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「差別」と「配慮」、その範囲の検討
−労働をめぐる障害を持つ当事者の語りからの一考察−


第2回 Body and Society 発表レジュメ
田島明子


■ 問題意識の所在
 「差別」も「配慮」も、「障害」とどう付き合うか、という私たちへの問いである。そして、ある事象を「差別」とするなら解消ための「配慮」を行う、という表裏の 関係にある。
 障害者の労働と雇用の問題を考える際、どこまでを「差別」とし、どのような「配慮」を行うのか、いまのところその線引きにはおかしいと思うところがある。
 これまでの障害者の労働と雇用における「差別」の範囲◆01 ◆02 は、当該の仕事の本質的・中核的な職務の遂行能力のある障害者の排除の不当性をいうものである。 だからそういう人については、健常者と同じだけの能力発揮の機会を与えよう、というのだ。
 しかし「機会が平等」になれば、能力のない障害者が働けないのはしょうがないことだと言えるだろうか。あるいは働ければそれでOKと言えるだろうか。また、 「障害者の労働市場からの排除」が問題なのだとし、それがクリアされれば「差別」は解消されたと言えるだろうか。そのどれも、私には、障害者の労働と雇用における 「差別」の解決になっているとは思えないし、むしろなにが「差別」かを、的確に言い得ていないと思える。またなにを「差別」と言えるかは、どんな「配慮」を正当化 できるか、の重要な要件となる。だから考えたいと思う。
 私は、障害者の労働と雇用の問題として、「できない・働けない」とみなされ労働市場から排除されるという明らかな不利益とともに、障害者自身の内的経験としての <価値剥奪>という問題をみのがすことができないと考えている。特に後者の問題は、<不利益>というような明らかなかたちで示しずらいのと同時に、障害者自身も ディスエンパワーされてしまい、それを問題として俎上にあげることができず、かえって巧妙に隠蔽されてきたのではないかと感じている。この社会において「できる」 ことの価値が疑う余地がないほどに強固であるために、障害者運動においても、その主張は、上記の「差別」範囲の枠をでないし、むしろ主張を留保し、据え置かれて きた領域ではなかっただろうか。
 後者の視点(価値剥奪)から浮かびあがる問題は、「労働市場からの排除」だけにとどまらない。
 かりに首尾よく働く場を得られた障害者にとっても、ある仕事を、できる人が代わりにやり、その人は障害があってもできるごくごく限定された仕事をする、という ことはよくあることである。それも職場内では「配慮」とされる。そうした「配慮」を、障害者自身ができるための「積極的配慮」と対比して「消極的配慮」と呼ぶこと にする。たとえば、「福祉的就労」と呼ばれる障害者のためにあつらわれた福祉サービスとしての就労の場も、よりマクロなレベルでの「消極的配慮」と言えるかも しれない。
 そうした「消極的配慮」は、障害者にとって、「語ることがためらわれる経験」であったり、「感謝の気持ちを表明するもの・せざるを得ないもの」であったり、 「障害を克服し、健常者生活に近づこう」とするものであったり、受け止め方はさまざまである。しかしそれらに共通することは、能力主義の文脈における自らの劣位性 の自覚であるとともに/ゆえに、それが「配慮」という名の「排除」である、と、その不当性を言うことの難しさがある。またさらには、「消極的配慮」を受ける障害者 自身が「慎ましくある」ことをよしとし、「積極的配慮」を求めることを遠慮し、結果的に排除を容認しすらする、ということである。
 そんなことは障害者に限ったことではない、と言われるかもしれない。誰しも、努力ではどうにもならない経験の多少はある、がまんや諦めもある、と。しかし図1に 示したように、インペアメント(障害)は、その「差異」と「できない」という事実とによって、単なる差異としてではなく、スティグマとしてたち現れることとなる。 それは明らかに障害を持たない人の経験とは異なる。
 そしてこれまで取られてきた肯定的アイデンティティの獲得のための方法には大きく次の3つがある。1つは、「できる」ようになることである(図2)。そうなれば、 その時点で障害の差異は無化されたことになる。ただしそれは能力による序列を否定するものではない、また、「医療モデル」や「社会モデル」は、そもそもここに位置 する。もう1つは、差異の肯定から始まり、「できない」ことを「ちがい」と認識するというものである(図3)。これは、能力による人の序列を切り崩し、他者との 対等な関係性を保障するものである。聾者との仕事において、手話を積極的に学ぶなどの姿勢はこれにあたると思われる。3つめは、差異に積極的な価値付与を行い、差異 をむしろ必要とするような仕事をする、というものである(図4)。これも、差異を能力による人の序列化から別の次元に誘うと同時に他者との対等な関係性を保障する ものである。

