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生命科学と倫理

Life Science and Ethics
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/kyomu/gaku/onlinesyllabus.htm
立命館大学生命科学部薬学部
このファイルは、北村個人が作成したものであり、文責はすべて北村にあります。

利光惠子 「出生前診断について考える」 SYNODOS-シノドス-

利光 惠子 著・松原 洋子 監修 20160331  『戦後日本における女性障害者への強制的な不妊手術』,立命館大学生存学研究センター,130p.

■担当教員(2016年度)

花崎 知則、伊藤 將弘、稲田 康宏、内田 勝啓、北村健太郎、久保 幹、田中 秀和、宮崎 栄二

■開講期間(2016年度)

月曜/5限/コラーニング102 ※補講・講義日の変更に注意!

■授業の概要(オンラインシラバスより)

 21世紀は『生命科学』の世紀といわれる。これは、20世紀に急速に蓄積した“生物に対する知識”を基盤にして、21世紀には人類の福祉に役立つ技術が開発され、 実用化されるであろうことへの期待の表われである。この分野は人間を含む生物(生命体)を研究・実験の対象にするものであり、 研究者ならびに技術者には高い倫理観が求められる。本講義では、生命科学部ならびに薬学部の学生の初期教育の一環として、 生命科学分野で求められる倫理観の涵養に資する論考を行う。なお、幅広い話題を提供するために、オムニバス形式の講義とする。

■到達目標

1.生命科学研究の現場にいる人たちの研究動機に触れること。
2.研究者倫理についての理解を深めること。

■授業回数・予定日

◆前期
第1回 4月11日(月) 「授業の概要と導入」
第2回 4月18日(月) 「生命科学と社会」1         北村健太郎
◆北村健太郎 20070331 「血友病者から見た「神聖な義務」問題」(pdf) 『コア・エシックス』3:105-120
第3回 4月25日(月) 「生命科学と社会」2         北村健太郎
◆北村健太郎 20060331  「血液利用の制度と技術――戦後日本の血友病者と血液凝固因子製剤」(pdf) 『コア・エシックス』2:75-87
第15回 7月18日(月) 「授業の総括」

■授業外学習の指示

予習:事前に指示された参考書を読んでおくこと
復習:講義時間中に指示された参考書を読むこと

■成績評価方法

定期試験 0% 定期試験は行わない。
レポート試験 0% 科目全体としてのレポートは課さない。
平常点評価 100% 科目全体としての検証テストは行わない。レポート課題を適宜提示する。小テストを適宜実施する。 出席、質疑応答等、講義への積極的な参加を評価に加味する。

