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作家
■『バッテリー II 』 あとがき pp345-350(角川文庫)
この文章を書いている今、二〇〇四年、初夏の夜。空は厚く雨雲に覆われ始めた。明日から、局地的にではあるが警戒が必要なほどの雨が降ると、テレビの天気予報が
告げる。重く湿り気を帯びた夜気の向こうから、アオバズクの、どこか臆病な犬の遠吠えを思わせる鳴き声が響いてくる。
この国を治める人々の弛緩と堕落を漂わせた顔々が、連日のニュース画面に映し出され、無意味な言葉が流れ出る。戦いは止まず、かの地では、今日もまた死者が、
単なる数字としてカウントされていく。
膝の上で、猫が眠る。温かい。七年前、小学校に通っていた娘が、道端に放置されていた黒いビニール袋の中から拾ってきた白い猫だ。「バッテリー」という作品が
出版された四ヵ月後のことだった。あれからずっと、わたしは「バッテリー」というシリーズに拘り続けてきた。囚われ続けてきたと言えるかもしれない。そして、つい
数日前、最後の巻を書き終えた。
おろち峠を越えると、山の斜面には、まだ雪が残っていた。
第一巻の最初の一節をこの手で、書き記してから一〇年がたっていた。全六巻、一〇年の年月を費やして、わたしは一人の少年の一年間を克明に書き切ろうと足掻いて
みた。
春に始まり、春に終わる。夏を挟み、秋が過ぎ、冬が流れていく。
若い未熟な魂に稀なる才能を注ぎ込まれ、過剰な自負と他者への希求を持て余すほどに有する少年をわたしの手で生み出してみせる。書き手としての自負も野心も
一〇年前のわたしは、まだ、確かに所有していたのだ。
今は、ない。満足感も充足感も安堵感もない。心安らぐものは何も、ない。
書き切れなかった。描き切れなかった。ついに、捉え切れなかった。
その想いだけが胸の奥底で渦をまく。耐えかねて目を閉じ、膝をつくわたしの傍らを少年たちが、疾走していく。背だけを見せて、遠ざかる。追いつけなかった。
ふいに、一人の少年が立ちどまり、振り向き、鮮やかに笑う。
だめだ、そんなんじゃ、おれは捉まらないぜ。
そして束の間、誘うように手を差し出し、無情にもまた、背を向ける。
非力なのだ。わたしの言葉があまりに、非力なのだ。
今、この国で言葉を使って表現しようとすることは、力が要る。若い魂と肉体を余すところなく書き切りたいと望むなら、なおのこと、言葉の力が要るのだ。癒しの
ためだけの優しい言葉も、威勢の良いだけの空虚な掛け声も、巷に溢れたありきたりの修辞も、砕けてしまえ。無用だ。そんなものをいくら駆使しても、少年の髪の毛
一本、表すことはできない。
力が欲しい。本物の言葉を創りあげる力を手に入れることができるなら、惜しむものなど何一つないのに。
『バッテリー II 』は、中学校が舞台となる。わたしが、いや、原田巧がここから先、延々と拘り、守り通そうとしてきたものは、自分自身に他ならない。
自分の感性、自分の欲望、自分の想い、自分の身体感覚。
それを捨てない。捨てぬまま、生きる。自分が自分であるために、換言すれば自由であるために、捨てるわけにはいかないのだ。だから、巧は、抗い、拒み、自らが
傷つき、自分にとって最も大切な者を傷つける。なんという傲慢、なんという稚拙。
おまえなんか、最低だ。
豪でなくとも、そう言いたくなるだろう。わたしだって、何度も何度も嘆息したのだ。頭をかかえもした。それでも、巧を変えることはできなかった。傲慢で稚拙な
ままでなければ、ほんの僅かでも、巧が自分の感性や欲望や想いや身体感覚を裏切ったら、この物語は放り棄てられた空き缶ほどの価値もなくなる。作者として、それ
だけは分かっていた。「バッテリー」を少年の成長物語などと言わせるものか。友情物語などに貶めたりしない。絶対にしない。強く、強く、そう思ってきた。わたし
なりに、拒み、抗ってきたのだと思う。負けたくなかった。既成の物語の枠組みに、易々とはめ込まれてしまうような陳腐な物語にして堪るかよ。II を書きながら、幾度、
そんな呻きを洩らしたことだろう。
現実は、人によって変わりうる。わずか十三歳の少年が、現実を大人を変えていくことだって可能なのだ。巧が変わるのではない。彼が周りを変えていくのだ。
可能なのだ、確かに。
わたしは信じていた。そうだ、思い出した。わたしは信じていた。いや、今でも信じている。現実は、人によって変わりうる。
周りを変化させ、自分自身であり続けるために、彼は投げる。ならば、わたしは書かねばならない。巧にはボールがあり、わたしには言葉がある。非力などと、自嘲して
いるときではなかった。悲運の敗者面をして自分の弱さに酔っているときではなかった。力が欲しいなどと嘆いてみせて、どうなるものでもなかった。自らの身体感覚を
感性を欲望を想いを研ぎなおさなければならない。言葉を自分自身から遊離させない。耳触りの良い、ふわふわと浮遊するような言葉を砕くのだ。粉々に。決して砕けぬ
強靭な言葉をもって、もう一度、彼と対峙しよう。
わたしは目を閉じる。呪文のようにつぶやく。
彼は投げる。ならば、わたしは書かねばならない。彼は投げる。ならば……
たかが本一冊じゃないかと嘲笑されてもいい。なんと大仰なと嘲られてもいい。書かねばならないのだ。
膝の上から、猫が床に飛び降りる。拾われてきたとき、小学生の娘の手のひらにすぽりと収まった小さな小さな猫は、わたしが「バッテリー」を書き続ける傍らにいて、
ときに膝の上で、パソコンのキーを打つ指をじっと見つめていたりした。
シリーズが一応、完了した今、娘は親元を離れ、世界有数の大都会トーキョーで暮らし始め、猫とわたしは、静かに老いた。
老いたと思った。書き終えたと思った。捉え切れなかったと思った。少年たちは、青い梅に似た香だけを残して、傍らを走りすぎてしまったと思った。書き手としての
敗北を感じた。しかし、まだ、負けてはいなかった。II を読み直し、手を入れていく作業の中で、わたしは蘇生する。
まだ、負けてはいない。まだ、書ける。書かねばならない。もう一度、あの少年を捉えてみよう。
決して砕けぬ強靭な言葉をもって……
わたしは、のろのろと立ち上がる。少年たちの背中を追って、一歩、足を前に出す。書くことと投げることに、共通点があるとすれば独りだということだろう。
自助の覚悟。自らが自らを引き受けて屹立すること。それが、できるだろうか。これから、その答えを出していこう。それしかない。
独りで立つけれど、投げた球を受けてくれる人はいる。I に引き続き、わたしの荒れ球に根気よく付き合い、受け続けてくれた一人の男性と二人の女性に、今はただ感謝
しかできない。深く頭を下げ、書き続けますからとつぶやくことしか、できない。
あさのあつこ
■角川書店サイト
http://www.kadokawa.co.jp/battery/
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