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「沈黙や失語を受け取る」

北村 健太郎
ボリス・シリュルニク氏講演会・シンポジウム「自分を救え、命があなたを呼んでいる」


「沈黙を強いられたのは、最初は生き延びるため、そしてその後は平穏に過ごすためだった」(Cyrulnik 2012=2014: 194)


 本報告の目的は、1980年代の世界の血友病コミュニティに出現したエイズ問題、特に日本の事例から、 物語らないこと、物語れないことの論点を提供することです。
 近年、ナラティヴや物語が積極的に論じられています。 しかし、ボリス・シリュルニク氏が指摘するように、 他者に物語ることは「自分の私生活をさらけ出すことであり」「語るには苦しみがともな」(Cyrulnik 2012=2014: 197)います。 実際、他者に物語ることは容易ではありません。私たちは普段の生活で自らについて他者に物語ることはほとんどありません。 他者に物語る必要に迫られて物語ることが多いのです。本報告では、何らかのかたちで他者に物語ることを想定しています。 自己が自己に物語ることは措いておきます。
 フランスや日本をはじめ、世界の血友病コミュニティがHIV感染の甚大な影響を受けたことは世界的な出来事ですから基本的に変わりはありません。 しかし、事後の対応は各国によって違いがあります。また、各国の血友病コミュニティがHIV感染の打撃から回復する速度にも違いがありました。 日本の血友病コミュニティは長期間にわたって停滞し、世界血友病連盟への復帰にも時間がかかりました。1980年代の日本の血友病コミュニティでは、 血友病コミュニティのHIV感染の問題をエイズ問題(the AIDS Problem)と呼びました。各国の血友病コミュニティは、対処の分からない問題としてエイズ問題に遭遇しました。 エイズ問題の実態が不明だった1980年代前半は、血友病者と家族は血液製剤の確立された効能と漠然とした不安の狭間で、血液製剤を使わざるを得なかったのです。
 さらに、エイズ問題に向けられる強い差別は、血友病者に沈黙を強いていきます。 血友病コミュニティがエイズ問題を物語ることを避けるようになるのです。例えば、 元気に生活していた小学2年の血友病児がエイズの致死率が高いという報道から死んでしまうと考えたり、 あの子と遊んだらエイズになると遊び友達から仲間外れにされたりする事例がありました。また、クリーニング会社に勤めていた当時21歳の血友病者は、 会社に説明して血液製剤を冷蔵庫に置いて、ときに会社で注射をしていました。しかし、エイズ問題と血友病とのかかわりがマスメディアで報じられると、 徐々に青年は体調が悪くても会社での注射を避けるようになりました。会社の漠然とした不安を感じ取った青年は、 何も言われていないのに血液製剤を冷蔵庫から自ら引き揚げて転職を考え始めました(大西 1983: 40)。 血友病者の社会参加を支えてきた血液製剤という自立の基盤が崩れていきました。また、これらの差別は現在も完全に解消されたとは言えません。
 エイズ問題では、血液製剤を通じて一部の血友病者がHIVに感染し、一部の血友病者がHIVに感染しませんでした。 血友病者でもHIV感染者とHIV非感染者のあいだのコミュニケーションは困難となって、血友病コミュニティに分断が起こりました。 例えば、大阪ヘモフィリア友の会のH.K.は、血友病者の間に起こった明暗を述べて、会員に慎重な対応を呼びかけています。


 現在HIV抗体検査の結果を告知すべきかどうか否かという論議がなされていることは皆様ご存知の通りですが、これは慎重に行うべきものと思います。 何故なら同じ血友病患者でありながら、一方はプラスの人、他方はマイナスの人とくっきり明と暗に二分されることになり、 幸にしてマイナスであった人は胸をなでおろし少なくともHIVからのがれることが出来たという安堵感にひたることが出来ます。しかし、プラスと言われた人はどうでしょう。 現実に発症する人は少ないのだと言われてもその本人と家族にとってはやはり死の宣告を受けたにも等しい衝撃でありましょう。 HIV抗体検査結果を告知することによりそれがどのような心理的状況を生み出すかということを考えてみる必要があります(H.K. 1986)。