■教科書

 なし。

■参考書

◆Ackerknecht, Erwin H, 1953, Rudolf Virchow: Doctor Stantesman Anthropologist, University of Wisconsin Press. =1984,舘野之男・村上陽一郎・川本英夫・溝口元共訳『19世紀の巨人=医師・政治家・人類学者 ウィルヒョウの生涯』サイエンス社.
◆Davidow William H.(ウィリアム・H・ダビドウ) 2011 Overconnected: The Promise and Threat of the Internet,Levine Greenberg Literary Agency. =2012, 酒井 泰介 訳 『つながりすぎた世界――インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか』,ダイヤモンド社, 270p. ISBN-10: 447801521X ISBN-13: 978-4478015216 \1800+税  [amazon][kinokuniya]
◆Diamond, Jared 1997 Guns, Germs, and Steel: The Fates of Human Societies, W.W. Norton & Co. = 20001002 倉骨 彰 訳 『銃・病原菌・鉄――1万3000年にわたる人類史の謎』, 草思社, 317+332p.  ISBN-10: 4794210051(上); 479421006X(下)  1995円(上・下)  [amazon] (上);  [amazon](下)
◆Esposito, Roberto, 2008, Termini Della Politica, Comunita, Immunita, Biopolitica, Mimesis Edizioni  (=2009,岡田 温司 訳,『近代政治の脱構築――共同体・免疫・生政治』,講談社.)
◆古井 透,2003,「リハビリテーションの誤算」『現代思想』31-13(2003-11):136-148.
Haraway, Donna J. 1991  Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Free Association Books and New York: Routledge (=20000725 高橋 さきの 訳, 『猿と女とサイボーグ――自然の再発明』,青土社.)558p. ISBN-10: 4791758242 ISBN-13: 978-4791758241  3600 [amazon] ※ b02.
◆細見 和之,1999,『アイデンティティ/他者性』,岩波書店(思考のフロンティア).
石川 准長瀬 修 編 19990331  『障害学への招待――社会、文化、ディスアビリティ』,明石書店,321p.  ISBN:4-7503-1138-3 2940 [amazon][kinokuniya]  cf. 障害学(Disability Studies)
川口 有美子 20091215  『逝かない身体――ALS的日常を生きる』,医学書院,270p.  ISBN-10: 4260010034 ISBN-13: 978-4260010030 \2100  [amazon][kinokuniya]
北村 健太郎 20060331  「全国ヘモフィリア友の会の創立と公費負担獲得運動」(pdf) 『コア・エシックス』2:89-102
北村 健太郎 20140930  『日本の血友病者の歴史――他者歓待・社会参加・抗議運動』,生活書院,304p.  ISBN-10: 4865000305 ISBN-13: 978-4-86500-030-6 3000+税  [amazon][kinokuniya][Space96][Junkudo][Honyaclub][honto][Rakuten][Yahoo!] ※
ましこ・ひでのり 20120331  『社会学のまなざし』,三元社,201p.  ISBN-10: 4883033112 ISBN-13: 978-4883033119 \1700+税  [amazon][kinokuniya]
中山 茂 20031120  『大学生になるきみへ――知的空間入門』,岩波書店(岩波ジュニア新書452), 211p. ISBN-10: 4005004520 ISBN-13: 978-4005004522 \740+税 [amazon][kinokuniya]
岡田 憲治 20101030  『言葉が足りないとサルになる――現代ニッポンと言語力』,亜紀書房,223p.  ISBN-10: 4750510203  ISBN-13: 978-4750510200  \1600+税 [amazon][kinokuniya]
◆大塚 善樹,2002,「知的財産権の政治学――プロパテント政策下のゲノム特許と公共性」小林 傳司 編,『公共のための科学技術』,玉川大学出版部.
◆Starr, Douglas 1998 Blood: An Epic History of Medicine and Commerce, Knopf = 19991216 山下 篤子 訳 『血液の物語』,河出書房新社,486p. 4200+税  ISBN-10: 4309251226 ISBN:4-309-25122-6  [amazon][kinokuniya]
◆篠田 節子 20021100=20120325 『静かな黄昏の国』,角川書店(角川文庫),382p.  ISBN-10: 4041002907 ISBN-13: 978-4041002902 \667+税   [amazon][kinokuniya]
多田 富雄 19951220  『生命へのまなざし――多田富雄対談集』,青土社,350p. ISBN-10: 4791753704 ISBN-13: 978-4791753703  [amazon][kinokuniya] ※
多田 富雄 20071210  『わたしのリハビリ闘争――最弱者の生存権は守られたか』,青土社,172p.  ISBN-10: 4791763629 ISBN-13: 978-4791763627 1260 [amazon] ※ r02
利光 惠子 20121130  『受精卵診断と出生前診断――その導入をめぐる争いの現代史』 生活書院,339p.  ISBN-10:4865000038 ISBN-13:978-4865000030 \2940  [amazon][kinokuniya]
利光 惠子,20140331, 「新型出生前検査について考える」『生存学』7:177-198. ISBN-10: 4865000216 ISBN-13: 9784865000214 2200+税  [amazon][kinokuniya] ※
利光 惠子 著・松原 洋子 監修  20160331 『戦後日本における女性障害者への強制的な不妊手術』,立命館大学生存学研究センター,130p. ※
浮ヶ谷 幸代 20101103  『身体と境界の人類学』,春風社,233p.  ISBN-10: 4861102448 ISBN-13: 978-4861102448 \2200+税  [amazon][kinokuniya] ※ma
◆Wexler, Alice 1995 Mapping Fate: A Memoir of Family, Risk and Genetic Research, University of California Press =20030925  武藤 香織・額賀 淑郎 訳 『ウェクスラー家の選択――遺伝子診断と向きあった家族』,新潮社,361p.  ISBN-10: 4105434012 ISBN:4-10-543401-2 2730  [amazon][kinokuniya]
山本 由美子,20140331, 「いわゆる『新型出生前診断検査』で語られないこと──妊娠中期中絶と『死産』の関係」 『生存学』7::166-176. ISBN-10: 4865000216 ISBN-13: 9784865000214 2200+税  [amazon][kinokuniya] ※



