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老いてさまよう:鳥かごの家から
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毎日新聞特別報道グループ


■連載目次
「老いてさまよう:鳥かごの家から/1(その1)高齢者囲い込み」『毎日新聞』2012年12月24日
「老いてさまよう:鳥かごの家から/1(その2止)「自宅」扱い、責任不在」『毎日新聞』2012年12月24日
「老いてさまよう:鳥かごの家から/2 リハビリもできず」『毎日新聞』2012年12月25日
「老いてさまよう:鳥かごの家から/3 話し相手もなく」『毎日新聞』2012年12月26日
「老いてさまよう:鳥かごの家から/4 介護選択肢なく」『毎日新聞』2012年12月27日
「老いてさまよう:鳥かごの家から/5 誰とも交わらず」『毎日新聞』2012年12月28日
「老いてさまよう:鳥かごの家から/6 制度のはざまで」『毎日新聞』2012年12月29日
「老いてさまよう:鳥かごの家から/7止「とにかく住まいを」」『毎日新聞』2012年12月30日

「老いてさまよう:鳥かごの家から/住人たちの年始「居場所はここだけ」」『毎日新聞』2013年01月24日
「老いてさまよう:鳥かごの家から/反響特集 長生き、喜べぬ現実「富の不平等、いつまで」」『毎日新聞』2013年01月24日

「老いてさまよう:ある老健より/1(その1)神奈川の認知症「駆け込み寺」老健、みとりの場に」『毎日新聞』2013年04月03日
「老いてさまよう:ある老健より/1(その2止)神奈川の認知症「駆け込み寺」選別され、出ては戻り」『毎日新聞』2013年04月03日
「老いてさまよう:ある老健より/2(その1)認知症の妻、がんの夫が支え」『毎日新聞』2013年04月04日
「老いてさまよう:ある老健より/2(その2止)敬遠される男性」『毎日新聞』2013年04月04日
「老いてさまよう:ある老健より/3 身体拘束の痛み」『毎日新聞』2013年04月05日
「老いてさまよう:ある老健より/4止 家で食事、妻が笑う」『毎日新聞』2013年04月06日


 
「老いてさまよう:鳥かごの家から/1(その1)高齢者囲い込み」『毎日新聞』2012年12月24日 東京朝刊

 介護が必要になった人が行き場を失い、さまよいたどり着く「家」がある。介護事業者が介護報酬をあてこみ、賃貸住宅に集めて囲い込んでいるのだ。各地で増えているが、高齢者施設とみなされないため、法律の制約は少ない。東京郊外のマンションでは互いの交流もない孤独な生活が続き、生きる意欲も奪われていく。鳥かごのような家で何が起きているのか。記者はこの夏から一室を借りて住むことにした。

◇民間集合住宅、介護報酬目当て 徘徊恐れ、空き缶の警報器
 東京・八王子。昨年6月に都内の介護事業者が、不動産会社の管理する古い6階建てマンションの空き室を利用して事業を始めた。今は2階と3階の10室が埋まる。6畳一間にユニットバス・トイレ付き。設備投資はいらない。家賃も入居者10人がそれぞれ負担する。2階の別の1室をヘルパーの詰め所にあて、日中は通常女性2人が「訪問介護」を担当する。夕方からは夜勤1人だけになる。
 麦わらさん。記者が心の中でそう呼ぶことにした男性が入居したのは7月12日。記者が住む部屋のはす向かいだ。70代に見える。部屋のドアにヘルパーが空き缶をぶら下げた。その意味はほどなくわかる。
 翌日、男性がドアを開けて出ると、缶の音が薄暗い2階の中廊下に響く。麦わら帽子を持って外出しようとしている。年配の女性ヘルパーが詰め所から飛び出してきた。
 「どこ行くの?」「下」「階段とか危ないからね。ごめんね」
 手を引かれ、部屋に連れ戻された。認知症で、徘徊の心配があるようだ。他に9人の入居者がいるため付き添って散歩に行く余裕はないのだろう。ヘルパーも疲れ切っている。
 数分後、再び空き缶の音。ヘルパーが立ちふさがる。「ご飯ができるまで休んでて」「もうずっと休んでるよ」「じゃあテレビ見てて」「いや」「いいじゃない。みんなそうしてるんだから」
 次の日、部屋のドアに風鈴もぶら下げられていた。ドアが開くと空き缶と風鈴の音がする。二重の「警報器」なのだ。
 廊下にはパイプいすが一つ置かれた。麦わらさんは多い日で40回以上、廊下に出た。麦わら帽子をかぶって日の当たらない廊下を歩き、いすに座る。入居からひと月近くたったころ、記者は「ここの生活はどうですか」と声をかけた。麦わらさんは「慣れるしかないんだよ」と言った。
http://mainichi.jp/select/news/20121224ddm001040043000c.html
 記者があいさつしてもやがて反応が少なくなり足元もふらつく。いすに腰掛け、うなだれる姿が気になった。
 収入が低く、蓄えも乏しいため有料老人ホームなどに入れない人たちは介護事業者の大事な「顧客」だ。年金や生活保護費で家賃を払い、居続けてもらえれば介護保険で確実な収入を見込める。しかもあくまで入居者の「自宅」。施設のように職員配置基準やスプリンクラーの設置義務はない。
 火事になったらどうするのか。社員の一人は言う。「考えても仕方がない」(この連載は山田泰蔵、田中龍士、中西啓介、川辺康広が担当します)

ドアノブに付けられた風鈴と空き缶。麦わらさんが外出しようとすると、音が鳴ってヘルパーに知らせる=東京都八王子市で(拡大写真)
http://mainichi.jp/select/news/20121224ddm001040043000c2.html

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「老いてさまよう:鳥かごの家から/1(その2止)「自宅」扱い、責任不在」『毎日新聞』2012年12月24日 東京朝刊

<1面からつづく>
 「鳥かごの家」で暮らす認知症の麦わらさんがふらりと外へ出たのは8月20日夕方のことだった。介護事業者が介護の必要な人たちを囲い込む東京都八王子市の賃貸マンション。部屋のドアを開けたことを知らせる空き缶と風鈴の「警報器」が廊下で鳴ったはずだが、詰め所のヘルパーが聞き逃したらしい。
 右足を引きずり、倒れそうになりながら近くの道路を懸命に歩いている。心配してあわてて連れ戻しに行くヘルパー。麦わらさんは記者と目が合うと「どうも」と言って右手を上げた。夏の青空を仰ぎ、陽光を全身に浴びたからか。初めて見る満面の笑みだった。
     ×
 この事業者の関連会社は以前、堺市の賃貸マンションに高齢者11人を住まわせていた。徘徊防止のため、非常階段にロープを張った。ほかにも同様のマンションが大阪市内に3カ所。病院を回って高齢者を集める営業用のパンフレットには「24時間見守る体制を整備している」とあった。
 堺市が昨年8月、高齢者虐待の疑いで立ち入り調査したのを機に関連会社は大阪から撤退する。事業者の拠点は東京・多摩地区に移った。大阪と同じ方法で入居者を管理すれば再び行政の指導を受けかねない。ロープではなく「警報器」を使うのは、そのためだ。
 家賃は、生活保護受給者の利用を想定してか、住宅扶助の上限とほぼ同じ5万2000円。冷凍された食材を温めるだけの食事代3万円などと合わせて月8万円余りかかる。ほかに介護保険の1割を負担すると月に10万円を超える。
 麦わらさんは年金でなんとかまかなう。入浴は介助の付く週2回のみ。食堂や集会所のような共有スペースもない。低料金の施設を望む人もいるが順番待ちが多く、空きはなかなか見つからない。この事業者は多摩地区にある計3カ所のマンションで、要介護度1〜5の40人近い高齢者を集め、訪問介護事業を展開する。各地を転々とし、ここへ来た男性もいる。行き場のない人たちの「受け皿」になっているのだ。
 昨年1月、同じ事業者が運営する別のマンションで男性が未明に入浴中、死亡する事故が起きていた。事業者は「介護中ではなかった」として行政に報告していない。社長(40)が取材に答えた。「ここは施設ではなく自宅。24時間見守る契約ではないし、責任を問われても困る」

残暑の昼下がり。外出した麦わらさんは、ヘルパーに抱えられながらマンションに戻っていった=2012年9月(拡大写真)
http://mainichi.jp/select/news/20121224ddm041040064000c.html
 麦わらさんは時々外へ出るようになる。おおよその居場所がわかるGPS(全地球測位システム)機能付き携帯電話を持たされていた。だが、安全は保証できない。10月12日午後、麦わらさんは近所を走る4車線道路の中央分離帯に立っていた。信号も横断歩道もないのに車道へ歩き出す。「危ない」。気づいた記者は行き交う車に両手を振って知らせた。間一髪だった。
     ×
 麦わらさんが昨年夏まで働いていたカフェテリアが東京・日本橋にあった。軽食作りの担当だったが、注文をたびたび間違えるようになり、店を辞めざるを得なくなった。入院を経てこのマンションに来た。離婚歴があり、たまに訪ねて来るのは弟くらいだ。
 記者は部屋を訪ねた。70代に見えたが、65歳だった。ロック音楽や映画が好きらしい。CDコンポとDVDプレーヤーが並んでいる。接続されていないので動かない。
 「友達に会いに行く」。師走の昼下がり、季節外れの風鈴がチリンと鳴った。入居して5カ月が過ぎた今もここがどこだかわからない。
     ◇
 次回からは社会面で掲載します。

