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当事者性の再検討
連帯の可能性と限界


第4回 Body and Society 発表レジュメ
野崎泰伸(大阪府立大学大学院人間文化学研究科後期博士課程)


はじめに
 私には、当事者運動がもつある種の傾向に、違和感がある。私自身、障害者運動というフィールドにおいて、賃金労働を含め、今年まで13年活動してきた。その中で、 以下に述べていくような違和感を、非当事者である健常者側から言いにくいという雰囲気があり、そのような雰囲気に対しても私は違和感を持つ。
 本発表は、こうした私の違和感がどこに端を発しているのかを明確にする。すなわち、「当事者」という語の正確な使用法を考えようというのである。私は、当事者と いう語に内在する二つの曖昧さこそ、当事者運動をまさに「当事者帝国主義」とでも呼ぶべきところへと追いやってしまっているような気がするのである。そして、それは 当の当事者本人にとっても悲惨な状況をもたらすのである。これを正反対の方向から見れば、「当事者問題」と呼ばれる問題を当事者だけの問題に帰することによって、 あたかも「それ以外の人」は免責されるような幻想を与えうるのである。
 まず、1では、当事者とは何か、また、当事者概念はどこから出てきたのかについて、法律学、社会福祉学、医療現場、社会運動の領域における当事者概念をたどる。 次に2において、私の感じる「当事者」に対する違和感を、その語が現在含むと考えられる二つの曖昧さを指摘することによって照射する。最後に、3において、しかし そのような曖昧さを逐一区別することによる、当事者と非当事者がこの社会で共生することの実際の可能性について議論する。

1 当事者という言説
1)法律学(民事訴訟法)における当事者概念
2)医療現場・社会福祉学における当事者概念
  1 医療場面における患者の自己決定
  2 社会福祉学におけるセルフヘルプの意義
3)当事者運動における当事者概念
  1 障害者運動
  2 フェミニズム

2 当事者概念をめぐる2つのあいまいさ
1)当事者の範囲についてのあいまいさ
2)当事者の語り得る内容についてのあいまいさ

3 当事者と非当事者との連帯―その可能性・限界・止揚について
1)幻想としての連帯
2)私が障害者問題における当事者である、というのはいかなる意味においてか
3)連帯の内実を変えて行く―「漸進主義」としての連帯

最後に
 連帯の内実を作り変えていく、すなわち、幻想が断絶によって破られていく中で、それでもなお連帯の可能性を見出そうとするとき、より理性的なものが重要な役割を 果たす。しかし、そもそも「連帯しよう」と思うようなエネルギー、パワーは、理屈からは出てこない。

参考文献
松本学 「当事者による当事者研究の意義」2002(『教育方法の探求』所収予定)
[所収されているかどうかの確認はしていません。URLをリンクさせておきました]
中西正司・上野千鶴子 『当事者主権』2003,岩波書店
岡真理 『彼女の「正しい」名前とは何か―第三世界フェミニズムの思想』2000,青土社
下地真樹 「連帯?」200403,学習会レジュメ(未発表)
豊田正弘 「当事者幻想論」(『現代思想』1998年2月号 特集 身体障害者)



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