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研究紹介

「神聖な義務」論争をめぐって

報告:北村健太郎  (gr018035@ce.ritsumei.ac.jp
立命館大学大学院先端総合学術研究科
第76回日本社会学会大会(於:中央大学)2003/10/13午前 福祉・保健・医療(5)

配布資料は、学会で話したものを、一部箇条書きにして簡単にまとめたものです。
報告原稿は、学会で話した形で書いてあります。細かい部分もある程度書いています。

  
■ 配布資料

1.問題の所在
血友病◆01 をいつまでも薬害◆02 の文脈で語る、あるいは語られることは一面的であり、血友病者が希求する血友病への適切な理解を妨げる可能性がある。 薬害研究と同時に、古くからその存在を知られている◆03 血友病の歴史的文脈を踏まえた研究が必要である。1980年に波紋を呼んだ渡部昇一のエッセイ「神聖な義務」 をめぐる言説と、当時の血友病者の社会的状況を取り上げる。生命倫理や出生前診断を考察する際に取り上げられる「神聖な義務」◆04 を「血友病の歴史の一点景」 として捉え直す。

本報告の意義
1.「神聖な義務」に言及した先行研究では、血友病は研究対象であった。血友病者の視点を導入し、血友病者の立場から「神聖な義務」を読み直す。
2.「神聖な義務」は、血友病者の存在そのものを否定した、少なくとも否定されたと受け取れる出来事。血友病や血友病者の1980年を語る上で重要である。

2.「神聖な義務」の波紋
「神聖な義務」を10月15日の朝日新聞が「大西巨人氏vs.渡部昇一氏」と題して、7段抜きの大きな記事で取り上げたことで波紋が広がった。大西は「渡部の本心は ヒトラー・ナチズムないしファシズムにたいする傾倒礼讃である」と断じて、渡部の血友病に関する無知と『週刊新潮』の記事を誇張している点を指摘。社会的負担の 論点には触れず。野坂や高は親や家族の立場から、木田は医者の立場から、それぞれ問題点を指摘するが、それ以上の追及はなし。「青い芝」や上智大学の学生の間で 批判が盛り上がる。「青い芝」が自らの存在を賭けて最もラディカルに批判。

「神聖な義務」の論点
1.「自発的断種」について。自発的である限り、親の自己決定である限り、生まないことが肯定されるべき。
2.生まれた人については社会的な負担を認めるから障害者差別ではない。出生前診断・選択的中絶、あるいは遺伝の知識に基づいて生まないことを肯定する主張。
3.「障害者/病者が生まれることは社会の負担である」という前提をある程度共有する限り、正面から批判しにくい。

当時の血友病者とその家族
血友病者の意見は、マスメディアなどの目立つところに出ない。患者会などの内部の会報に触れられる程度(確認できているのは、鶴友会会報、YHC会報のみ)。
1967年、血友病患者会「全国ヘモフィリア友の会」設立◆05
1969年、年齢や回数の制限付きで公費負担制度開始◆06
1975年、血友病当事者グループ「Young Hemophiliac Club」発足
1979年、濃縮血液製剤の発売
1980年ごろ 残る年齢制限撤廃のための署名活動

3.芹沢さんのお話から
Young Hemophiliac Club(以下、YHC)の当時の中心メンバーとして活動された、血友病者の芹沢さん(仮名、1980年当時22歳)のお話。YHCは全国ヘモフィリア友の会 よりも、社会に対して積極的な発言を行っていた団体◆07 である。

「神聖な義務」の印象
「あんまり印象にない、記憶にない」。YHCの話し合いの中でも「書かれている内容には反発を覚えるけれども」「抗議して具体的な効果が上がるか」「具体的に どうするか」「パッと出てこ」ない。渡部の主張に対して「『しょうもないこと言うてるなあ』という感じ」

血友病者と論点のかかわり
第三の論点と関わりで、血友病者からの批判が出なかったのは、公費負担の年齢制限撤廃運動の妨げになるという考えがあったのか。芹沢さんの認識では、 公費負担と「神聖な義務」とは「全然、別の話と思う」とのこと。
第一の論点の自発的断種(渡部の後の言い方では自発的受胎調節)について。血友病と分かったら次の子どもは諦める方がいる。それは結果として「遺伝子を残さない」 から、渡部の第一の論点に同意したように見える。しかし、渡部のいう「社会的負担」を考慮する方以外に、子どもに「しんどい、辛い思いをさせたくない」という 理由から諦める方もいる。渡部とは違う観点から、子どもを諦める方がいる。