■ 差異とスティグマの関係 図1〜図4 0405ta.doc

 障害者の労働や雇用をめぐる「差別」の問題は、以上から明らかなように、労働市場から/への排除/統合の地平のみで解消できるものではない。それはいうなれば、 裾野に広がる問題群の氷山の一角にすぎない。なぜなら障害者の労働や雇用をめぐる「差別」を理論化するなら、「能力による人の序列化による差異のスティグマ化」と 言えそうだからだ。であれば、能力のある障害者の排除を不当とする現行の差別禁止法は、障害者の「差別」の問題を解決するどころか、「差別」をより強固なものとして 構造化する働きすらあると言える。
 そして以上を前提としたうえで、どのような「配慮」であるべきか。まずは「積極的配慮」が認められるが、それはどのようなものか。単純に言ってしまえば「差異を スティグマに位置させない」配慮である。1つは、「できるための」配慮である。しかしそれでクリアできる人にはさしあたりよいとしても完全に差異を無化することの 困難さ、差異の否定から出発するために当事者の実感に応えるものではない部分が少なからずあること、不可能な場合に当事者の努力に原因が帰責される可能性がある こと、同等であることをねたむ他者の存在、など、追随する問題群がさらに現出化するため、その限界性を感じる。もう1つは、「差異が差異としてあれる」配慮である。 「能力による序列化」をやめることでもある。労働の分配はこうした配慮を前提になされると考える。それをある一部で行うことの弊害については、立岩[2004]で述べられて いる。

【註】
◆01 ADA法においては、「第1章 雇用」において「資格のある障害者」、「適切な設備(配慮)」「不当な困難」について次のように規定している。「資格のある 障害者」とは、「適切な設備(配慮)があれば、あるいは適切な設備(配慮)がなくても、現有のまたは希望する職務に伴う本質的な機能を遂行できる障害者を指す」。 「適切な設備(配慮)」とは、(A)従業員によって使用される現存の施設を障害を持つ人に利用しやすく利用可能にすること。(B)仕事の再編成、パートタイム または勤務スケジュールの調整、空席の採用、機器または装置の取得または改変、試験・訓練教材・方針の適切な調整または改変、資格のある朗読者または通訳者の 提供、および障害を持つ人のためのその他同様の設備(配慮)。「不当な困難」とは、前段(B)に示された要素から見て著しい困難または出費を伴う行為を指す。
◆02 第37会障害学研究会関東部会において、「障害者の権利条約草案―国連作業部会を終えて」と題して、長瀬修他より報告があった。そのなかで、作業部会において 「差別の定義と合理的配慮」が主な論点の1つとなったことが述べられた。間接的な差別も含めいかに差別の定義を広く取るか、また、「合理的配慮」の「合理性」とは どのようなものかという問いも含め、その定義を明確化していくことが今後の重要な課題となっているとのことであった。

■ 文献
アマルティア・セン,1999,不平等の再検討―潜在能力と自由―,岩波書店.
石川准,2004,見えないものと見えるもの―社交とアシストの障害学―,医学書院.
川本隆史,作成時期不明,全世界的な福祉(WWW)を求めて. http://www.arsvi.com/1990/990001kt.htm
斎藤明子訳,1991,アメリカ障害者法,現代書館.
杉野昭博,リハビリテーション再考 「障害の社会モデル」とICIDH-2,社会政策研究.
田島明子,2003, 障害を持つ当事者が希望し、自信が持てる就労のかたちについての一考察―障害者就労に関する雑誌記事と当事者への インタビュ−調査の分析を手がかりにして― ,東洋大学大学院社会学研究科福祉社会システム専攻修士論文.
立岩信也,2001,できない・と・はたらけない─障害者の労働と雇用の基本問題─,「季刊社会保障研究」37-3:208-217.
――――,2004,自由の平等,岩波書店.
田中沙織,2001,障害と道徳−身体環境への配慮−,千葉大学文学研究科人文科学(価値分析論)専攻修士論文.
遠山真世,2004,障害者の就業問題と社会モデル──能力をめぐる試論,社会政策研究04:163-182p2003,
橋本真琴,2002,価値剥奪装置としての差別,ソシオロゴスNo26.
星加良司,2002,「障害」の意味付けと障害者のアイデンティティ―「障害」の否定・肯定をめぐって―,ソシオロゴスNo26.

■ 質問・意見の内容
1 「積極的配慮」と「消極的配慮」について、パターナリズム論から見ると、それぞれの意味内容からして、「積極的」と「消極的」を入れ替えた方がよい。
2 「配慮」を別の言葉に変えた方がよい。
3 障害は種別に分けないで論じるつもりか。しかし、障害によって働けない/働ける理由は異なるのだから、そこは考慮すべきである。
4 労働の価値についてどのように考えているか。「働きたくない」という声をどう考えるか、どこに位置づけるか。
5 援護就労(ジョブコーチ)についてどのように考えているか。(保護就労、割当雇用も含め)、そうした他法・他制度と差別禁止法との位置関係について。
6 どうしたら「価値付与」という状態になれるか。いい方法があるか。                                

以上


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