◇特養待機者、推計42万人
 高齢社会に伴い、介護施設や高齢者向け住宅の需要は高まる一方だが、国や自治体は財政難から比較的低額で入所できる特別養護老人ホームの新規開設を抑制してきた。特養の待機者は全国で42万人と推計され、厳しい在宅介護を強いられる世帯も多い。国は特養などの施設の代わりに、民間業者によるサービス付き高齢者向け住宅の充実を目指しているが、特養の倍以上の費用がかかる住宅がほとんどだ。

■ことば
◇訪問介護
 介護保険で受けられるサービスの一つ。ヘルパーが自宅を訪問し、1人では難しい排せつや入浴、食事介助などの身体介護を行うほか、必要に応じ家事を援助する。事業者が受領する報酬のうち1割を利用者、残りを自治体が負担する。地域を巡回し訪問する形態が想定されていたが、近年は一般のマンションの他、住宅型有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅に事務所を併設し、入居者のみに訪問介護をする事業者が増えている。

マンションの見取り図(拡大写真)
http://mainichi.jp/select/news/20121224ddm041040064000c2.html

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「老いてさまよう:鳥かごの家から/2 リハビリもできず」『毎日新聞』2012年12月25日 東京朝刊

◇62歳・元すし職人「何やってるんだろう」
 「鳥かごの家」でなぜか時折、中廊下を掃きそうじする入居者がいる。サブローさん(62)だ。介護事業者が要介護の人たちを囲い込む東京都八王子市の賃貸マンション。部屋を訪ねた。
 「こちらにはいつ?」「わからんね」。記憶はあやふやだ。「お仕事は」と尋ねた時、うれしそうな顔になった。「すし屋だよ」。ノートの表紙に「闘病記」と書いた日記がある。取材と断り、見せてもらった。雪が残る今年1月の寒い朝、通勤途中で脳梗塞になり、半年間リハビリ病院に入院していたらしい。左半分の視野がないという。日記は病院で書き始めた。
 <7月11日 記憶のけんさをした。でんたくを使って計算の問題をした>
 <7月24日 サンポは気持ちよかったです>
 リハビリを重ね、社会復帰をめざす意欲がにじむ。しかし、8月下旬、今のマンションへ移ると日記の内容は一変する。
 <何をしたらいいか分かりません。(廊下の)そうじをたのまれたからしたけど、つかれた>
 <ここがどこなのかわからない。何をやっているのだろうオレは>
 気力が萎えていくように見える。食事の配膳や入浴介助はあるが、病院のようなリハビリ訓練はない。
 4歳上の姉が神奈川県西部の町にいた。
 サブローさんは岩手県の小さな町で5人きょうだいの末っ子に生まれた。父親が働く鉱山が閉山し、中学を出て都内のすし店に住み込みで働き、結婚して長男をもうけた。店を持ったが、なじみ客や友人に気前よくおごり、従業員にだまされて店を失う。妻子と別れ、すしのチェーン店に雇われてからはアパートで1人暮らしだった。
 長年、支援してきたのが姉の夫(71)だ。<(義理の)兄貴にはめんどうばかりかけてすみません>。日記にそう書かれていたことを記者が伝えると、姉夫婦は涙ぐんだ。
 家賃を含め約11万円かかる費用は当面、健康保険からの傷病手当金でなんとかまかなえるが、それも1年半で切れる。支える姉夫婦にも限界がある。「弟も将来は施設がいいと思うけれど、家賃は安い方がいい。わたしらも年金生活だから」
http://mainichi.jp/select/news/20121225ddm041040106000c.html
 サブローさんを事業者に紹介したのは、リハビリ病院だった。診断は脳に記憶障害が残る高次脳機能障害。入院が180日を超えると医療保険は適用されない。退院しても、帰る家も支えてくれる家族もない。病院のソーシャルワーカーは受け入れ先を探すため、各地の有料老人ホームなど40カ所以上に当たった。しかし、年齢がまだ若いことや費用が高いことから見つからなかった。
 「どんな所か分からず、不安もあったが、傷病手当で収まる場所は他になかった」。ソーシャルワーカーが退院の期限寸前で行き着いたのが、以前、営業でパンフレットを置いていったこの事業者だった。
 事業者に患者を紹介した病院は、ほかに少なくとも五つある。
     ×
 サブローさんの日記には名前を書き連ねた日がある。腕のいい職人で人気者の「さぶちゃん」を知る人たち。一人一人に話しかけているかのようだ。最後に幼いころ別れた息子の名前があった。
 <会いたい>=つづく
http://mainichi.jp/select/news/20121225ddm041040106000c2.html

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「老いてさまよう:鳥かごの家から/3 話し相手もなく」『毎日新聞』2012年12月26日 東京朝刊

◇92歳、認知症の女性
 掃除のモップをつえ代わりにして、背中の丸まった女性が夜勤ヘルパーのいる詰め所を訪ねてきた。介護の必要な人たちを介護事業者が囲い込む東京都八王子市のマンションは夜になると、職員は1人になる。
 「おなかがすいたんですか?」
 「だって(夕食を)持って来ないんだもの」
 「お魚食べたでしょ、白身の魚」
 重い認知症のようだ。「わたしはここにいるけど、家はあるんですから」
 「あなたの家はもうないの。家はここ」
 入居者10人の多くは家族と疎遠だ。
 記者は2階にある女性の部屋を訪ねた。ほとんど物のない6畳間の壁に短冊が1枚飾ってある。ここに来る前に入院していた時に書いたようだ。<みんな一緒に早く元気になって 私も頑張ります>
 父親は小学校の校長、自分も北海道の小学校で教師をしていたという。年齢は「88歳」。実際は92歳だ。同じ話を繰り返す。北海道のことだ。「あっちは寒いけど過ごしいいから。それで、あなたはわたしがここにいることがよくわかったわね」
 マンションから一歩も出たことはない。窓の外には川沿いの桜並木の向こうに秩父の山並みが見える。「ここから眺めてるだけなの」
 何かやりたいことは?と尋ねた時だ。「なにがやりたいもんですか。ベッドの上に縛り付けられて。島流しですよ」
 訪ねて来る人はほとんどいない。人と話をしなければ認知症も進行するばかりだ。入居者の中で、日に何回か部屋のドアから顔をのぞかせ、「もしもし、もしもし」と繰り返す認知症の人がいる。ヘルパーを呼んでいるのだ。しかし、気づかれずにあきらめることも多い。日中は通常、ヘルパーは2人だけ。認知症のケアまで手が回らない。
 介護保険法は介護状態を軽くしたり、悪化させないようにしたりすることを目的にうたう。だが、要介護度が上がるほど、事業者の介護報酬は上がる。「入居者の状態が重くなれば会社はカネになる」。元社員の一人は幹部の言葉を覚えている。
 女性には家族と過ごした小さな家が同じ多摩地区に確かにあった。夫と死別後は独り身の妹を呼び寄せ、2人で暮らしていた。妹はたまに姉の顔を見に行く。「あそこで24時間見てもらって安心しています」。妹も話し相手を失った。近所の人は「妹さんも言動がおかしくなってきたから認知症かもしれない」と心配する。
 家のそばには、姉が元気なころに2人で散歩をした多摩川が流れる。
      ×
http://mainichi.jp/select/news/20121226ddm041040083000c.html
 女性の部屋で記者との会話が続く。「それにしてもあなた、ここにわたしがいることがよくわかったわね」
 部屋が少し寒いせいなのか、久しぶりの来客で人恋しかったからか。記者のあごひげに手を伸ばし、触れた。
 「ここはあったかそうねえ」=つづく
http://mainichi.jp/select/news/20121226ddm041040083000c2.html

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「老いてさまよう:鳥かごの家から/4 介護選択肢なく」『毎日新聞』2012年12月27日 東京朝刊