■参考になるウェブサイト

「正しく恐れる」ことのむずかしさ
地震とメディア(別ファイル)
医薬品ネット販売規制 ―― ネットとリアルの狭間

◆サイボーグ・ライフ  ※ギズモード・ジャパン
普通なんて退屈だ! 新しい物の見方とは
自分の体が電池になってガジェットを動かしちゃう日が来る!
私と外骨格パワードスーツ:スーパーパワーの落とし穴
肉のバンドエード、生きた組織を大量生産する人
釘や硬貨を食べまくってサイボーグになろうとした男、胃に穴が開いて緊急入院!【番外編】
人と技術の関係を考える
携帯電話の電磁波の影響はいかに
目で描くグラフィティ(動画)
ラボで臓器を作る人(動画あり)

サイボーグ・ライフに関する記事一覧


  
Newsweek斜め読み
「正しく恐れる」ことのむずかしさ
2011年04月05日(火)16時06分
池上彰(ジャーナリスト)

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、依然状況が深刻であるにもかかわらず、テレビでの報道時間が減少しつつあります。 NHKニュースの視聴率も事故直後より低くなっています。まあ、平常時の数字に戻ったということなのでしょう。視聴者の側にも疲れが見えます。
 こういう事故が起きると、人は、自分の考えを補強する情報ばかり欲しがる傾向になるのだなと思います。放射能や放射線が恐い人は、 今回の事故がいかに危険かという情報ばかりを集めて読みたくなるのでしょう。放射線が人体にどれだけ危険か、その情報を見て得心すると、 テレビで「直ちに健康に影響が出るレベルではない」と伝えられても安心できません。むしろ、「政府やマスコミは危険なデータを隠しているのではないか」 と疑心暗鬼に駆られてしまいます。不安の悪循環です。
 一方、楽観視している人は、私たちが自然界で日常から放射線を被曝していることなど安心情報を求めます。 成田〜ニューヨーク間の航空機に搭乗することでどれだけ被曝するか、今回初めて知った人も多いのではないでしょうか。
 今回の事故の報道内容を見ていくと、「本当に恐れなければならないこと」と、「それほど心配のいらないこと」が、一緒くたにされているきらいがあります。 その2つをしっかり分けて理解すること。この大切さを痛感します。「正しく恐れる」ことが必要なのです。
 その点、本誌日本版4月6日号の「日本を惑わす基準値パニック」は、私たちが何を恐れなくてはならないか、冷静な視点を提供してくれています。
 しかし、テレビに出る専門家は、むずかしい専門用語を乱発。聞き手のキャスターも理解できず、何を質問していいのかわからないまま。その結果、 一般視聴者が、不安に取り残されてしまいます。
 と思っていたら、不安に怯えるのは海外メディアの記者やキャスターも同じだったのですね。同じ号の「そのとき、記者は...逃げた」の記事は秀逸でした。 「世界で最も名を知られた大手経済紙の記者」が「敵前逃亡」したり、私が敬愛していたCNNキャスターのアンダーソン・クーパーが、 仙台からの中継中に取り乱したり。なんだ、海外の大手メディアの連中も、たいしたことないのね、と認識されられます。
 よく「日本のメディアはお粗末だが、その点、海外(アメリカ)のメディアはしっかりしている」という類の言説を聞きますが、それは、 実情を知らなかっただけなのかも知れません。
 日本のメディアの取材を受けてみて、メディアのお粗末さを知ったという経験をした人もいると思いますが、今回私たちは、 海外メディアの報道の対象となったことで、その実態を垣間見てしまったのではないでしょうか。
 遠くから見ると美しく整っているけれど、近くで見ると穴だらけ、というのは月だけではないのですね。