芹沢さんのお話のまとめ
1.「神聖な義務」それ自体が印象の薄い出来事であったこと。
2.「しょうもない」という感想もあり、抗議する盛り上がりがなかったこと。
3.抗議する場合の具体的な手段がすぐに思いつかなかったこと。
4.さまざまな考えがあり、意見を集約するのが難しかったこと。

社会に出て行こうという機運
さらに重要なことは、個々人のレベルでは止血コントロールが容易になり、血友病者がどんどん社会に出ていこうという機運が盛り上がってきた時期であること。


YHCの存在意義
段々と注射薬とかできてきて、学校にも行けなかった人らが学校に行く。次のステップとして社会に出て仕事をする、と。全体としてみたら、YHCができた頃(1970年代 後半)はそういう時期やったわけや。段々外に飛び出していこうというね。でも、ひとりじゃ分からんわけやな。だから、情報交換をすることで外に出る「パワーが出て くる」っちうかな。そういうのを欲しがっとった時期やと思うわ。患者会行っても、どうやったら痛みが和らげられるとか、そんな話ばっかりや。親の世代はな。 それよりも、もっと先に進みたいわけよ、若者は。やっぱり集まれば、パワーが出てくる。外に出ていく「なかなか言葉では言い表せないパワー」を求めとった、と。 それがYHCの必然性やったと私は思うてんねんけどね。YHCも医療費の年齢制限とかに取り組んだりするけど、それはいわば建前であって、YHCの存在意義は「個々の若者の パワーを引き出す」という、ちょっと言葉では言い表しにくいけど、それが存在意義やったと思う。辛気臭うなるわけよ、親の会なんてな。それよりも集まって「野球 しようや」とか「どっか遊びに行こうや」とかな。「今度免許取るねん」とかな。そういう話の方が「パワーが出てくる」わけよ。私はそう思っとったけどな。


「神聖な義務」は、血友病者の存在を否定していると受け取れる文脈で書かれたこと、ひいては障害者/病者の存在を否定しているという内容であった。 「青い芝の会」神奈川県連合会や、上智大学の学生は、強い抗議運動を展開。さらに上智大学では「渡部昇一教授発言を契機に障害者問題を考える学生連絡会議 (なべ実)」の運動が続く。

血友病者から離れたところで「論争」が続いた一方で、血友病者とその家族の間では「神聖な義務」はすぐに忘れられた。「神聖な義務」は、血友病者にとって 名指しされたわりには、それほど重要ではなかった。これが表題から「論争」を消した理由である。1980年ごろは、多くの血友病者が自ら「外に飛び出していこう」 とした時期、「神聖な義務」を「しょうもない」と蹴飛ばして超えていこうとした時期であった。

【註】
◆01 本報告では、基本的に「血友病」「血友病児/者」の語句を用いる。
◆02 血友病者への輸入非加熱血液製剤の投与を原因とする薬害はHIVのほか、B型肝炎(HBV)、C型肝炎(HCV)もあるため、特定せずに単に薬害と記す。
◆03 バビロニアのタルムード法典に、割礼の際の出血が止まらずに男児2人が死亡したため、3人目の男児は割礼を免除されたという記録があるという。そのほか、 出血性疾患についての記録は多い(永峯、1983)。
◆04 生命倫理や出生前診断の問題から取り上げているものは多い。大谷(1985)、日本臨床心理学会(1987)、佐藤、伊坂、竹内(1988)、松原(2000)など。 保木本(1994)は、遺伝病スクリーニングの一例として取り上げている。
◆05 血友病患者会「へモフィリア友の会」は、基本的に都道府県にひとつという単位で地域に存在する。それが集まったのが「全国へモフィリア友の会」である。 ただし、患者会が存在しない地域もある。
◆06 現在では、小児慢性特定疾患治療研究事業によって18歳未満を公費負担し、それを20歳未満まで延長できる。20歳以上は、先天性血液凝固因子障害等治療研究 事業に切り替えることによって公費負担を受けることができる。
◆07 1975年、近畿圏の若い血友病者が中心となって、同世代の親睦を図るために発足。県単位の友の会を越境したグループである。当時、立て続けに起こった 「錆びた炎」問題(1977)、「ブラックジャック」問題(1981)にも、最も積極的に取り組んだ。「錆びた炎」問題(小説・映画)、「ブラックジャック」問題 (漫画・テレビドラマ)は、ともに血友病者の描かれ方の医学的な誤りが問題となった。YHCは関係団体に訂正を求めて抗議をした。