◇66歳、左半身まひの男性
 「鳥かごの家」に記者が入居して3カ月たった9月末になっても顔を見ない人がいた。介護が必要でも行き場がない人たちがたどりついた東京都八王子市の賃貸マンション。隣室から人の気配を感じるのは、止まっては動くエアコンの室外機の音だけだ。
 夕方、隣室を訪ねた。暗闇で声がした。「ベッドから起き上がれないので手を貸してもらえますか」。左半身がまひしている。睡眠導入剤を常用しているせいで寝たり起きたりの繰り返しだ。昼夜の区別もつきにくい。ヒデオさん、66歳。
 明かりをつけると、本棚にIT関連の本が100冊近く並んでいた。2台のパソコンはパスワードが思い出せず動かせない。「ネットビジネスで一もうけしたかったけどね」。ここに来る前は都心の池袋にある自宅兼事務所の賃貸マンションでリフォーム会社を経営していた。苦学して有名私立大の大学院を修了し、夢だった起業を果たした。独身を通し、仕事が生きがいだった。3年前の春、脳梗塞で倒れた。収入が絶たれ、蓄えも底をつく。豊島区から生活保護を受けた。
 「歩けないから外には出ない。部屋で転んでも立ち上がるのに1時間かかるんだ」。ヒデオさんの部屋と同じ2階に詰め所を置く介護事業者の「訪問介護」で介助を受けるが、足腰が弱った。要介護3。介護プランを立てたのは、この事業者のケアマネジャー。リハビリ訓練をしたいと頼んでも聞いてもらえなかった。
 要介護認定されれば本来、リハビリやデイサービスの利用など本人の希望を聞いて介護のプランが作られる。だがここでは、選択肢を与えられていない。ほかの事業者を利用させれば、その分この事業者の介護報酬が減る。ヘルパーは記者に「いずれ寝たきりになるでしょう」と言った。
 ヒデオさんをここに紹介したのは豊島区役所だ。役所と事業者のパイプができたのは、社長が営業に来たのがきっかけだった。生活保護を受けるヒデオさんがすぐに入れる施設はない。特別養護老人ホームへの入居を待つ区内の生活保護受給者は今も約100人。区の担当者は「空きがある」という言葉にひかれた。区は社長が訪問介護事業を展開する都内3カ所の賃貸マンションにこれまで5人を紹介している。区の担当者は「本人から目立った不満は聞いていない」と言う。しかしヒデオさんは記者にこう話していた。「ただその日が終わるのを待っているんです」
      ×
http://mainichi.jp/select/news/20121227ddm041040098000c.html
 11月中旬、部屋を再び訪ねた。スナップ写真が飾られていた。記者がかつての同業者仲間を探し、ヒデオさんと一緒に台湾旅行した時の一枚をもらって渡していたものだ。
 「また、働きたいね」。声は弱々しく聞き取れないほどだ。誕生日を迎えたこの日、約1時間の訪問中にベッドから起き上がることはなかった。
 記者がこのマンションに入居して5カ月たった冬。一度も顔を見ていない人がまだほかに2人いる。=つづく
http://mainichi.jp/select/news/20121227ddm041040098000c2.html

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「老いてさまよう:鳥かごの家から/5 誰とも交わらず」『毎日新聞』2012年12月28日 東京朝刊

◇「天涯孤独」86歳女性
 夕方、決まって小さなポリ袋を手にゴミ置き場へ行く女性がいる。前をじっと見すえ、人を寄せつけない。介護が必要になっても行き場のない人たちを介護事業者が囲い込む東京・八王子の賃貸マンション。声をかけても返事がない。
 その女性(86)は昨秋、ここへ来た。記者が前の住所を訪ねると、新宿の古い木造2階建てアパートだった。「わたしは天涯孤独だから」。女性はそう言って人と付き合おうとはしなかった。それでも1人、友人がいた。アパートの住人のうち女性が2人だけになった時、友人が心細くなって「頼りにするからお願いね」と女性にあいさつに行ってから少しずつ親しくなった。
 女性は下町で生まれ、早くに母を亡くした。幼い兄弟の世話のため学校にもあまり通えなかった。料理屋の仲居をしながら独身を通し、80歳近くまで飲食店でレジ打ちのパートをした。その後は月8万円の年金だけが頼りだった。
 友人も夫と死別後は子供に頼らずに1人暮らしを続けている。85歳までチラシ配りのアルバイトをしていたが、貯金もそろそろ底をつく。収入はわずかな年金と、生活が苦しい息子からの仕送り1万円。風呂のない6畳一間の家賃4万8000円と介護保険料を引くと月約3万円で暮らさなければならない。
 それでも生活保護の世話にはなりたくない。家賃の安い都営住宅に申し込んでいるが、抽選に外れてばかりだ。
 女性も同じだった。昨年9月、布団につまずいて骨折し、入院。退院後、病院の紹介で老人ホームより格安な今のマンションへ移った。「普通のマンションにいるの」。友人に一度だけ電話があったという。その話をしながら、友人は深いしわを刻んだ両手で顔を覆った。「あの人も転んだりしなければ、いまも元気でここにいただろうに。部屋もきちんときれいにしていた人なのよ」
 都会の独居高齢者が増える中、収入が少ないと家賃が重い負担になる。この事業者が東京・多摩地区の賃貸マンションを訪問介護の拠点に選んだのも都心より家賃が安く、高齢者を集めやすいのが理由とみられる。
      ×
 記者はマンションの女性の部屋を訪ねた。チェーンをかけたままドアが開く。「新宿で同じアパートだったおばあさんが心配されていましたよ」。無表情だった顔が動いた。
 「あなたがいなくなって、寂しがっていました」。そう伝えると、目元に笑みが浮かんだ。「そう? あの人、同い年なの」
http://mainichi.jp/select/news/20121228ddm041040086000c.html
 今は誰とも交わることはない。年金だけでは足りない生活費は、疎遠だった親戚が一部を負担しているが、これ以上の援助は無理だという。
 親戚の一人は言う。「あのマンションがおばあさんのついの住み家になると思う」=つづく
http://mainichi.jp/select/news/20121228ddm041040086000c2.html

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「老いてさまよう:鳥かごの家から/6 制度のはざまで」『毎日新聞』2012年12月29日 東京朝刊

◇増加する「灰色」事業者
 介護事業者が高齢者を囲い込む東京・八王子の賃貸マンションで、記者が入居者のケアプランに不信を感じたのは9月中旬、ある男性の部屋を訪ねていた時のことだ。
 「はんこお借りしますね」。2階の詰め所にいるヘルパーが男性の印鑑を持ち出した。利用者が介護を受けたことを証明する書類への押印のためだ。後日、入手した「訪問介護」の週間予定表などを見てがく然とする。
 介護保険制度では訪問介護は排せつや入浴の「身体介護」と、掃除、洗濯、買い物などの「生活援助」に分かれ、利用時間に応じて報酬が決まる。
 夜勤帯の予定表では、毎日午後6時から11時まで30分間の身体介護が空き時間なく続く。朝も6時半から2時間、日勤のヘルパーが出てくるまで予定が埋まっていた。ところが、記者が同じマンションに4カ月余り暮らした中で、プラン通りの介護をしているのを見たことは1日もなかった。
 プランが夜間と早朝に集中しているのは介護報酬が昼間の1・25〜1・5倍になるからだ。事業者はほぼ予定通りの介護をしたとして介護報酬を保険請求。他業者のデイサービスやリハビリを利用させず、10人のうち8人は自社の訪問介護だけで保険が認める限度ぎりぎりの額を使っていた。しかも限度額は、同じ要介護度でも介護付き有料老人ホームと比べて最高で月に10万円ほど高く設定されている。ヘルパーが自宅を巡回する手間を考慮しているためだ。マンションに住まわせれば施設ではなく、それぞれの「自宅」になる。事業者はここに目をつけた。
 一方、ヘルパーの労働は過重だ。たとえば入浴。介護用ではなくユニットバスのため、2人しかいない日勤で3時間も費やすことがある。夜勤は専従の1人が毎週5日こなし、入居者からの呼び出しで起こされることも多い。割増賃金はない。ヘルパーはこの1年余りで少なくとも4人が辞めた。人手不足は明らかだが、現場の労働者を酷使するほど事業者の利益は上がる。
http://mainichi.jp/select/news/20121229ddm041040032000c.html
 ケアプランの担当は、このマンションで訪問介護事業を運営する会社の役員も務めていた30代の男性ケアマネジャーだった。上司はブログで「稼げるケアマネ」とたたえた。だが今年8月に退社し、千葉県内の高齢者施設で施設長をしている。「事業のやり方に疑問がなければ今も続けていた。でも困っている人を受け入れていることを考えれば全面的に悪いとは思わない」。社長(40)は「プランはケアマネが作るもの。内容が適切だったかと聞かれても分からない」と言った。
 同じように高齢者を囲い込む事業者は近年増えている。国は超高齢社会に備え、財政負担の重い特別養護老人ホームなど施設の増加を抑制し、高齢者向け集合住宅を含む「在宅介護」へかじを切った。さらに、新設の特養は近年高額化し、収入が低く、家族の支えもない高齢者は行き場を失うばかりだ。
 国の方針のもと、「施設」と「在宅」の隙間で生まれた灰色のビジネスモデル。そこで何が起きているのか、外からは見えにくい。=つづく
http://mainichi.jp/select/news/20121229ddm041040032000c2.html