 血友病者はHIV感染者とHIV非感染者の二つに切り裂かれ、血友病者同士の関係を破壊しました。エイズ問題とは、血友病者の生命を激烈に奪っただけでなく、 コミュニティ破壊でもあります。1989年、後天性免疫不全症候群の予防に関する法律、 エイズ予防法(the Law of Prevention of AIDS)というHIV感染者を社会的に隔離する要素をもった法律が成立してしまいました。
 エイズ予防法の成立を直接的な引き金として、血友病者の一部から国家賠償訴訟が提起されました。この訴訟や運動を通じて、 血友病者のエイズ問題にかかわる物語がマスメディアに取り上げられました。そのため、多くの人々がエイズ問題で想起するのは国家賠償訴訟であり、 訴訟や運動の中心を担ったHIVに感染した血友病者やその家族、支援者です。エイズ問題は、訴訟や運動に参加した血友病者には多くの人々に物語る必要に迫られた出来事でした。 HIV感染した血友病者は多くの人々に物語ることを通じて、自らの身体に直接受けた苦難を多くの人々に知ってもらい、訴訟や運動の支持の拡大を目指したのです。 特に、被害者とされる血友病者と加害者とされる医療専門職、製薬企業、厚生省という分かりやすい物語は多くの人々に受け入れられ、 訴訟を実質的勝訴である和解に導く原動力の一つとなりました。
 しかし同時に、感染しなかった血友病者がいます。HIV非感染の血友病者は何も問題なく、平穏な日々を送ったでしょうか。HIV非感染の血友病者には、 エイズ問題はどのような意味があるのでしょうか。
 エイズ問題は、HIV非感染の血友病者のかけがえのない友人を奪い、HIV非感染者が残されました。 HIV非感染の血友病者が感じた「死をくぐり抜けた」(Cyrulnik 2012=2014: 196)あるいは生き延びたという感覚は、自らがHIVに感染して死んだかもしれない裏返しです。 同じ処理をした血液製剤を使いながら、なぜ彼は死んでいき、私は生き残っているのか。友人の死を目の当たりにして、 多くのHIV非感染の血友病者に迫る詰問に自問自答したと思われます。自分が死んでいたかもしれないという思いを完全には打ち消すことは困難です。 今生きていることを素直に喜べない複雑な心境になりました。シリュルニク氏が指摘するように「悩む者は、自ら進んで沈黙するのではなく、 いつの間にか沈黙せざるをえなく」なるのです(Cyrulnik 2012=2014: 162)。シベリアの強制収容所の生活を経験した詩人の石原吉郎氏の表現では、 失語と言えるかもしれません(石原 2005)。
 エイズ問題は、HIV非感染の血友病者、訴訟や運動に参加しなかった人々、途中から訴訟や運動からやめた人々にも深い傷を残しました。 多くのHIV非感染の血友病者は、訴訟や運動から離れて、静かに淡々と生活しました。シリュルニク氏の著書には以下の引用があります。


 「生き残った者たちの唯一の回答は、無言、どぎれどぎれの会話、過去の話題の拒否(……)、完全黙秘など、あらゆる形式の沈黙だ」(Cyrulnik 2012=2014: 162-163)