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■ 報告原稿

 立命館大学の北村です。はじめに訂正があります。本報告は「『神聖な義務』論争をめぐって」という表題になっておりますが、「論争」という言葉を用いるのは 適切ではないと考えるに到りました。よって、「論争」の部分を消してください。

   それでは報告に入ります。近年、血友病は薬害の発生によってマスメディアに大きく取り上げられました。薬害は看過できない出来事ですが、いつまでも血友病を 薬害の文脈で語る、あるいは語られることは一面的であって、血友病者が希求する血友病への適切な理解を妨げる可能性があります。薬害研究と同時に、古くからその 存在を知られている血友病の歴史的文脈を踏まえた研究が求められています。

 本報告では、1980年に波紋を呼んだ渡部昇一のエッセイ「神聖な義務」をめぐる言説と、それに対する当時の血友病者の反応および社会的状況を取り上げます。 生命倫理や出生前診断を考察する際に取り上げられる「神聖な義務」を、「血友病の歴史の一点景」として捉え直すものです。

 その意義は、第一に、「神聖な義務」に言及した先行研究は、血友病を具体例としか扱いませんでした。つまり、血友病は研究対象だったのです。しかし、血友病は けっして単なる「もの」ではなく、今ここに血友病者として生きている現実です。本報告は血友病者の視点を導入し、血友病者の立場から「神聖な義務」を読み直す試み です。第二に、後述するように「神聖な義務」は、血友病者の存在そのものを否定した、少なくとも血友病者やその家族にとっては明らかに否定されたと受け取れる 出来事でした。血友病や血友病者の1980年を語る上で、「神聖な義務」に対する血友病者とその家族の反応を押さえる必要があります。

   「神聖な義務」とは、1980年に大西巨人と渡部昇一を中心に波紋を呼んだ事件です。その当時、上智大学教授の渡部昇一は『週刊文春』に「古語俗解」というエッセイを 連載していました。その10月2日号に掲載された「神聖な義務」というエッセイが事の発端です。

 この中で渡部は、2人の血友病児の父親である大西巨人を名指しした上で、長男が血友病であると分かっていて次男をもうけたことについて「未然に避けうるのは避ける ようにするのは、理性のある人間としての社会に対する神聖な義務である。現在では治癒不可能な悪性の遺伝病をもつ子どもを作るような試みは慎んだ方が人間の尊厳に ふさわしいものだと思う」と述べました。それを10月15日の『朝日新聞』が大西の反論を大きく取り扱ったことで、多くの人々が注目しました。大西は11月1日付発行の 『社会評論』第29号で「破廉恥漢渡部は非人間的デマゴギーに立って“なぜお前(大西巨人)は『既に生まれた生命』次男野人(ののひと)を『未然に』抹殺しなかった のか”と私(の『人身』)を攻撃批難したのである」と述べ、痛烈に反論しました。渡部に対して反論をしたのは大西だけではありません。把握しているだけでも、横田弘 を会長とする「青い芝の会」神奈川県連合会、作家の野坂昭如、高史明、遺伝学者の木田盈四郎、当時朝日新聞記者の本多勝一がおり、上智大学内では「渡部昇一教授 『神聖な義務』を糾弾する会準備委員会」ができ、抗議活動をしていきます。

   「神聖な義務」は、『週刊新潮』9月18日号の「大西巨人家の『神聖悲劇』」という記事が下敷きとなっています。大西巨人が生活保護を受けていること、次男・野人 (ののひと)が手術をした2月の1ヶ月の医療費が1500万円だったことを伝えています。そして「納税者の負担によって支えられている福祉天国――(略)ただ、現在の 状態が続いていけば、福祉天国は、いつの日かパンクすることだけはハッキリしているのである……」と結び、暗に「有限である税金を医療・福祉に使い過ぎではないか」 と結論付けています。それを受けて渡部の「神聖な義務」は書かれました。