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「老いてさまよう:鳥かごの家から/7止「とにかく住まいを」」『毎日新聞』2012年12月30日 東京朝刊

◇「必要悪」に頼る行政
 「賢い業者は指導力の弱い自治体に逃げていく。僕らは撤退させただけですから、心が痛むのです」
 堺市の生活保護担当課の幹部は嘆いた。業者とは、東京都八王子市など多摩地区にある3カ所の賃貸マンションに高齢者を囲い込む介護事業者のことだ。
 この事業者の前社長が大阪で運営していた会社は、堺市の賃貸マンションに高齢者11人を住まわせ、徘徊防止のため非常階段にロープを張った。昨年8月、高齢者虐待の疑いで堺市から立ち入り調査を受けたのを機に、拠点は東京・多摩地区に移った。
 しかし記者が八王子のマンションに取材のため住んでいた今年8月、今度は東京都福祉保健局の監査を経て改善指導を受ける。A4判15ページに及ぶ指摘項目のうち、都が重視したのは「利用者に介護サービスの選択肢を与えていない」ことだ。同局幹部は「利用者に適切なケアプランを組まず、自社だけのサービスで介護保険の限度額近くまで使っていたので『囲い込み』と判断した。前例のない指摘だった」と言う。
 多摩地区の3カ所のマンションに暮らす40人近い高齢者の中には、行政のケースワーカーが紹介した人も少なくない。豊島区の担当者は「問題のある業者とは知らなかったが、行き場のない人を野にさらすわけにはいかない。特別養護老人ホームに入るまでのつなぎでもいいから、私たちはとにかく住まいを探さなければならない」と釈明する。
 社長(40)も取材にこう答えた。「訪問介護事業者が介護で生計を立ててはいけないのか。役所に頼み込まれて受け入れてきたのに。身よりのない独居老人が生活保護や年金の範囲で生活できる場を提供している自負がある」
 厚生労働省や都、多摩地区の自治体の担当者は「法の想定外のビジネスだが、違法とは言えない」と声をそろえる。しかし、囲い込まれた高齢者は入居者や地域との交流もなく、満足なリハビリも受けず、生きる意欲さえ奪われ老いていく。都福祉保健局の別の幹部は言った。「自分の親なら、預けられない。でも社会資源として使わざるを得ない」
 介護保険制度が導入されて12年。社会全体で高齢者を支えるはずの仕組みは、「必要悪」とも言える介護事業者に頼るしかないところまで行き詰まっている。
http://mainichi.jp/select/news/20121230ddm041040034000c.html
 都の監査が一段落した秋以降、事業者に都内の自治体からこんな電話が入るようになった。「監査が終わったようだが、どうしても受け入れてほしい人がいる。どうにかならないか」
    ×
 記者が心の中で「麦わらさん」と呼ぶ認知症の男性(65)が「鳥かごの家」に入居して5カ月が過ぎた。夏、麦わら帽子をかぶり、GPS(全地球測位システム)機能付き携帯電話を持たされて徘徊を繰り返した人だ。
 年の瀬。麦わらさんを見かけなくなった。外出する気力も体力も衰えてしまったようだ。
 夕方、部屋を訪ねた。床に膝をつき、ベッドに体を預けて動かない。「大丈夫ですか」。寝息が聞こえた。その背中に布団をかけた。=おわり
http://mainichi.jp/select/news/20121230ddm041040034000c2.html

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「老いてさまよう:鳥かごの家から/住人たちの年始「居場所はここだけ」」『毎日新聞』2013年01月24日 東京朝刊

◇ヘルパー退職「死にたい」/記憶に刻む古里での正月
 介護事業者が要介護になった人を集め、囲いこむ東京都八王子市の賃貸マンションに記者が入居して半年が過ぎた。23日、いつものようにヘルパーが高齢者の部屋を回るサンダルの音が響くだけで、笑い声は聞こえない。
 夜勤専従の男性ヘルパーが昨年末に退職した。脳梗塞で左半身まひの後遺症を抱えながら、望んだリハビリも受けられずにいる元会社経営のヒデオさん(66)はそのヘルパーに心を許していた。
 「もう死にたい」。ヒデオさんはそのころ、こう漏らし、ヘルパーに「そんなこと言ってはだめですよ」と諭された。「これから誰を頼って生きていけばいいのか」。仕事は今日で最後と本人から聞かされた夜、涙が止まらず、朝まで泣き続けたという。ヒデオさんは記者に「顔を合わせても二言、三言交わすだけだったけれど、それがうれしくてね」と言った。鳥かごの家に絶望しながらも、気の合うヘルパーが心の支えだった。
 ほとんどの利用者がこのマンションで年を越した中、昨年8月に入居した元すし職人のサブローさん(62)は年末年始を上の姉が暮らす故郷の岩手で過ごした。「あの部屋で1人では寂しかろう」と神奈川県に住む下の姉の夫が連れて行ったのだ。在来線と新幹線を乗り継ぎ片道4時間余。久しぶりの遠出がうれしかったのか、ずっと車窓の雪景色を眺めていたという。
 脳梗塞で記憶障害が残る。記者が「岩手はどうでしたか」と尋ねると、「寒かったけれど、おいしい物を食べさせてもらったよ。何を食べたか覚えてないけどね」と笑顔になった。入居前にいたリハビリ病院で書き始めた闘病記が部屋にあった。
 取材と断り見せてもらうと、マンションに戻った今月4日、記憶に刻むように岩手の姉やおいの名前と一緒に「ありがとうございます」と記していた。介護事業者は昨秋、サブローさんの様子を気にかけていた病院の担当者に「機能回復も兼ね、外部と交流する機会を作りたい」と話していたが、実現していない。
 記者が心の中で「麦わらさん」と呼ぶ認知症の男性(65)はどうしているのか。夏に麦わら帽子をかぶり何度も外出するため、部屋のドアノブに徘徊を知らせる空き缶と風鈴を付けられた人だ。先月24日に連載が始まると取り外されたが、ほとんど寝るだけの生活を送るようになってしまった。入居した半年前、「ここに慣れるしかないんだよ」と話していた。21日、久しぶりに姿を見て「元気にしていましたか」と声をかけた。「大丈夫ですよ。居場所はここしかないからね」。自分に言い聞かせているようだった。
http://mainichi.jp/feature/news/20130124ddm041040104000c.html
 最近、見かけない女性が3階にいることに気付いた。「ここでの暮らしはどうですか」。「来たばかりで、まだ分からないね。70歳になったのよ」。この女性を含め、鳥かごの家にたどり着いた人は11人になった。【山田泰蔵、川辺康広】
http://mainichi.jp/feature/news/20130124ddm041040104000c2.html

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「老いてさまよう:鳥かごの家から/反響特集 長生き、喜べぬ現実「富の不平等、いつまで」」『毎日新聞』2013年01月24日 東京朝刊

 訪問介護事業者が行き場のない高齢者を集めた東京・八王子の賃貸マンションに記者が住み、事業者に囲い込まれた人たちの暮らしを連載した「老いてさまよう 鳥かごの家から」(昨年12月24日から7回)には、多数の反響が寄せられました。その一部を紹介するとともに、マンションで記者が何を考えたか報告します。【特別報道グループ】