 マスメディアは、訴訟や運動にかかわる物語を取り上げましたが、HIV非感染の血友病者や訴訟や運動に参加しない人々を取り上げることはありませんでした。 HIV非感染者や訴訟や運動に参加しない人々が、物語らなかった、あるいは物語れなかったからです。 元大阪原告団代表の花井十伍氏が指摘するように「物語性や個人史的なものは静かなものであって、そんなに派手なものではない」(花井・井口・中塚 2014: 243)ですし、 悲しい記憶を思い出すことは辛いことです。
 マスメディアも、HIV非感染者の静かな物語を掘り起こすよりも、訴訟や運動にかかわっているHIV感染者や支援者の派手な物語を描くほうが多くの人々に受け入れられやすく、 コスト・パフォーマンスがよいと判断したと思われます(郷原 2007: 120-122)。 マスメディアは、国家賠償訴訟やそれを支援する運動を中心とした派手な物語を多くの人々に伝えました。この物語じたいは、おおまかには間違ってはいません。 しかし、血友病コミュニティを直撃したエイズ問題は、ほとんど訴訟や運動という範囲でのみ物語られました。そのため、HIV非感染の血友病者への観点が欠落して、 エイズ問題を血友病者同士の関係、血友病コミュニティの破壊として捉えにくくしたのです。エイズ問題は、訴訟や運動が提起した論点よりも広範な枠組みから、 全体像を捉える必要があります。
 エイズ問題にかかわる訴訟や運動のような派手な物語ではなく、血友病コミュニティに強いられた沈黙や失語、淡々と暮らす人々の静かな物語を考えるうえで、 アラン・ストラットン氏(Allan Stratton)の小説『沈黙のはてに』(Chanda’s Secrets)が貴重な示唆を与えてくれます。英語原題の「秘密」(Secret)に対して、 日本語訳題では「沈黙」(Silence)が使われているのは象徴的です。 小説は「サハラ以南のアフリカ」の「架空の国」で暮らす「ひとりの若い女性とその家族についての個人的な物語」 (Stratton 2004=2006)を描いています。もちろん、血友病コミュニティと小説で描かれるコミュニティに強いられる沈黙には、問題の背景をはじめとして様々な違いがあります。 しかし、エイズに向けられる強い差別は、血友病コミュニティに沈黙を強いてきましたし、小説でも沈黙を強いるコミュニティを淡々と描写しています。
 エイズ問題では、物語らないこと、物語れないことが背景にあります。 現在でも、血友病者やその家族、血友病コミュニティが1980年代から1990年代に受けたエイズ問題の傷は完全には癒えていません。 ストラットン氏の小説では「個人的な物語」というかたちで、強いられた沈黙を描こうとしました。シリュルニク氏の著書も、 自身の「個人的な物語」が全体を貫いていますから長く強いられた沈黙を他者に語ることができます。 マスメディアが取り上げなかった強いられた沈黙や失語、淡々と暮らす人々の静かな物語に注意を向けることは、 「個人的な物語」をはじめとするミクロな出来事に向かいます。思想史研究者の市村弘正氏は、 沈黙や失語、静かな物語のような「見ていて見えていないもの、埋もれているもの、隠されてあるもの、伝わりにくいもの」を捉えるときには、 私たちに言葉に対する「動態視力を要請する」と述べています(市村 1994=2004: 208)。 言葉への繊細な感覚は「埋もれているものの深さ、隠されてあるものの奥行き、沈黙するものの拡がり、見えないものの動き、忘れられているものの遠さ」 (市村 1994=2004: 213)を考えることになります。
 エイズ問題を血友病コミュニティの破壊として捉えていないために、エイズ問題の沈黙や失語、静かな物語を考えることができないのです。 マスメディアが取り上げたような1980年代以降の派手な物語に気を取られると、血友病コミュニティの歴史の奥行きを捉え損ないます。沈黙や失語、静かな物語は、 容易に他者に物語れないことなのだから分かるわけがない、と言うかもしれません。しかし、私たちが相手の沈黙や失語、静かな物語を受け取っていない可能性があります。 あるいは、私たちが受け取っていないために、相手を社会的に沈黙や失語にしたかもしれません。実際、1970年代以前の日本の血友病コミュニティの歴史は忘れられていました。 昨年9月、私は血友病コミュニティの歴史を主題とした著書を公刊して、 日本の1960年代後半から1980年代の血友病コミュニティの歴史を論じました。英語圏では、エイズ問題による“hemophilia community”の破壊に着目して、 戦後アメリカの血友病コミュニティの歴史を論じたスーザン・リスニク(Susan Resnik)の研究があります(Resnik 1999)。 血友病コミュニティの歴史を主題とした先行研究は世界的にも少ない状況です。マスメディアと研究者の両者を意識して、訴訟や運動に偏った枠組みの是正するために、 私は沈黙や失語、静かな物語などの埋もれているもの、伝わりにくいものに着目しています。
 私が忘れられていた日本の血友病コミュニティの1970年代の歴史を救出したのは、単に過去に遡るだけではなく、 エイズ問題で発生した血友病コミュニティの世代間の断絶を解消して、新しい世代へ歴史を手渡すためです。ストラットン氏の小説から引用すれば 「過去を変えることはできないが、未来は変えることができる」(Stratton 2004=2006: 347)という未来への一助になることを目指しています。
 2010年4月、全国ヘモフィリアフォーラムが開催されました。私は全国ヘモフィリアフォーラム実行委員会からの依頼を受けて、 新たに血友病コミュニティに参加される血友病者やその家族に向けた歴史スライド「日本の血友病者たち――1960年代から現在まで」の原案作成に協力しました。 後日、送付されてきた開催報告書のアンケートによれば、「歴史のスライドはとても分かりやすくて良かった」 「若い人・若いお母さんたちに過去の様々な出来事をもっと伝えていきたい」 「若い医療者に聞かせたい」「過去に戦った方々のおかげで現在の状況があることを実感」「未来を拓くという意味で重要」 (全国ヘモフィリアフォーラム実行委員会編 2010: 85-86)と、おおむね好意的に受け止められたようです。
 私たちは普段の生活で他者に筋道立てて物語ることは稀です。どう言っていいか分からない、言葉にならない、という経験はよくあります。 シリュルニク氏も「しゃべる能力を身につけなければならなかった」(Cyrulnik 2012=2014: 196)と述べているように、物語ることには一定の能力を要求します。 物語を他者に向けて書くならば、物語ることとは別の能力が要求されます。今ここに参加している人たちは、他者に語ったり書いたりする一定の能力があります。 物語ることや書くことでは編集によって新たな沈黙が生まれます。物語と沈黙は常に表裏一体です。 シリュルニク氏は沈黙や失語の保護効果を認めています(Cyrulnik 2012=2014: 162)。しかし、物語ることを選択されたので、 現在も沈黙や失語にある人々を読者に想起させられません。
 本報告では、エイズ問題が血友病コミュニティに強いた沈黙や失語、淡々と暮らす人々の静かな物語から、物語らないこと、物語れないことを述べてきました。 多くのHIV非感染の血友病者が物語らないことを選択して沈黙したのではなく、差別的な法律などが物語れないようにしました。 また、HIV非感染の血友病者の生き延びたという後ろめたさや、訴訟や運動では自らの「命を守るために口に出せないこと」が考えられます。 訴訟や運動が終わっても「他人に理解してもらえそうなことしか語れ」ません(Cyrulnik 2012=2014: 164)。多くのHIV非感染の血友病者に沈黙を強いたのは社会の差別です。 HIV非感染者の沈黙や失語、静かな物語の含意をどれだけの人が、どれだけの研究者が自覚しているでしょうか。血友病コミュニティの事例を通じて、 私たちは相手の沈黙や失語、静かな物語を受け取る可能性を考えること、逆に、私たちが相手を社会的に沈黙や失語にしてしまう可能性を指摘しました。
 現在、日本の血友病コミュニティは、 一般社団法人ヘモフィリア友の会全国ネットワーク(National Hemophilia Network of Japan)のもとに結束して活動しています。 今年の全国ヘモフィリアフォーラム2015では、 フランスからナダージュ・プラディーヌ(Nadege Pradines)氏を招聘して、女性血友病者の率直な思いをお聴きしました。血友病コミュニティのレジリエンス(Resilience)とは、 エイズ問題の訴訟や運動を通じた積極的な政治参加の自覚だけではなく、沈黙や失語のまま生き延びて淡々と静かに暮らした生活です。 私たちは、沈黙や失語の言葉にならない経験に、物語と同じように向き合う態度が求められています。