http://www.newsweekjapan.jp/column/ikegami/2011/04/post-307.php


  
日経ビジネスオンライン
医薬品 ネット通販 省令 ケンコーコム 東京地方裁判所 判決 厚生労働省

2010年4月23日(金)
後藤玄利

医薬品ネット販売規制 ―― ネットとリアルの狭間

おかしいことは、「おかしい」と言い続ける
なぜ医薬品をネットで販売してはいけないのか

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 ヒトはネットとどう向き合うべきか。
 インターネットが普及し、今や生活や仕事に欠かせない社会インフラの役割を担いつつある。この新しいツールの登場は、従来の制度や仕組みに一石を投じる。
 例えば、ネットと選挙。国会議員がブログやツイッターなどを通じて発信する影響力は、もはや無視はできない。一方で、現在の公職選挙法は、ネットの存在を想定 していない。こうした現状を問題視する声が上がっており、今国会ではネット選挙に関する議論が行われることになる。
 ネットの存在感が増すにつれて、目立ってきた現実とのギャップ。それは、ネットと選挙だけにとどまらない。こうした動きを先んじたと言えるのが、医薬品のネット 販売だ。
 3月30日、東京地方裁判所は、厚生労働省による医薬品の一部についてネット販売を禁じた省令を「合法」とした。
 なぜ医薬品をネットで販売してはいけないのか。
 日経ビジネスでは、この問題をこれまでも取り上げてきた(「ネットの『常識』司法に通ぜず」2010年4月12日号、「薬事法規制を嗤う“脱法”の真意」2009年11月9日号、 「改正薬事法、犠牲にされた1億3000万人の利便性」2009年6月29日号)。
 国を相手取って訴訟を起こした後藤玄利氏は、医薬品・健康食品などのネット通販大手ケンコーコムの社長である。今回の判決に納得が行かず、4月12日、 正式に東京高等裁判所に控訴することを発表した。
 図らずも“ネットとリアルの狭間”に立たされた後藤氏は、現在進行形の事態に何を思うのか。ここに至った一連の出来事を、本人が振り返る。


 「インターネットは危険あふれる不法地帯である」
 そのように断じたと言っても過言ではない内容の判決が下された。3月30日、東京地方裁判所の法廷で岩井伸晃裁判長が「原告の訴えを却下する」と判決文を読み上げた のを耳にした時は、正直ショックだった。最後の最後まで、司法は法の番人だ、と信じていた――。
 ケンコーコムは、2009年5月25日、国を相手に訴訟を起こした。発端は、医薬品のインターネットを含む通信販売を一律規制した厚生労働省が出した省令だ。「省令」 というのは、その名の通り、省庁の一存で決められるルールである。役人が自分たちの判断で作ることができるルールである、と言ってもいいかもしれない。
 今回の省令ができる前は、医薬品のネット通販は何の問題もなく行われていた。電話やファクス、電子メール、ウェブサイトなどを使って、薬剤師などの専門家が 日本全国の利用者に対して説明責任を果たす形で販売していた。利用者側も、近くに薬局がなかったり、近くで売っていないような医薬品を買いたかったりする場合など、 ネット通販で購入していた。
 体に不自由があったり、人と対面すること自体に苦痛を感じたりなど、薬局やドラッグストアなどの店頭まで出向くこと自体が難しいという人もいる。店頭で買うのが はばかられるような医薬品もある。利用者はそれぞれの事情や都合から、ネット通販で医薬品を購入し、健康を維持していた。この意味では、医薬品のネット通販は、 既に社会に根付いた必要不可欠なサービスとして地位を確立していた。少なくとも、私自身はそう信じている。