 「利益を追求するあまり介護事業者に都合のいいケアプランが組まれがちだ。多くの利用者が自由に介護保険を使えるようになることを祈っている」
 高齢者を囲い込む住宅型有料老人ホームで働いた経験を持つ堺市のケアマネジャー、角田基一さん(38)は連載を読み、メールで意見を寄せた。ケアマネ事務所は系列の介護事業所に併設されるケースが多く、「ケアマネの独立性を確保するシステムが必要」と訴える。
 角田さんは専門学校卒業後、介護老人保健施設などでヘルパーとして5年勤務したが、ひざを痛め、ケアマネに転身。住宅型有料老人ホームを運営する介護会社に就職した。
 そこでは自社系列の介護サービスだけを使うケアプランを作成し、少ないヘルパーを効率的に稼働させることだけを考えていた。疑問を感じ「利用者のためのサービスを」と提案したが、経営者の理解は得られなかった。
 利用者本位のケアプランを作ろうと昨年、自分で事務所を開設した。しかし、高齢者住宅や訪問介護事業者に属さない事務所の経営は難しく「食べていくのがやっと」と言う。角田さんは「ケアマネは介護保険制度の要。行政が公正で中立な事務所に利用者を優先的に紹介するなどし、独立したケアマネを支援しなければ囲い込みはなくならないだろう」と指摘する。
   ◇
 「ヘルパーさんはとても忙しく、話し相手になってくれない。(このままだと)ぼけてしまうと思います。これも一つの生き方でしょうか」
 大阪府東部の高齢者専用のワンルームマンションで、訪問介護を受けながら生活する女性(78)は手紙にこうつづっていた。記者が部屋を訪ねると、女性は「連載のマンションより恵まれているかもしれない。でも、生きがいもなくここにいるのはつらい。死にたい」と言った。
 入居したのは一昨年の秋。子供はなく、夫もきょうだいも亡くした。大阪市内で1人暮らしをしていたが、肺炎で倒れたのを機に要介護度1になり、唯一の肉親であるめいの強い勧めで入居したという。
http://mainichi.jp/feature/news/20130124ddm010040021000c.html
 足が少し悪いものの動けるため、週2回、近くのスーパーマーケットに日用雑貨を買いに行くのが楽しみだ。だがお金は、マンションを運営する介護事業者に管理され、使えるのは月5000円。しかも、付き添いのヘルパーがレジで支払いをするため、欲しい物は買いづらい。
 最近、介護度が2に上がり、ケアマネに理由を尋ねた。「そのほうが何かと便利だから。介護度が上がれば役所からの援助が多くなる」。そう言われ、疑問を感じた。
 入居者は約50人もいて、ヘルパーは食事の世話や服薬の介助、おむつの交換などで走り回っている。話し相手になってくれる余裕はない。孤独感は深まるばかりだ。女性は6畳一間の部屋で嘆いた。「自宅はもう処分されていて、ここを出ても行くところがない。逃げることはできないのです」
   ◇
 「職を探している人が多いというのに、なぜヘルパーが足りないのでしょうか。待遇の改善が必要だと思う」。神奈川県座間市の女性(65)は毎日新聞に寄せた手紙で問題提起した。
 女性は5年前に公務員を定年退職。「これからは好きなことに時間が使える」と第二の人生を楽しみにしていたが、2年前に夫(68)が脳梗塞で倒れた。右半身が不自由な夫を自宅で介護する一方、東京都内の実家で暮らしていた父(95)を自宅近くのグループホームに呼び寄せ面倒を見つつ、都内の病院に入院中の母(91)を見舞う。がんで治療中の弟(60)の容体も心配だ。「高齢まで両親が生きてくれることに喜びを感じる半面、自分の退職金を毎月の介護費用などに充てているため、将来の不安は大きい」と言う。
 両親の介護を通じ、「庶民の手に届く有料老人ホームはこんなにも少ないのか」と思い知らされた。同時に、ヘルパーが次々と辞めていくのを目の当たりにして「ヘルパーは忙しすぎる。私たちが理想の介護を望む前に、ヘルパーの給料を上げるなど待遇を改善しなければ現場を支えてくれる人が誰もいなくなる」と感じた。「介護に縁がない人にこの苦しさは分からないでしょう。しかし、いつか誰もが年を取る。富の不平等が老後まで続く現実を伝えてほしい」。女性はこう訴えた。

◇人ごとでない/ドアノブの空き缶に涙/高齢者も若者も生きやすく/現状記事よりひどい
http://mainichi.jp/feature/news/20130124ddm010040021000c2.html
 記事を読んで「老いた両親を最期までみとることができるか」と考え始めた。家族の介護負担を減らすために始まった介護保険だが、私の職場にも親が倒れたために正職員を辞め時給850円で働く男性や親のために退職する職員もいる。周囲にいる者が少しだけでいいから介護を必要としている人たちのことを考え、彼らに寄り添い助け合うことができたら、この国の将来は変わるかもしれないと思う。(大阪府、47歳女性)
 訪問介護のヘルパーをしていた。連載が始まった時、どれだけの人が自分たちの税金の使われ方の話だと思っただろうか。また、数年後の自分たちの行く末だと考えただろうか。記事のような業者でも、その中で支えるヘルパーさんがいてくれる今は救われる。団塊世代の多くが介護を受け始めるのは、あと10〜15年後だろう。「麦わらさん」のような認知症の方があふれ、行政の力でも治まらない時代は間もなくだと思う。まじめに取り組んでいる事業所はたくさんある。サービスを提供する方も受ける方も、本当に介護保険制度があってよかったと言える時代がくることを願っている。(埼玉県、51歳女性)
 私は独身で今、両親と暮らしている。両親には蓄えはおろか、年金すらない。そんな両親を抱え、私の少ない収入で毎日生活していくのが精いっぱいだ。自分の老後のため貯金をする余裕などない。記事にあった業者のやり方は悪質なのかもしれない。だが、私は自分がそうなってしまった時に選択肢として存続してほしいと願ってしまう。(大阪府、43歳女性)
 妻に先立たれ、子供は海外に住んでいる。今は一人で生活できているが、収入は年金だけ。記事を読んで人ごとではないと感じた。(神奈川県、小川恭平さん77歳)
 私はうつ病になった後、生活保護を受けているので、記事に出てくる方たちの暮らしぶりは自分の10年後だと思う。連載1回目に書かれていたドアノブに空き缶がぶら下げられていた様子を読み、涙があふれた。(大阪府、55歳女性)
 40歳から老人病棟の看護助手を始め、現在は認知症の方の在宅介護や介護相談員として施設を訪問している。記事を読み老人を金もうけの道具に使う人たちに怒りを感じた。同時に、施設が本来の役割を果たしていないと思う。例えば老人保健施設は、病院から家庭に帰すための中間施設なのに10年以上も入所されている方もいる。特別養護老人ホームでは、ヘルパーが着替えまで手伝うため、体力が落ち、歩行器を使っていた人が車いすの生活になってしまう。私はこの仕事を始めてから長生きしたくなくなった。(福岡県、川上泰子さん60歳)
http://mainichi.jp/feature/news/20130124ddm010040021000c3.html
 ここ数年政府もマスコミも、増え続ける高齢者を邪魔者扱いし、まるで高齢者ばかり優遇されているかのように言っている。財政危機だから高齢者より若者にお金をかけるべきだと言うが、財政危機になったのは高齢者のせいだろうか。高齢者も生きやすく、子供や若者も生きやすい選択肢はないのだろうか。(広島県、51歳女性)
 高齢者が急速に増加する中、分厚い福祉政策が続くとは到底思えない。記者は更なる負担を国に求めているのだろうか。それならば、どのようにその資金を調達するのか財政の将来像を示してほしい。はっきりした視点に立つべきだと思う。(静岡県、63歳男性)
 高齢者を囲い込む業者がはびこる背景には、財政難を理由に施設の新設や増床を抑制してきた政策の誤りがある。私は特養を経営しているが、「これからは施設ではなく在宅介護」という国の方針は机上の空論と思う。官僚は老老介護など在宅介護の厳しさをどこまで理解しているのか。都市部と異なり地方では、ヘルパーが利用者宅に着くまで1時間かかることもある。「施設はいらない」というのは高齢者に「早く死ね」と言うに等しい。近年「高齢者に金を掛けるくらいなら、子供たちに」という風潮があるが、どちらも大切だ。高齢者の尊厳を尊重しない社会に将来はないと思う。(青森県、62歳男性)
 私の職場はデイサービスで365日24時間を売りにしている。「自宅のように過ごしていただく」とうたっているが、内情は放置状態に等しい。ケアマネジャーも行き場のない人を回してくるので、介護度の高い方や他の施設を出された方の利用が多く、スタッフは労働基準法に抵触する勤務をこなしている。スタッフは定着せず、ケアの質は低下する。利用者の家族も不信感を抱きながらも預けるしか手段がないのだと思う。(大阪府、40代女性)
 主婦になる前は病院の看護師だった。現状は記事よりはるかにひどい。大きな原因は人手不足。本当に介護、介助は重労働だ。給料の割にあまりにも重い働きを強いられる。確かに看護師の給料は独身女性が得るには十分な額だが、休む暇は全くない。記事の業者だけが悪いわけではない。もっと給料形態を変えてくれれば人手不足は解消できる。そのためには経済が発展すればと思っている。(福岡県、20代後半の女性)