■参考文献
Cyrulnik, Boris, 2012, Sauve-toi, la vie t'appelle,Odile Jacob,291p. =20140310 林 昌宏 訳,『憎むのでもなく、許すのでもなく――ユダヤ人一斉検挙の夜』,吉田書店,341p.  ISBN-10:4905497191 ISBN-13:978-4905497196 2300+税 [amazon][kinokuniya] ※ s03
◆郷原信郎, 2007, 『「法令遵守」が日本を滅ぼす』,新潮社(新潮新書),190p.  ISBN-10: 4106101971 ISBN-13: 978-4106101977 680+税  [amazon][kinokuniya]
◆H.K.,1986,「HIV抗体検査結果の告知に伴う患者の心理的背景」大阪ヘモフィリア友の会.
◆花井十伍,井口高志(聞き手),中塚朋子(聞き手),2014,「薬害HIV被害者の当事者性とは何か?――花井十伍に聞く」『支援』4:234-272,生活書院.
市村弘正, 1994, 『小さなものの諸形態――精神史覚え書』,筑摩書房,204p.  ISBN-10: 4480842322 ISBN-13: 978-4480842329 欠品 [amazon][kinokuniya]  → 20040407 『増補 小さなものの諸形態――精神史覚え書』,平凡社(平凡社ライブラリー),258p.  ISBN-10: 4582764967 ISBN-13: 978-4582764963 1200+税 [amazon][kinokuniya]
◆石原吉郎, 2005, 『石原吉郎詩文集』,講談社(講談社文芸文庫),307p. ISBN-10: 4061984098  ISBN-13: 978-4061984097 1400+税 [amazon][kinokuniya]
北村健太郎, 2010,  「突き返される問い――「研究」「研究者」「大学」を問う手前で考えるべきこと」 山本崇記高橋慎一『「異なり」の力学――マイノリティをめぐる研究と方法の実践的課題』:349-374. 生存学研究センター報告14,408p. ISSN 1882-6539 ※
北村健太郎, 2014,  『日本の血友病者の歴史――他者歓待・社会参加・抗議運動』,生活書院,304p.  ISBN-10: 4865000305 ISBN-13: 978-4-86500-030-6 3000+税  [amazon][kinokuniya][Space96][Junkudo][Honyaclub][honto][Rakuten][Yahoo!] ※
『日本の血友病者の歴史――他者歓待・社会参加・抗議運動』表紙画像
(クリックすると大きな画像で見ることができます)
◆大西赤人,1983,「AIDS現象――あるいは魔女狩りの季節」『話の特集』216:33-43.
◆Resnik, Susan, 1999, Blood Saga: Hemophilia, AIDS, and the Survival of a Community, University of California Press.
◆Stratton, Allan, 2004, Chanda’s Secrets, Annick Press Led.(=2006,さくまゆみこ訳『沈黙のはてに』あすなろ書房.)
◆全国ヘモフィリアフォーラム実行委員会,2010,『全国ヘモフィリアフォーラム開催報告書』全国ヘモフィリアフォーラム実行委員会.



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