   渡部は、「神聖な義務」の冒頭で西ドイツが急速に復興した一因は「ヒトラーが遺伝的に欠陥のある者たちやジプシーを全部処理しておいてくれたため」だと「ドイツ人 の医学生」から聞いた話を紹介します。次に、渡部自身がヨーロッパ旅行の体験談として、ルーブル美術館では「ジプシーの子供」が「まとわりついて離れないので実に 不愉快だった」が、「そういうことはドイツやオーストリアに入るとまるでない」と言います。そして、生理学者・医学者のアレキシス・カレルの「劣悪な遺伝子があると 自覚した人は、犠牲と克己の精神で自発的にその遺伝子を残さないようにすべきであると強くすすめる」という「自発的断種」の主張を紹介します。さらに、失明を懸念 して未熟児を保育器で育てることを断り、またサリドマイドの服用を拒否してサリドマイド児の出生を回避した「知人」の例を挙げて、「かくしてこの人の行為は社会に 対して莫大な負担をかけることになることを未然に防いだ」と述べます。それに続く話として、遺伝性疾患の代表例として血友病が取り上げられ、大西親子の話が述べられて いるのです。直接的な表現こそありませんが、「障害者/病者が生まれることは社会の負担であるから、それを未然に減らすために障害者/病者が生まれないよう、自発的 受胎調節をすべきだ」と読めるように書いています。これが渡部の真のメッセージであることは間違いないでしょう。なぜなら、渡部が支持するカレルは、その著書のなか ではっきりと「自発的な優生運動」を主張しているからです。

   それでは、先に挙げた論者の渡部への批判はどこまで効いたのでしょうか。名指しされた大西は「渡部の本心はヒトラー・ナチズムないしファシズムにたいする傾倒礼讃 である」と断じて、渡部の血友病に関する無知と『週刊新潮』の記事を誇張している点を指摘しましたが、社会的負担の論点には触れませんでした。野坂や高は親や家族の 立場から、木田は医者の立場から、それぞれ問題点を指摘しますが、それ以上の鋭い追及はありません。「青い芝」が自らの存在を賭けて最もラディカルに批判しましたが、 その批判もかわします。「神聖な義務」全体が反論しにくい文章なのです。

   まず、「自発的断種」について。国家が「断種を強制」するのと、「当人の意志」でそれをやるのでは「倫理的に天地の差がある」として、あくまでも「自発的」なもの であって「強制」ではない、と言います。さらに、それはノーベル賞を受賞したカレルも主張していることであり、「私はカレルに同意したのであって、ヒトラーにでは ない」とします。つまり第一に、自発的である限りで、親の自己決定である限りで、生まないことが肯定されるべきだという論点があります。

   次に、「青い芝」は「障害者の存在を根底から否定する」ものだと抗議しますが、それに対しても、「既に生まれた生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と 変わらないというのが、私の生命観」であり、あくまでも「受胎以前における親の慎重な配慮」を呼びかけるのだと述べます。つまり、第二に、生まれた人については 社会的な負担を認めるから、それは障害者差別ではないという論点があります。

   これは、出生前診断・選択的中絶、あるいは遺伝の知識に基づいて生まないことを肯定する主張としてなされるものと同じです。この第一点と第二点を正面から否定せず、 第三点、「障害者/病者が生まれることは社会の負担である」という前提をある程度共有する限り、正面から批判しにくい構造になっています。

   「神聖な義務」で取り上げられたのは、血友病だけではありませんが、明らかに名指しされたのは血友病者の親である大西です。大西以外の血友病者とその家族から 反論や批判が出てもおかしくはありません。ところが、「青い芝」や上智大学の学生の間ではかなりの盛り上がりをみせたのですが、血友病者の意見は、少なくとも マスメディアなどの目立つところに出てきていません。患者会などの内部の会報に多少触れられている程度です。そこで、当時の血友病者とその家族の状況を見て みましょう。

   「神聖な義務」が問題となる前年、1979年に濃縮血液製剤が発売され、血液製剤補充療法の大きな進歩がありました。血友病患者会「全国ヘモフィリア友の会」は1967年 の設立当初から、血友病治療の公費負担を訴えてきました。1969年4月から年齢や回数の制限付きで公費負担が始まりましたが、ヘモフィリア友の会ではその後も制限撤廃 の運動が続いており、1980年当時は残る年齢制限撤廃のための署名活動に取り組んでいました。公費負担の要求は社会に医療費の負担を求める運動ですから、第三の社会的 負担の論点に直接に関わります。よって、渡部の主張を正面切って敵に回すような主張はしにくかったと思われますが、血友病者とその家族の沈黙は公費負担の問題だけ では説明できません。

