害者・施設障害者の「生活一斉調査」(200件近い調査) 調査の結果、月一回程度のボランティアによる外出以外はテレビの前で過ごす毎日。親の高齢化 などにより、月一回程度しか入浴できない状況などの深刻な生活実態。
公的介護保障や施設改善要求。大阪市全身性障害者介護人派遣事業(大阪市単費の制度)による介護保障の設立(85年)
・87年に、ケア付き住宅研究会を大阪市民政局障害福祉課と共同で行う。
大阪市と話し合いなどによる協力関係をつくっていく中での障害者自立生活運動


現在の障害者自立生活運動
 自立生活センター(90年代から)、グループホーム
1.特定非営利法人・中部障害者解放センター
 大阪の障害者自立生活運動を中心的に展開していったNPO法人。障害当事者を中心として設立されたが、重度障害者のグループホームや自立生活センターナビを 運営し、重度障害者の支援を行っている。
 2000年4月にヘルプセンター・ステップを設立し、介護居宅事業を開始。特徴としては重度の身体障害者への介護サービス。現在、ALSのKさん(61才)の24時間介護 体制をつくり、介護人を派遣している。
2.NPO法人ライフネットワーク
 ライフネットワークは1989年9月に施設という『箱』から外へ出たいという施設障害者の切実な思いに共感し、「施設障害者外出サービス」を始めた事に始まり、95年 5月に「グループホームほんわか」を設立し、地域障害者3名、施設障害者3名の自立生活を実現した。現在、グループホームほんわか、自立生活センター・まいど、ライフ ネットワーク作業所、介護人派遣事業を行っているヘルプセンターホップを運営している。



◆年表
大阪青い芝の会の歩み(1988年まで)

1957 11月3日 脳性マヒ者の団体「青い芝の会」結成
「踏まれても、踏まれても芝のようにたくましく伸び、みんな胸を張って外へ飛び出そう。たがいに腕を組み合って強く生きていこう」
1964 1月 茨城県閑居山に脳性マヒ者のコロニー「マハラバ村」を創る
1967 全障研(全国障害者問題研究会)結成
1970 7月 神奈川青い芝の会、障害児殺し減刑嘆願運動への糾弾闘争
1972 3月 「さよならCP」上映運動始まる(関西では7月)
12月 自立障害者集団グループ・リボン結成(姫路にて)
1973 1月 映画「カニは横に歩く」製作開始 在宅障害者の急激な結集
4月29日 日本脳性マヒ者協会大阪青い芝の会結成大会
5月 優性保護法改訂案国会に上程、抗議行動により廃案に追い込む
自立障害者集団グループ・リボン連合会結成(姫路、大阪、神戸)
9月 全国青い芝の会総連合会結成 初代会長に横塚晃一
11月 障害者問題資料センターリボン社結成 優性保護法改悪阻止関西集会の開催
1974 3月 「カニは横に歩く」完成 上映運動の開始
6月 大阪グループ・リボン大阪府民生部に介護料要求書提出 大阪障害者教育研究会(大障研)結成
11月 関西青い芝の会連合会結成(大阪、兵庫、和歌山、奈良準備会、京都準備会)
1975 3月 重度障害者 金 満里の自立生活に取り組む(自立運動の開始)
4月 厚生省の身体障害者実態調査への阻止闘争
10月18日 大阪市立大学障害者解放研究会結成(学内での差別事件糾弾闘争をきっかけに)
1976 1月26日〜27日 和歌山県立身体障害者福祉センター糾弾占拠闘争
1977 2月 養護学校義務化阻止全関西共闘会議結成
4月 川崎バス闘争 乗車拒否に抗議して車いす障害者100名バスを占拠
4月24日〜25日 養護学校義務化阻止全国総決起集会と文部省交渉
1978 5月 関西青い芝連合会解散(関青―関ゴリ運動の崩壊)
秋、多くの障害者の生活要求に根ざした運動づくりを目指し「生活相談行動」を展開、電話相談の多くは働きたいとの要求
12月 差別の狭間で出産に望む女性障害者を囲む会結成
1979 1月22日 養護学校義務化阻止全国総決集会
2月 おおさか行動する障害者応援センター結成
4月 文部省、養護学校義務化強行実施
9月 そよ風のように街に出よう0号発刊
1980 春 実態調査阻止闘争、障害者自身の調査の必要性から、生活要求一斉調査活動の準備に入る
秋 生活要求一斉調査活動開始
国障年を機に障害者の自立と完全参加を求める大阪連絡会結成
1981 国際障害者年
8月 生活要求一斉調査実行委員会生活小委、生活ハンドブック発行
12月 在宅重度障害者野々村隆弘さんの生活問題東住吉区交渉の開始
1982 この秋から大阪全体会議準備会スタート。運動の転換に着手する
1983 3月21日 日米障害者自立セミナー(大阪)開催
7月29日〜31日 全障連第8回東京大会にて「障害者解放基本要求要綱」提起される
9月 生活プロジェクト、労働小委員会、学習運動委員会を軸に運動の転換に具体的に取りかかる。制度研究会・実例研究会・構想づくり、労働パンフづくり、 公開学習会の開催と機関誌「うねり」の発行など 〜84年まで
1984 春 生活プロジェクト、生きる場−作業所訪問調査の展開
4月 ノーマライゼーション研究会(N研)結成
12月9日 中部地区障害者解放センターオープン
1985 春 南部障害者解放センターの開所
11月 全国青い芝第6回全国大会(東京)で、全国執行部に対して現実的な方針への転換を求めたが、受け入れられず、全国青い芝を脱会宣言
12月 大阪障害者情報センター開所 情報紙コミュニティーズ発刊
1986 2月 長年の青い芝の要求を受けて、大阪市全身性障害者介護人派遣事業をスタート 初年度は月12時間、87年−24時間、88年−48時間
4月 障害者基礎年金が創設され、一級の障害者で月に6万5千円。
6月15日 高槻障害者解放センター・ひろがりハウスオープン
6月30日〜7月1日 身体障害者更正援護施設入所者に対する施設費用徴収強行実施への反対運動が全国的に盛り上がり、全国行動として厚生省前を500名の車イス 障害者が取り囲む
8月1日 大阪市の施設費用徴収を強行実施に対し、大阪青い芝の会は100人規模の抗議行動
9月20日 障害者の自立を考える連続セミナー第一回「歴史」開催
12月6日 自立セミナー第2回「今後の展望」開催
1987 3月14日 自立生活セミナー第3回(生活)開催
6月13日 自立セミナー第4回「労働」開催
7月25日 ケア付き住宅講演集会に150名参加
1988 春 南部障害者解放センター、堺に障害者6名のグループホーム開所
5月25日 大阪青い芝対大阪市交渉−介護人派遣事業、ケア付き住宅
7月1日  第一回ケア付き住宅研究会−大阪市民生局障害福祉課と共同
7月7日  第一回国際障害者年対市施設問題協議会
7月26日 施設費用徴収問題(親からの徴収は撤廃されたが、本人負担は、施設改善がなされていないのに強化されようとしている事に対して)対市抗議行動と交渉
8月20日〜21日 第16回障害者と健全者の大交流キャンプ 琵琶湖

資料:『大阪青い芝の会結成15周年記念 第14回定期大会報告集』(尾上浩二編集、1988年)102〜106頁

参考文献
・佐藤久夫他編『現代の障害者福祉[改訂版]』有斐閣、2003年
・立岩真也他著『生の技法・改訂版』藤原書店、1995年
・尾上浩二編集『大阪青い芝の会結成15週年記念、第14回定期大会報告集』1988年
 

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