◆住み込み取材を続けて――山田泰蔵・37歳
◇脆弱な介護制度、見直すとき

http://mainichi.jp/feature/news/20130124ddm010040021000c4.html
 取材は「施設から在宅へ」と国が掲げる政策への疑問から始まった。「在宅」とはいっても住み慣れた我が家ではなく、高齢者向けマンションだ。膨らみ続ける介護市場を狙い、各地で次々と建てられているが、無届けや介護の内容が不透明なものも数多くあった。取材を進めるうちに、東京・八王子の賃貸マンションで「高齢者を囲い込んでいる。虐待されているかもしれない」と耳にした。
 外観はよくあるワンルームマンション。学生や会社員らも多く住んでいた。2階に上がると看板もない一室にヘルパーが待機し、中廊下には利用者の呼び出しコールが鳴り響いていた。まるで「施設」だ。一日中マンションの前に立ち様子をうかがったが、何も分からない。そんな中、ヘルパーの詰め所と同じ2階に空き部屋があるのを知り、飛び込むしかないと思った。
 まず目にしたのは懸命に働くヘルパーの姿だった。特に夜勤の負担は重い。午後6時前に出勤し、ようやく一息付けるのは深夜2時ごろ。ほとんど仮眠も取れないまま、朝食の準備を始める。事業者は高齢者を囲い込み、介護保険報酬を限度額まで使い切ることで利益を上げていたが、それを支えていたのはヘルパーの過重労働だった。
 住み込み取材を始めて1カ月、暴力を振るうような虐待はないと感じたが、新たな疑問が生まれた。
 真夏のことだ。近所を流れる川の遊歩道に、別の介護業者のヘルパーに車いすを押してもらう高齢者がいた。木陰で一休みして談笑している。しかし、マンションに目を移すと、互いに交流もなく、笑い声も聞こえない。利用者がどこから来て何を思っているのかを知りたくて、同僚記者と手分けして部屋を訪ねた。
 秋。時折、ドアから顔をのぞかせる女性(80)に記者の部屋にあったみかんを一つすすめると、「初物だわね」と顔をほころばせた。「でも糖尿病だから一粒だけいただくわ」と、おいしそうに口に含んだ。こんな小さな喜びを日々どれほど感じているのだろうか。しばらくして顔が曇った。「廊下に手すりがあれば、部屋を出て歩けるのに」。当たり前の望みさえ、ここでは簡単にはかなわない。
http://mainichi.jp/feature/news/20130124ddm010040021000c5.html
 「あなたの家はもうないの。ここに住むしかないの」とヘルパーに諭されていた認知症の女性(92)はほとんど訪れる人もなく、「島流しのようなものよ」と言った。1時間ほどの取材中、ずっと私の手を握っていた。「家はどこにあったのですか」と聞いても、覚えていない。ただ、思い出話の中に「多摩川」「川沿いの古い平屋」という手がかりがあった。住宅地図で女性の名字を探し歩いた。50年以上前に建てられた古い家だった。夫から相続したが、もうここに戻ることはないのだろう。吹き抜ける木枯らしが身にしみる土手に立ち、女性が「風が吹けば飛ぶような小屋だけど、わたしには家があるの」と言っていたことを思い出した。
 連載にたくさんのご意見や感想を頂いた。「こんなひどい施設があるのか」といった声もあった。だが、この事業者だけの問題ではない。こうした事業者に頼らざるを得ない日本の介護の脆弱さに問題は潜んでいる。これを「必要悪」で済ましていいのか。国や自治体は見て見ぬふりをせず、まず実態調査から始めるべきだ。
 大みそか。いつものようにヘルパーが廊下を駆け回っていた。利用者11人のうち親族と過ごしたのは1人だけのようだった。廊下に出てみると、ほとんどの部屋から紅白歌合戦の音が漏れ聞こえ、やがてやんだ。心安らぐ年越しであってほしいと願った。

■連載の概要
(1)「高齢者囲い込み」
 記者が心の中で「麦わらさん」と呼んだ認知症の男性(65)はマンションから外出するが、徘徊を恐れるヘルパーに何度も連れ戻される。ドアノブには外出を知らせる「警報器」代わりの空き缶がぶら下げられていた。
(2)「リハビリもできず」
 すし職人だったサブローさん(62)は昨年1月、出勤中に脳梗塞になり、記憶障害を抱えた。リハビリ病院は受け入れ先を探し奔走したが、傷病手当金でまかなえるのは八王子のマンションしかなかった。
(3)「話し相手もなく」
 話し相手を探しているのか、掃除のモップをつえ代わりにマンションの中廊下を行ったり来たりする認知症の女性(92)がいた。ヘルパーは認知症のケアまで手が回らない。人と話をしなければ症状は悪化するばかりだ。
(4)「介護選択肢なく」
 記者が入居して3カ月たっても顔を見ない人がいた。その一人が、脳梗塞で左半身が不自由な元会社経営のヒデオさん(66)だった。ケアマネジャーにリハビリを頼んだが聞いてもらえなかった。
(5)「誰とも交わらず」
http://mainichi.jp/feature/news/20130124ddm010040021000c6.html
 夕方、決まってポリ袋を手にゴミ置き場に行く女性(86)がいた。記者は女性が以前住んでいたアパートを訪ねた。1人だけ友人がいた。女性に「友人が寂しがっていました」と伝えると、目元に笑みが浮かんだ。
(6)「制度のはざまで」
 「訪問介護」の週間予定表では、夜勤帯の午後6時から11時まで30分間の身体介護が空き時間なく続き、朝も6時半から2時間、予定が埋まっていた。しかし、記者がプラン通りの介護を見たことは一日もなかった。
(7)「とにかく住まいを」
 事業者は、自社サービスだけで介護保険の限度額近くまで使っている点が「囲い込み」に当たるとして都の改善指導を受けた。都の幹部は「自分の親なら預けられない。でも社会資源として使わざるを得ない」と言った。
※記事は毎日新聞社のニュースサイト「毎日jp」内の特集「老いてさまよう」(http://mainichi.jp/feature/oite/)でご覧になれます。
http://mainichi.jp/feature/news/20130124ddm010040021000c7.html

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「老いてさまよう:ある老健より/1(その1)神奈川の認知症「駆け込み寺」老健、みとりの場に」『毎日新聞』2013年04月03日 東京朝刊

◇在宅復帰果たせず、年10人超が他界
 認知症になって行き場をなくした人は少なくない。ようやくたどり着く場所に介護老人保健施設(老健)がある。だが、本来は在宅復帰を目的とする施設で、ついの住み家ではない。老健でいま何が起きているのか。
 介護老人保健施設「なのはな苑」(神奈川県三浦市)は相模湾の向こうに富士山を望む三浦半島にある。数少ない認知症専門の施設だ。冷たい海風が吹きつける2月20日夜、石井友子さん(94)の臨終を医師から告げられた長男了輔さん(69)は母の髪をなでながら傍らの記者に語りかけた。「ここで最期の大切な時間を過ごせて幸せでした」
 東京・目黒の自宅マンションで1人暮らしをしていた友子さんは3年前の夏に入所した。目黒区内の特別養護老人ホーム(特養)の待機順は960番台。他の施設では認知症だと敬遠されがちだ。了輔さんがすがるような思いで飛び込んだのが、認知症患者の家族から「駆け込み寺」と呼ばれるこの老健だった。
 介護保険法上、老健は病院を退院した高齢者が機能訓練を経て自宅に戻るまでの施設。だが平均在所日数は00年の185日から10年には329日に増え、在宅復帰率も23・8%にとどまる。国は社会保障費を抑制するため在宅復帰を促そうと昨年度、復帰率50%以上などの厳しい要件をクリアした施設の報酬を引き上げた。なのはな苑もその一つだ。
 一方、入所者約100人の中で最期を迎えるのは95年の開所当時、ごくわずかだったが近年は年間10人を超える。在宅復帰を進めつつ、足りない特養に代わってみとりの場にもなっているのだ。現状を追認するように国が08年、みとった施設の報酬を加算する制度を設けたのは苦肉の策だった。だが入所自体狭き門だ。月に申し込みがある30〜40人のうち空きがあって入れるのは4人ほど。運良く入れてもここでみとられるとは限らない。
   ◇
 「あーうまかった」。友子さんが亡くなった日、夕食のさばの塩焼きを平らげた青山文子さん(84)が大きな声を上げた。横須賀市で長男(55)一家と同居し、共働きの夫婦に代わり孫2人を育てた。2年前に認知症を患い、寝たきりになった。昨年10月に入所、歩行器を使って歩けるまで回復した。
http://mainichi.jp/feature/news/20130403ddm001100052000c.html
 なのはな苑は長くても半年で退所しなければならない。とはいえ国の基準で要介護度に応じ一定期間在宅介護すれば再び入所できる。要介護3の文子さんなら1カ月だ。友子さんも家族が介護しやすいホテルを無理して借り、再入所を繰り返した。しかし文子さんの家族は全員が働き、介護はできない。長男はグループホームに移そうとしたが「大声を出したり動き回ったりして他の人の迷惑になる」と断られた。「母が回復したことで逆に受け入れ先がなくなってしまった」
 ここでの生活が特例でひと月延長された。超高齢社会ではみとりの場を見つけることさえ難しくなっていく。3月17日、退所期限が翌日に迫っていた。

■ことば
◇介護老人保健施設

 治療が不要でも長期に及ぶ「社会的入院」で膨大化した医療費を削減するため、88年に制度化された老人保健施設が原形。00年に介護保険制度が始まり、現在の名称に変更された。介護費用の1割は本人負担で残りは保険料と公費で賄われるが、食費と部屋代は利用者負担。常勤医や看護師、作業療法士などの配置義務がある。対象は要介護の65歳以上が原則。全国に約3700施設(約33万床)あり、約7割を医療法人が経営する。

