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「侵入者――いま、〈ウイルス〉はどこに?」

立命館大学生存学研究センター編  『生存学』Vol.1:373-388 生活書院
http://www.seikatsushoin.com/bk/ritsumei.html


1.本稿の目的
 本稿で取り上げるのは「ウイルス」と戦後日本の血友病者の身体が直接に接触する局面で生起する事象である。「ウイルス」そのものは、私たちの肉眼で確認できない ために、多くの場合「ウイルス」と名づけられることによって、様々な比喩とともに表象として立ち現われる。したがって、本稿で扱うのは、主として血友病者の生身の 身体をめぐる「ウイルス」に関わる表象や比喩である。
 これまで人文社会科学の領域では、「ウイルス」は自己/非自己、免疫システム、個人の監視と隔離、社会的排除、軍事的比喩、視覚表象、「薬害」の加害/被害など から論じられてきた。特にAIDS(acquired immune deficiency syndrome)が顕在化してウイルスとの関連性の認識が「定着」(1)して以降、グローバリゼーションを背景 とした新興/再興感染症(2)の影響もあって、ウイルスが改めて注目されるようになった。これまでの議論は一定の意義があるが、「ウイルス」そのものは格別に新しい 論点ではない。(3)
 本稿における重要な視座を明示する。第一に、肉眼では把握できない「ウイルス」の表象を扱うために「名づけ」に着目する。市村弘正は「見えないもの、それゆえに神秘化されるとともに恐怖や不安をよびおこすものを、「見える」ものとすることによって 恐怖心を鎮静し消去すること、それが名前の重要なはたらきの一つであった。「隠されたもの」に対する共同体的な対処は、このようにして行われた。そのとき「名づけ」 は、事態との応答関係を存分に担うものであった。したがって、医療が専門機関のもとに独占され、学術的と称する病名の体系が制圧するとき、それが何を喪失せしめた のか」(市村[1987=1996:145-146])を考えるべきと言う。本稿では、一部の血友病者が原告団として提訴した国家賠償訴訟の認識枠組みを再構成するために 「薬害エイズ」という「名づけ」を再検討する。
 第二に、血友病者の血液製剤による「身体」の経験とウイルスが棲む「身体」の経験、ジャン=リュック・ナンシーに 倣っていうところの「諸力の完全に原―始原的な共同体、諸力としての諸身体、相互に押しあい、支えあい、斥けあい、均衡を保ち、安定性を奪いあい、間に割って入り あい、転移されあい、様態変化を及ぼしあい、結合しあい、密着しあう諸力としての諸身体――様々なプシュケ――の諸力」(Nancy[1992=1996:67])に焦点を当てる。 その際、「身体」の開域性と受苦性を念頭に置いて論を進める。具体的に言えば、開域性は血友病者が「他者」の血液を受け入れてきた現実、受苦性は血液製剤の副作用 やウイルスによってもたされた「数千もの、苦しみ、格下げされ、蝕まれた身体」「そのつど新たな苦しむ一人の「各々」である」(Nancy[1992=1996:66])身体で ある。
 本稿の目的は、血友病者の生身の身体に生起する事象に着目した上で、HBV(hepatitis B virus)/HIV(human immunodeficiency virus)/HCV(hepatitis C virus) と血友病者本人たちが接触した経験/試練(experience)を通して、生身の身体をめぐる現実を捉えることである。そして「名づけ」と「身体」を補助線として、血友病者 の身体をめぐる「ウイルス」に関わる表象の政治(4)の変遷を記述する。
 本稿の構成は、以下の通りである。第2節で、血友病者の1970年代の社会的状況を述べ、第3節で、輸血、血液製剤の副作用に関する「知」の配置を確認する。第4節で、 血友病者とAIDSの1983年の邂逅に焦点を当て、第5節で、「薬害エイズ」という「名づけ」の表象とその欠落を述べる。第6節で、HIVが血友病患者会/コミュニティに引いた 分断破線とHIV非感染の血友病者に着目する重要性を指摘する。最後の第7節で、重複感染した血友病者の身体と血友病患者会/コミュニティの未来を展望する。
 なお、本稿ではウイルスと身体の邂逅を陽性/陰性ではなく、あえて感染/非感染と表記する。その理由は、第一に、血友病者の身体と医療は密接に結びついていること から、血友病者の生活世界では「感染」は決して否定的な意味合いばかりを持つのではないからである。第二に、本稿が1960年代後半から現在までの歴史的経緯を扱うから である。

(以下は、『生存学』Vol.1をご覧ください。)


2.「血の牢獄」からの大脱走――静脈を世界に開く

3.他者の血液の歓待――血液製剤の副作用の認識

4.「明るい未来」の崩壊――1983年の混乱

5.「薬害エイズ」という名づけ――表象の輪郭

6.ウイルスの分断破線――非感染という「薬害」

7.重複感染を引き受ける身体



■注
(1) AIDSの原因はHIV単体の病原体であるかのように言われるが、厳密には諸説ある。本稿では、村岡[2005]を挙げるに留める。
(2) 横田[2005]、美馬[2007]など。
(3) 今でこそ、スモン(SMON=subacute myelo-optico-neuropathy)の原因がキノホルムと判明しているが、一時期はスモンウイルス説もあった。 新聞にスモンウイルス説が大々的に取り上げられ、「スモン患者の社会的疎外をもたらし、患者および家族を不当に苦しめ(中略)何人かの自殺者が出た」 (高野[1979:12])事態は、基本的には現在でも変わらない論点である。
(4) 本稿では、政治を politics だけではなく、government/governance も含意した広義の概念として想定している。
(以下略)

■参考文献
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全国薬害被害者団体連絡協議会編 2001『薬害が消される!』さいろ社



立命館大学生存学研究センター編『生存学』Vol.1 生活書院 表紙



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