   本報告では、Young Hemophiliac Club、以下ではYHCと呼びますが、当時の中心メンバーとして活動された、血友病者の芹沢さん(仮名、1980年当時22歳)のお話を一例 として取り上げます。なぜYHCを取り上げるかといいますと、YHCは全国ヘモフィリア友の会よりも、社会に対して積極的な発言を行っていた団体だからです。

   芹沢さんに「神聖な義務」の印象をお聞きしたところ、「あんまり印象にない、記憶にない」そうです。YHCの話し合いの中でも「書かれている内容には反発を覚える けれども」「抗議して具体的な効果が上がるか」「具体的にどうするか」「パッと出てこ」なかったそうです。また渡部の主張に対して「『しょうもないこと言うてる なあ』という感じ」があったそうです。それでは、血友病者の実感と渡部の論点について、考えてみましょう。

   まず、第三の論点と関わりで、血友病者からの批判が出なかったのは、公費負担の年齢制限撤廃運動の妨げになるという考えがあったのかを芹沢さんにお聞きしました。 すると、公費負担と「神聖な義務」とは「全然、別の話と思う」というお答えでした。

   次に、親それぞれにはいろいろな考え方があり、血友病と分かったら次の子どもは諦めるという方がいます。それは結果として「遺伝子を残さない」のですから、 渡部の第一の論点に同意したかのように見えますが、理由を考えねばなりません。渡部のいう「社会的負担」を考慮する方もいるでしょうが、子どもに「しんどい、 辛い思いをさせたくない」という理由から諦める方もいるでしょう。つまり、第一の論点からずれたところで、渡部とは違う観点から、子どもを諦める方がいるのです。

   ここで、芹沢さんのお話の要点をまとめます。第一に、「神聖な義務」それ自体が印象の薄い出来事であったこと。第二に、「神聖な義務」というエッセイに対して 「しょうもない」という感想も抱いており、抗議する盛り上がりがなかったこと。第三に、エッセイの内容から考えて、抗議する場合の具体的な手段がすぐに思いつか なかったこと。第四に、ある程度まとまった形で渡部への批判を出す場合、子どもを産む/産まないについて、さまざまな考えを持った人たちのことを考慮すると、意見を 集約するのが難しかったこと。これらの要素が絡まり合って、最終的に「神聖な義務」に対する、血友病者とその家族の沈黙という形になっていったと考えられます。

   さらに重要なことは、個々人のレベルでは、濃縮血液製剤の発売が端的に示しているように、止血コントロールが容易になってきたことで、血友病者がどんどん社会に 出ていこうという機運が盛り上がってきた時期であったことです。芹沢さんは次のようにおっしゃっていました。


YHCの存在意義
段々と注射薬とかできてきて、学校にも行けなかった人らが学校に行く。次のステップとして社会に出て仕事をする、と。全体としてみたら、YHCができた頃(1970年代 後半)はそういう時期やったわけや。段々外に飛び出していこうというね。でも、ひとりじゃ分からんわけやな。だから、情報交換をすることで外に出る「パワーが出て くる」っちうかな。そういうのを欲しがっとった時期やと思うわ。患者会行っても、どうやったら痛みが和らげられるとか、そんな話ばっかりや。親の世代はな。 それよりも、もっと先に進みたいわけよ、若者は。やっぱり集まれば、パワーが出てくる。外に出ていく「なかなか言葉では言い表せないパワー」を求めとった、と。 それがYHCの必然性やったと私は思うてんねんけどね。YHCも医療費の年齢制限とかに取り組んだりするけど、それはいわば建前であって、YHCの存在意義は「個々の若者の パワーを引き出す」という、ちょっと言葉では言い表しにくいけど、それが存在意義やったと思う。辛気臭うなるわけよ、親の会なんてな。それよりも集まって「野球 しようや」とか「どっか遊びに行こうや」とかな。「今度免許取るねん」とかな。そういう話の方が「パワーが出てくる」わけよ。私はそう思っとったけどな。


 「神聖な義務」は、血友病者の存在を否定していると受け取れる文脈で書かれたこと、ひいては障害者/病者の存在を否定しているという内容であったことが大きな 問題点とされ、多くの人々の波紋を呼びました。実際、「青い芝の会」神奈川県連合会や、上智大学の学生は、強い抗議運動を展開しました。さらに上智大学では、 「渡部昇一教授発言を契機に障害者問題を考える学生連絡会議(なべ実)」が生まれ、息の長い運動となっていきました。