 歩行器を使い歩き回る青山文子さん。大きな声がフロアに響いていた=神奈川県三浦市の介護老人保健施設「なのはな苑」で2013年3月、久保玲撮影(拡大写真)
http://mainichi.jp/feature/news/20130403ddm001100052000c2.html

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「老いてさまよう:ある老健より/1(その2止)神奈川の認知症「駆け込み寺」選別され、出ては戻り」『毎日新聞』2013年04月03日 東京朝刊
<1面からつづく>
 神奈川県・三浦半島のキャベツ畑の中に建つ認知症専門の介護老人保健施設「なのはな苑」。石井友子さん(94)が息を引き取り、看護師やヘルパーが慌ただしく動き回る2月20日夜、同じフロアに男性の寝言が響いていた。「そうですか。そうですか」。前日に88歳の誕生日を迎えたスズキさんだ。
 自宅近くの老健を希望していたが満床だったため2年前の6月、車で約40分かかるなのはな苑に入所した。約1年後、空きが出たその老健に移ったのが誤算だった。
 近所の老健は退所する人の割合が5%。介護業界では「終生型老健」と言われる。国はなのはな苑のように在宅復帰に力を入れる施設の報酬を増やす一方で、終生型老健には減額しているため、最低限の人員配置で経費を抑え、経営を維持する施設が少なくない。
 家族が近所の老健を望んだのは、同じグループが運営する特別養護老人ホームが併設されているからだ。目の前にはスズキさんが大好きだった湘南の海が広がる。いつか訪れるみとりの場になるはずだった。
 だが、入所後1週間で問題を起こす。職員が使うパソコンのコードをコンセントから抜いて回ったのだ。「困ってしまいましたよ」という施設からの連絡に、家族はいたたまれなくなった。徘徊を防ぐため、夜間は部屋のドアがソファでふさがれた。家族は異様に感じた。長男(61)は「特養につながるルートと期待していたのですが、父の居場所にはならなかった」と振り返る。わずか1カ月でなのはな苑に戻ってきた。
 記者はその老健を訪ねた。4階建ての施設で約70人が暮らしていた。認知症の人が大半だったが、徘徊する人は見かけない。理由を尋ねると、施設の幹部は「スタッフが限られているので、徘徊する人が多いと困りますから」と言った。手の掛かる人は選別され、さまようことになる。
 地元の神社の大祭で、氏子総代のスズキさんが毎日新聞の取材に語った17年前の記事がある。「正しい形で祭りを後世に伝えたい」。その話をした時のことだ。普段は会話もままならないのに笑みがこぼれた。「やった、やった。総代やった」
 昨年から車いす生活になった。徘徊することもなくなったからなのか。今年1月、以前入所した老健に併設された特養から封書が届き、こう書かれていた。「1年以内に入所できる可能性が高い」
   ◇
http://mainichi.jp/feature/news/20130403ddm041100179000c.html
 3月18日。自宅での介護が難しく、退所を延ばしてもらっていた青山文子さん(84)に期限の日が来た。家族が希望した有料老人ホームからは、もう少し待ってほしいと言われている。なのはな苑はやむなく入所をさらに延長した。ここならひと月の費用が食事代を含め約12万円。有料ホームは約18万円かかる。家族の負担は重い。
 ホームへの入居に必要な健康診断を受けるため、長男(55)がなのはな苑から病院に連れて行こうとした時だった。母は生まれ育った東北のなまりで言った。「おら、どごにもいがねえ」=つづく(この連載は中西啓介、山田泰蔵、川辺康広、写真は久保玲が担当します)
    ◇
 次回からは社会面で掲載します。

 自室にたたずむスズキさん。ついのすみかはどこになるのか=神奈川県三浦市の介護老人保健施設「なのはな苑」で2013年3月、久保玲撮影(拡大写真)
http://mainichi.jp/feature/news/20130403ddm041100179000c2.html

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「老いてさまよう:ある老健より/2(その1)認知症の妻、がんの夫が支え」『毎日新聞』2013年04月04日 東京朝刊

◇安息、つかの間 7カ所目、1カ月で逝く
 6カ所の施設やデイサービスをさまよい、神奈川県・三浦半島にある認知症専門の介護老人保健施設「なのはな苑」にたどり着いた女性。安堵の日は続かず、長期入所後1カ月の昨年12月、68歳で亡くなった。
 「マーちゃん」「ハーちゃん」。夫婦はそう呼び合った。元会社員の夫(75)は27年前に前妻を亡くし、53歳の時、知人の紹介で「ハーちゃん」と知り合った。妻の異変に気づいたのは10年ほど前。気になる行動が増えたころから、日々の変化を記し始めた。
 <06年8月28日 表参道ヒルズ 地下レストランでトイレから戻れない>
 ハーちゃんから快活さが消えた。覚悟はしていたが、07年8月に若年性認知症と診断された。それでも2人は思い出を刻むように、車に寝泊まりしながら旅行を続ける。妻に日本中の海岸線を見せてあげたかった。
 <07年12月15日 結婚記念日を自分から言ってくれる>
 <08年3月23日 今日は山を歩いた。二人で過ごそうね>
 自宅での介護に疲れながらも希望を見いだそうと前向きだったが、先行きに不安を感じていた。
 <私に何かあり、入院したら即刻、妻の生活は成り立たない>
 こう記した半年後の10年1月、不安は当たってしまう。ステージ4の胃がんが見つかったのだ。妻をどこに託せばいいのか。認知症でも体はよく動くため、要介護度は2。最初にショートステイを申し込んだ特別養護老人ホームは「介護度5の重い人が順番待ちをしているのに」とにべもない。
 ようやく利用できた地元鎌倉の特養に迎えに行った時のこと。認知症ではない女性2人が妻を指さし、「嫌なのがいるわね」と話しているのを聞いてしまった。いたたまれなくなり、別の特養に移したが、人の車いすを勝手に押したり、突き飛ばしたりしてしまう。「みなさんがおびえている」と施設から聞かされ、次を探さざるを得なかった。
 症状は進む。介護記録の<夕食>の欄で妻が作る魚の煮付けは<問題なし>から<なんとか出来る>へ。そして<出来ない>になる。妻は寝る前に「何もできなくて。迷惑かけてごめん」と涙を流した。
 国は09年4月、若年性認知症患者を受け入れた老健の報酬を加算する改定を行った。しかし、増額は入所1日につき1200円程度。介護スタッフを増員するにはとても足りない。
 <私を夫と思っているのは1日の5%くらいか><私自身が壊れそうになっている>
 途方に暮れていた時、担当のケアマネジャーから紹介されたのが、なのはな苑だった。妻の暴力はなくなり、穏やかな顔になった。
http://mainichi.jp/feature/news/20130404ddm001100027000c.html
 別れは突然訪れた。腹膜炎で亡くなる少し前、いつものように「ハーちゃん」と妻に声をかけた。夫だとわかってくれたのか。「はーい」と返事をした。
 「マーちゃん」。妻のいない部屋にいると、今もそう呼ぶ声が聞こえる気がする。(社会面に連載2回目)

 夫婦で旅した道を指でたどるマーちゃん。ハーちゃんとの思い出がよみがえる=神奈川県鎌倉市で2013年3月、久保玲撮影(拡大写真)
http://mainichi.jp/feature/news/20130404ddm001100027000c2.html

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「老いてさまよう:ある老健より/2(その2止)敬遠される男性」『毎日新聞』2013年04月04日 東京朝刊