突然、出現した「対面の原則」
 ところが、厚労省は突然「対面の原則」なるものを省令の段階で出現させ、医薬品のネット通販を禁止した。ちなみに、国会議員によって審議される改正薬事法には、 「対面の原則」は一言も記載されていない。にもかかわらず、公務員である官僚(と一部の既得権益団体)が、「医薬品は店頭で買うべし、それができなければ置き薬や 配置薬を使えばいい」という、乱暴としか思えない規制を打ち立てた。それが、施行されてしまったのである。
 この省令については、対抗手段として意を同じくする仲間たちと一緒に、「パブリックコメントでちゃんと意見を言いましょう」というキャンペーンを張った。すると、 ネット通販に関して2300件以上の意見が寄せられ、しかも約97%が規制に反対という結果を得た。にもかかわらず、厚労省は強行突破したのだ。
 2002年から今日まで、ケンコーコムではネットを通じて医薬品をできる限り安全に、そして安心して購入してもらうために創意工夫を凝らしてきた。お客様に活用して もらうことで成長してきた。もちろん、私たちだけではない。医薬品をネットで販売する多くの事業者は、それぞれが工夫を凝らし、お客様のニーズに応えてきた。 そのような中で強行されたこの省令は、到底、納得できるものではなかった。
 そこで、「この省令は営業の自由を侵害する違憲・違法なものであり、無効である」として、ケンコーコムと同じように薬剤師が医薬品を適正に販売してきた ウェルネット(横浜市)とともに訴訟に踏み切ったのだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100419/214060/

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 裁判において、被告である国、そして厚労省の言い分は、ポイントをまとめると、おおむね次のような内容であった。

1. 対面販売では、購入者の「属性」(年齢、性別、体格、身体上の特徴など)、購入者の「様子」(表情や行動、態度、しぐさなど)、そして購入者の「症状」 (顔色など)を見聞きできる。また購入者が自分で申し出る情報についても、対面であれば、薬剤師や登録販売者は、それが嘘か真実か、見抜くことができるだろう。 一方、ネット販売では購入者の「属性」「様子」「症状」を見聞きできない。そのうえ、購入者が自分でそれらを伝えたとしても、それは自己申告だから、その内容が 嘘であるかどうか、確認が難しい。
2. 対面販売では、薬剤師などは名札をつけているので見れば確認できる(恐らく名札が嘘であるかどうかも、対面ならば分かる、と考えるのであろう)。一方、 ネット販売では、応対している相手が本当に薬剤師であるかが確認できない。
3. インターネットで、いくら医薬品の使用上の注意について、チェックボックスを設けたところで、それを購入者が正しく理解しているか分からない。対面ならば、 相手の目線やしぐさから、正しく理解しているかを推測できる。
4. 対面販売の場合、たとえ実際の使用者ではなく代理人が購入に来ていたとしても、対面していれば、店に来た代理人の様子を見ることで、薬の使用者の情報をも 把握できる。一方、ネット販売では、たとえ代理人ではなく、使用者が自分で購入する場合であっても、結局それは自己申告である。だからその申告が嘘かどうかを 見抜けない。

 以上のような具合である。
 基本的に、対面であれば、優れた専門家が正直な購入者または代理人に対して販売することを前提としている。また、たとえ嘘をつく購入者が買いに来ていたとしても、 対面ならば専門家がその嘘を見抜けるという。それに対して、インターネット上では、ペテン師が嘘つきに販売していることを想定している、と言って良い。合理的な 比較だとは、全く思えない。
 しかも驚くべきことに、東京地裁が下した判断は、これら厚労省の言い分をすべて認めるというものだった。それどころか、これらの主張をすべて丁寧になぞり、 判決文として明文化するということまで行った(ケンコーコムでは、裁判所がつけた判例要旨を公開している。ぜひご一読いただき、ご自身で判断していただきたい)。
 司法が「対面販売と非対面の販売とを比べると、情報提供の難易、実現可能性に有意な差がある」と断じた、ある意味で歴史的瞬間だった。