   血友病者から離れたところで「論争」が続いた一方で、渡部が名指しした大西親子を含めた血友病者とその家族の間では「神聖な義務」はすぐに忘れられていきました。 「神聖な義務」は、血友病者にとって名指しされたわりにはそれほど重要ではなかったのです。これが表題から「論争」を消していだいた理由です。1980年ごろは、 多くの血友病者が自ら「外に飛び出していこう」とした時期でした。比喩的に言えば、「神聖な義務」を「しょうもない」と蹴飛ばして超えていこうとした時期だった のです。

   本報告では、芹沢さんのお話を一例として取り上げて、血友病者における「神聖な義務」を考えてみました。もちろん、これだけをもって血友病者にとっての 「神聖な義務」を言い切るには限界があります。今後、多くの血友病者やその家族にお話を聞いていく予定です。御清聴ありがとうございました。

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■ 参考文献
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畦地豊彦 1981「遺伝子操作と優生学について」日本臨床心理学研究Vol.19 1
◆Carrel, Alexis 1935 L’homme, cet inconnu Plon, Paris
= 桜沢如一訳 1979『人間−この未知なるもの―』日本CI協会(註:訳は1938年のもの)
◆Carrel, Alexis 1935 Man, the Unknown Harper and Bros, Halcyon House Edition
= 渡部昇一訳 1980『人間−この未知なるもの―』三笠書房
◆福井弘 1993「先天性凝固障害症の疫学」、福井弘編『血友病』、西村書店
◆花房秀次編著 1998『血友病の子どもたちを担当される先生方へ』バイエル薬品株式会社
◆保木本一郎 1994『遺伝子操作と法』日本評論社
◆本多勝一 1980「不連続線『痴的論証の方法』」朝日新聞
◆上智新聞 1980 11月1日、12月1日、12月5日
◆上智新聞 1981 1月16日、5月1日、7月1日、10月1日、11月1日、12月1日
木田盈四郎 1980「遺伝病に正しい関心を」朝日新聞
木田盈四郎 1982『先天異常の医学』中公新書
◆北村千之進 1981「血友病を知ってほしい」『鶴友会会報』第22号、鶴友会
◆厚生省五十年史編集委員会 1988『厚生省五十年史(記述篇)』中央法規
◆厚生省五十年史編集委員会 1988『厚生省五十年史(資料篇)』中央法規
◆高史明 1980「自助的精神の“使徒” 渡部昇一教授に与う」毎日新聞
草伏村生 1992 増補版1993『冬の銀河』不知火書房
松原洋子 2000「日本−戦後の優生保護法という断種法」米本他2000、pp.169−236
◆松嶋磐根 1974「暗き血の淵より」、『主婦と生活』主婦と生活社
◆三間屋純一 1997『患者さん指導のためのガイドブック 血友病』バイエル薬品株式会社
◆永峯博編著 1983『血友病児の教育』慶應通信
◆日本臨床心理学会 1987『「早期発見・治療」はなぜ問題か』現代書館
◆野坂昭如 1980「野坂昭如のオフサイド80『渡部昇一の知性と想像力なき勇気』」『週刊朝日』11月7日号、朝日新聞社
大西赤人 1973「僕の『闘病記』」、大西赤人、大西巨人『時と無限』創樹社
大西赤人 1983「『遺伝子操作』時代と障害者のいのち ―いま、人として学ぶこと―」日本臨床心理学研究Vol.20 3
大西巨人 1980「井蛙雑筆 十七 破廉恥漢渡部昇一の面皮をはぐ」『社会評論』第29号、活動家集団 思想運動
大谷實 1985『いのちの法律学−脳死・臓器移植・体外受精』筑摩書房
◆佐藤和夫・伊坂青司・竹内章郎 1988『生命の倫理を問う』大月書店
◆週刊新潮 1980「大西巨人家の『神聖悲劇』」『週刊新潮』9月18日号、新潮社
◆渡部昇一 1980「古語俗解『神聖な義務』」『週刊文春』10月2日号、文藝春秋
◆渡部昇一 1983『古語俗解』文藝春秋
横田弘 1981「渡部昇一氏の『神聖な義務』との闘い」『福祉労働』第10号、現代書館
米本昌平 1989『遺伝管理社会−ナチスと近未来』弘文堂
米本昌平松原洋子島次郎市野川容孝 2000  『優生学と人間社会』講談社現代新書
◆Young Hemophiliac Club 1981『アレクセイの仲間たち』第13号、YHC編集部

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