 2月21日午前1時、神奈川県鎌倉市の民家に明かりがともった。三浦半島の介護老人保健施設(老健)「なのはな苑」から一時帰宅中の岩壁貞良さん(72)方を男性ヘルパーが訪ね、おむつの交換を始める。床ずれを清潔に保つには、深夜と明け方の2回は欠かせない。150センチに満たない妻文子さん(72)が172センチ、74キロの体の向きを変えるのは大変で、ヘルパーの助けが必要だ。
 多くの老健で利用者の入所が長期化する中、貞良さんが7年前に入所したなのはな苑は国の方針に従い、家庭への復帰を進めている。その結果、他の老健に比べ介護保険から多くの報酬を得られ、認知症の介護に人手をかけたり、ベッドに新たな利用者を受け入れたりできる。
 一方、ここを利用し続けるには、3カ月〜半年に1度は一定期間自宅で介護し、再入所の手続きをしなければならない。文子さんは日中をデイサービス、深夜と早朝は訪問介護を使ってしのぐ。「睡眠2時間が2日も続くと体がつらくて。ずっと施設で預かってくれたらと思うこともあります」
 夫が認知症の一つのピック病を発症したのは航空機メーカーを定年退職した後の62歳のころだ。スーパーでビールやまんじゅうを勝手に持ち帰ろうとする。大みそか、店内を徘徊する夫の後を閉店までついて回ったこともあった。流れてきた蛍の光を聞きながら「わたしはいま何でここにいるんだろう」と悲しくなった。
 介護施設探しにも苦労した。ショートステイを申し込んだ特別養護老人ホームには「会議の結果、受け入れられなくなった」と理由も告げられずに断られ、別の老健からは「責任を負えない」と門前払いされた。貞良さんを担当するケアマネジャーは「男性の場合は難しかった」と話す。
   ◇
 なぜ男性は敬遠されるのか。同県横須賀市にある公立病院のソーシャルワーカーは「男性の比率を抑えているところが多い。1割程度の施設もある」と明かす。体の小さい女性よりおむつ替えの負担が重く、車いすに乗せる際の事故も起きやすいうえ、腕力が強いと認知症ゆえの暴力の心配もある。男性でも160センチ、50キロ以下の小柄な人は好まれる。100キロ超の女性も70キロ台まで減量させ、老健に受け入れてもらったことがあったという。
 「急で申し訳ありません」。今年1月、なのはな苑に父親(90)の入所を希望する男性が来た。父親を自宅で介護してきた母親が年末に入院し、途方に暮れていた。だが、相談員は「今、男性はいっぱいです」と答えるしかなかった。入所者約100人のうち男性は25人程度。これ以上の受け入れは厳しい。
http://mainichi.jp/feature/news/20130404ddm041100114000c.html
 なのはな苑に戻った貞良さんは、面会に訪れた文子さんに両手を引いてもらいながら廊下を歩いていた。文子さんが童謡を口ずさむと、「おてて……つないで」と合わせた。
 「介護はいつまで続くか分からないけれど、一日でも長く生きてほしい」。文子さんが夫の手を小さな手で包みこんだ。=つづく

■ことば
◇ピック病

 認知症の一種で脳の前頭葉と側頭葉が縮む。40代から50代が発症のピークとされる。アルツハイマー病とは異なり、性格が変わり、衝動のまま行動するようになる。万引きなどの反社会的行為をしても罪の意識がなかったり、同じ行為を何度も繰り返す「常同行動」も特徴の一つ。
http://mainichi.jp/feature/news/20130404ddm041100114000c2.html

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「老いてさまよう:ある老健より/3 身体拘束の痛み」『毎日新聞』2013年04月05日 東京朝刊

 「やあ元気かい?」「元気だよ」。2月初め、神奈川県・三浦半島にある認知症専門の介護老人保健施設「なのはな苑」で、タカさん(65)が廊下を歩き回りながら他の入所者に声を掛けていた。ほおに赤みが差し、体調は良さそうだ。
 精神科病院に入院した後、なのはな苑にたどり着いた。長男(32)は入院中の父がやせ細り、うつろな目で「ここから出してくれ」と叫んだ声が耳から離れない。
 昨年1月、タカさんは散歩中道に迷い、派出所に保護された。異変を感じた親族が地元の横須賀市にある地域包括支援センターに連絡。職員に連れられ受診した同市の精神科病院「久里浜医療センター」で認知症と診断された。暴力を振るわれるようになっていた妻(63)は涙を流し病院に助けを求めた。
 「入院するとご主人の体は悪化しますよ」。診察した松井敏史医師は考え直すよう促した。久里浜医療センターは県の指定を受ける認知症診療の中核施設だが、専門病棟はなく、他の精神疾患の患者と同じ病棟で受け入れるしかない。介護スタッフもおらず、夜間は看護師2人で約40人を担当するため、薬物で安静に保つ方法に頼らざるを得ないからだ。それでも妻の意志は固かった。疲労は限界にきていた。
 入院生活は家族の想像を超えていた。転倒事故を防止するため、病院は家族の同意を得て全身を拘束するベルトを着けた。「俺は何か悪いことしたのか」。抵抗する父に長男は「こうするしかないんだよ」と言うほかなかった。
 薬物治療のせいで表情が消え、体重は10キロ以上減った。熊本の高校を出て鉄道会社に就職し、駅員一筋で定年まで勤め上げた父の誇りはみじんも見られない。いたたまれなくなった家族は入院から2カ月余りたった昨年4月、退院させた。
 厚生労働省の調査では、認知症で精神科病院に入院している患者は5万人を超え、1年以上入院する人が半数を占める。介護に疲れた家族や、受け入れ先に困ったケアマネジャーが精神科病院に頼る事情もある。
 久里浜医療センターの松井医師は取材に「入院は家族の負担軽減になったが、本人にはよくなかった」と打ち明ける。「なるべく薬を使わず、身体拘束しないで手厚く介護ができる施設を提供したいが、なかなかない」。センターには年間約50人の認知症患者が入院する。
http://mainichi.jp/feature/news/20130405ddm041100041000c.html
 タカさんが昨年4月、なのはな苑に入所した日の夜のことを看護師はよく覚えている。落ち着かない様子に気付き「おなかすいているの?」と声をかけた。本人は認知症の影響でうまく思いを伝えられない。おにぎりを作って手渡すと床にひざまずき、こう応えた。「分かってくれてありがとう」。どれだけつらい思いをしてきたのか。看護師は胸を締め付けられた。身体拘束を解かれ、薬を減らすと徐々に回復した。
 2月末。1カ月ぶりに自宅に戻った。迎えに行ったのは長男一人。妻はまだ心の傷が癒えていない。それでも、夕飯を作り、玄関で迎えた。「おかえりなさい、お父さん」=つづく

 長男(右)に付き添われ散歩に出かけたタカさん。桜並木を抜けると大好きな海が広がった=神奈川県横須賀市で3月、久保玲撮影(拡大写真)
http://mainichi.jp/feature/news/20130405ddm041100041000c2.html

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「老いてさまよう:ある老健より/4止 家で食事、妻が笑う」『毎日新聞』2013年04月06日 東京朝刊

 「たえちゃん、迎えに来たよ」。3月28日、神奈川県・三浦半島にある認知症専門の介護老人保健施設「なのはな苑」の広間に雅之さん(61)が顔を見せると、妻多恵子さん(60)の目が潤み始めた。涙がこぼれ肩が震える。
 この日は2泊3日のショートステイを終え、自宅に戻る日だ。車いすに乗せると、夫の手を握りしめた。
 雅之さんは一昨年に大手自動車メーカーを定年退職するまで海外の単身赴任が長く、子育ては妻に任せっぱなしだった。3年前の1月、異変に気づく。旅行先で、温泉好きの妻が風呂に行こうとしない。帰宅後、タンスから大量の小銭が見つかった。買い物の計算ができず、お札で勘定していたようだ。若年性の認知症だった。「お父さんは私の面倒をちゃんと見ないといけないよ」。「当たり前だ。他に誰が見るんだ」
 できるだけ自宅で介護しようと訪問介護やデイサービスでしのいだ。しかしあまりに負担が重く、月に2泊だけなのはな苑に頼ることにした。夜1人で酒を飲み、ゆっくりしたつもりでもむなしくなる。ベランダから施設の方向を見ながら「たえちゃんは今ごろ何をしているんだろうか」と考えてしまう。
 雅之さんも会員の「若年性認知症の人と家族の会準備会」(横須賀市)の世話人、岸正晴さん(65)は、懸命に在宅介護を続ける家族を見てきた。「みんな薄氷を踏む思いで精いっぱいやっているのです」。自営業の男性は取引先との急な打ち合わせが入ると、玄関に鍵をかけ妻を残して出かけるほかない。岸さんは「せめて緊急な場合に預かってくれるショートステイが必要だが、対応できる施設が少なすぎる」と指摘する。緊急時のためベッドを空けておくと、その分施設の経営に響く。
 国は12年に305万人いる認知症高齢者が17年には373万人に増えると推計し、今月から「認知症施策推進5カ年計画(オレンジプラン)」をスタートさせた。柱の一つが「住み慣れた地域で暮らし続けるための介護サービスの整備」だ。「施設から在宅へ」の流れを加速させようとするオレンジプランはどこまで家族を支えられるのか。岸さんの危機感は強い。
   ◇
 春の昼下がり。横須賀市のマンションで、雅之さんが手作りのカレーをスプーンで妻の口に運んだ。「私のことを誰だか分からなくて、変なおじさんと呼ぶこともあるんです」
 妻の様子を撮影したDVDがある。記者も見せてもらった。夫の言葉がテロップで流れる。<寝起きは少し不機嫌です><(妻は食事が終わると)最後に笑うんですね>
 次第に症状は進み、いつ寝たきりになるか分からない。それでも子供のようになっていく妻が可愛く思える。=おわり
http://mainichi.jp/feature/news/20130406ddm041100030000c.html
 多恵子さんが流した涙をほほ笑みながら拭う雅之さん=神奈川県三浦市の介護老人保健施設「なのはな苑」で2013年3月28日、久保玲撮影(拡大写真)

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