ネットは利便に走り安全を蔑ろしている?
 インターネットは危険あふれる不法地帯だというのだろうか?
 そうだとするなら、そんな信頼の置けない危険なツールを使い、我々は日々、ニュースや情報を仕入れ、ネットバンキングで支払いを行っているのだろうか。 突き詰めていけば、国税電子申告・納税システム(e-Tax)を使って税金を納めたりするのは大丈夫なのだろうか?
 ネットが信頼できないツールであるならば、なぜ我々は何か分からないことがあるとネットで調べるのだろう。もし対面するよりもネットの方が、情報の質が悪いと するならば、なにか情報を仕入れたければ、ネットで検索するのではなく、毎回その分野の専門家のところに出向き、教えを乞いに行くべきなのではないだろうか (この論で行けば、図書館も利用できないだろう。なぜなら本はインターネットの情報と同様、いくら著者の名前が記してあるからといって、本当にその本人が書いたか どうかの判定は難しいのだから)。
 そもそも厚労省は医薬品のネット通販に対して、「とにかく規制ありき」という姿勢であったように私の目には映る。「安全性vs利便性」という構図を打ち立て、 「店頭での対面販売は安全」「ネット通販は利便性のみ重視」という“見せかけのロジック”を作り上げた。「ネットは利便に走り安全を蔑ろにしている。対面販売ならば、 ちょっとは不便かもしれないけれど、対面こそが安全なのだから我慢しなくては」と喧伝した。
 しかし果たして、店頭はそれほどまでに安全で、ネットはそんなにも安全を蔑ろにしているのだろうか?
 省令が施行された2009年6月以降、薬局やドラッグストアなどで医薬品を買う機会があった人の多くは、以前と比べて、情報提供などにさほど大きな差がないことを 既に体験しているだろう。ここで、私は店頭での医薬品販売の現状がいかなるものかを、いちいち述べるつもりはない。「対面販売も安全ではない」とか「情報提供は ネットと変わらない」とか、比較してどうこう言うのは本意ではない。リアルにせよ、ネットにせよ、ほとんどの事業者は安全性の確保についてそれぞれ努力している ことだけを理解してほしい。
 ケンコーコムでは、これまでもすべての医薬品について、提供できうる限りの情報を掲載してきたつもりだ。箱の中に折りたたんで入っている医薬品の説明書 (添付文書)もすべてウェブサイトに掲載している。医薬品を購入する際には必ず医薬品の使用について「妊娠していますか」や「アレルギーを起こしたことは ありますか」といった質問の画面が現れ、それに該当すると先に進めないようにしている。つまり、その医薬品を使用するのは危険である、と注意を喚起している。 さらに、その後に出てくる画面では、使用上の注意についてのアラートが現れる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100419/214060/?P=2

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 これらのステップをクリアしないと、消費者は医薬品を「買い物カゴ」に入れることすらできない。加えて、決められた個数以上は注文することもできない。 専門家の意見が聞きたい時には、「購入する」「購入しない」に関係なく、電話やメールなどで薬剤師に相談できる体制も整えている。
 今回、岩井裁判長は判決文の終わりに「副作用に関する消費者の意識や情報通信技術に変化が生じた場合には、規制内容を見直すほうが良い。今回の規制が 未来にわたってずっと続くべきだという判決ではない」というような意味合いのコメントをつけて、「いつの日か規制内容を見直すように」と記した。
 しかし、このように「情報通信技術が進歩したら」などという曖昧な言い訳で問題を先送りし続けてきたのは、私に言わせれば、まさしく厚労省なのである。 そんなところまで厚労省の受け売りなのかと、判決文の最後まで落胆させられた。

日本の衰退と空洞化に拍車
 全く合理的な根拠のないまま、「なんとなく危険そう」というイメージで医薬品のネット販売は規制され、それが司法にてお墨付きを得てしまったのである。
 もちろん、対面で医薬品を購入して薬害の被害に遭う確率がネット通販に比べて著しく低い、などの明らかな事実が存在するならば別だ。しかしそのような根拠は 一切ない。裁判でも提示されることはなかった。
 また、「顔色を見ることができる店頭はネットよりも安全」と言いながら、薬を飲む本人でなくとも医薬品が買えるというのはひどく矛盾しているというのは 万人が思うことだろう。対面販売を義務づける理由が、本当に使用者の安全のためなら、使用者以外の購入や医薬品の譲渡なども禁ずるべきではないか。
 この規制は、全く筋が通らないのである。 こんなばかげた詭弁が司法の場で認められるはずがない、と本気で信じていた。もちろん、国を相手の行政訴訟は、 たいへんな困難であることは十分に承知していたから、楽観視をしていたわけではない。けれども、第1回の法廷では、岩井裁判長の「重大な憲法事件である」 という発言もあった。加えて、被告である国の反論で「なるほど」と私が納得するような主張は、裁判中、何ひとつ出てこなかった。
 そのような状況で、自分たちの主張が却下されるなど、考えられなかった。国の言っていることがおかしいのは自明で、裁判所もそれは分かるだろう、と信じていた。 それが見事に打ち砕かれた。
 こう書くと、大げさに感じる方もいらっしゃるかもしれない。それでも、はっきりと主張しておきたい。
 「日本の衰退と空洞化を止めるすべは、もうないのではないだろうか」
 私は日本で生まれ、日本で起業し、そして多くの社員やお客様とともにケンコーコムという会社を育ててきた。「健康」というキーワードで、自分が日本でできることを 一生懸命にやってきたと自負している。そこに、今回の判決である。
 日本という国に貢献することは、ビジネスの継続性や発展性を考えた時に、もう諦めざるを得ないのか。拠点を日本以外の国に求めるしか方法はないのか。そう思い、 落胆した。
 立法や行政だけでなく、司法までもが“堕落”しているこの国に将来はあるのだろうか? このような国に、新しいビジネスが生まれる土壌はあるだろうか?  そして何よりも、自国民の能力や判断力を信用することなく、様々な規制でがんじがらめに自国民を縛りつけ、新たなサービスが利用できる可能性を封じようとする国に 発展の見込みはあるのだろうか?

諦めることは、考えられない
 しかし、仮にケンコーコムとウェルネットがここで諦め、今回の判決を受け入れてしまえば、今後はこの結果が悪しき判例となってしまう。将来、新たに生まれるで あろう産業に関するおかしな規制を打ち立てる際に、行政や立法にとって都合の良く使うことのできる材料となってしまう可能性があることは否めない。
 だからこそ、ここで諦めてしまうという選択は、到底考えられない。2010年4月13日、ケンコーコムとウェルネットは東京高等裁判所に控訴した。
 今回、東京地裁が下した判断には、繰り返しになるが、本当に落胆されられた。しかし、まだ第一ラウンドが終わったばかりである。まだ自分たちには立ち向う余地が ある。この理解しがたい障壁を打ち崩すチャンスが残されている。そうであれば、おかしなことには「おかしい」と、とことんしつこく言い続けていくことが重要である。 今はその思いを新たにしている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100419/214060/?P=3
(次回は、ここに至るまでの経緯についてです)

後藤玄利(ごとう・げんり)
ケンコーコム社長。1967年大分県生まれ。89年3月、東京大学教養学部を卒業後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)、うすき製薬を経て、94年11月に ヘルシーネット(現ケンコーコム)を設立、社長に就任。2000年5月に健康関連サイト「ケンコーコム」を開設、2004年6月に東証マザーズ上場。NPO法人日本オンライン ドラッグ協会の理事長も務める。(写真:村田 和聡)



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