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『失脚』


血友病 *「神聖な義務」 *「錆びた炎」  *「ブラックジャック」 *浦高事件 *小児慢性特定疾患治療研究事業

■ 1958(昭和33) 有馬頼義 『失脚』 中央公論社 258p ¥300(当時)
 血友病者・茂呂吉春が主人公の小説。

 〈目次〉
少年の記憶
恐怖の原型
血液凝固の機序
暗い時代の青春
戦火と愛慾
歯車
また誰かが来た


■ 作者
有馬頼義(ありま・よりちか)

■ 言及
 ◇大西巨人 1958 「理念回復への志向 ― 有馬頼義と長谷川四郎 資質、文風殆ど対照的だが」『図書新聞』6月14日
 ◇花田春兆 編著 20020311 『日本文学のなかの障害者像 近・現代篇』明石書店 365p 3990 ISBN:4-7503-1534-6 [bk1]



■ 有馬頼義 『失脚』 二日市安(ふつかいちやすし 翻訳家)
(花田春兆 編著『日本文学のなかの障害者像 近・現代篇』202−206pp.明石書店)

自分と共通点を持った登場人物
 文学作品のなかに自分と共通点を持った登場人物を見出すのは、うれしいことであると同時に、恐ろしいことでもある。これからとりあげようとする有馬頼義『失脚』 は、わたしにとってそのような種類の作品である。
 脳性マヒ者であるわたしは、ある時期、家族の意向でほとんど外部との接触を断ち、いわば幽閉状態で過ごしたことがあった。『失脚』の主人公茂呂吉春は、血友病 だったために、外傷による出血を恐れる両親に外出を禁じられ、隔離同然の少年期を過ごした。
 この『失脚』が雑誌「中央公論」に連載されたのは、1958年で、わたしはまだつくられた幽閉状態から脱却できずにいた。それだけにこの小説の設定は強烈だった。
 たとえば、小説の中の吉春が閉ざされた門の内側に立っていると、同じ年ごろの少年が自転車に乗って現われ、いろいろと問いかけるシーンは、同種の体験を持つ わたしを異常なまでに興奮させた。二人の出会いは叙情的ともいえるやわらかなタッチで描かれている。門脇耕司という名のその少年はやがて引っ越して吉春の前から 姿を消してしまう。そんな環境のなかで思春期を迎えた吉春は、付添い看護婦の永石はつと結ばれる。だがはつは吉春の主治医と過ちを犯したのがもとで、解雇されて しまう。

絶望的な孤立感
 戦争が始まり、吉春の両親はあいついで病死した。そんな吉春のもとに、幼い日の家庭教師だった徳田節子が出現した。二人のあいだに淡い気持ちの揺らぎが生じた。
 吉春に召集令状が届けられた。理解のない帝国陸軍の過酷な訓練は、血友病者には死を意味する。吉春は悩んだ末、節子のもとを出て、夜行列車に乗って東京を 逃れ出た。
 吉春より何歳か年下のわたしには、召集令状の体験はない。血友病の吉春が外見は健康なために、軍隊入りをさせられるのを恐れたのに対して、外見からして障害者 そのものだったわたしは、誤解よりむしろ蔑視を恐れた。しかし戦争状態の社会のなかでの絶望的な孤立感は、わたしにも共通している。
 小説のなかの吉春は、山口県の徳山にたどりつき、そこで永石はつと再会する。二人は小さな部屋でむかしの愛を取り戻した。
 戦争が終わった。混乱の焼け跡の町を背景に、ある人物に勧められるまま、吉春は国会議員の選挙に打って出た。自分は広島に落とされた原子爆弾の被爆者であり、 いまも危険な症状を持っているが、日本の平和と復興のために止むに止まれず立候補したのだと街頭で訴えた。徴兵忌避をした卑怯者だと罵られて投石されたことも あったが、大出血にはいたらなかった。
 選挙は勝利に終わり、吉春は国会議員となった。だが思わぬつまずきが現われた。吉春が被爆者でなく血友病者であるという密告がなされ、裁判が開かれた。遠い むかし門を隔てて話し合ったただ一人の友人門脇耕司が、法廷に立たされた吉春の前に証人として現われ、彼が原爆被害者ではなく血友病者であることを証言した。 経歴詐称で吉春の当選は無効となった。
 密告したのは、吉春が有名人となって徳田節子と再会するのを恐れたはつだった。泣いて詫びるはつの手を振り切って、吉春はただ一人旅に出た。九州のずっと片隅に 自分と同じ病気を背負った者たちが小さな集団をつくってひっそりと暮らしていると聞いた吉春は、そこを自分の終焉の地とすることを決心するところで小説は終わる。

問題提起者としての有馬氏の姿勢
 『失脚』は、作家としての有馬氏のもっとも油ののりきった時期に書かれたものである。有馬氏はこれとほぼ同じ時期に推理小説『四万人の目撃者』を発表してその 独創性を注目された。
 そのあとも有馬氏は人工授精の問題などをいち早く取り上げ、人工授精にまつわるモラルの問題を厳しく問い詰める姿勢をとった。小説である以上、今日的なテーマを ある程度センセーショナルに扱うのが通例であり、有馬氏の作品にそういう傾向がなかったとはいいきれないが、問題提起者としての有馬氏の姿勢に真剣味が感じられた のは事実である。
 この『失脚』の場合、血友病者と原爆被爆者とのあいだにどれだけ症状のうえでの共通点があるのか、疑問に感じる向きも多いに違いない。しかし当時まだあまり 広く知られていなかった血友病をテーマとして取り上げたのは画期的なことだったし、そのなかに障害者一般の背負わされている状況の過酷さをなまなましさと叙情性を 適度に交えながら描ききっているのは、やはり見事といえよう。

ひとつの記念碑
 この作品の発表された一九五八年は、わたしにとってひとつの転期だった。茂呂吉春は血友病であるがゆえに過保護の状態に置かれ、一般社会から遮断されていたが、 わたしの場合、脳性マヒ者であるがゆえに、世間体を恐れる家族から自宅に閉じ込められ、社会から隔離されていた。そしてこの一九五八年秋に初めて障害者職業指導所 入所という形で一般社会に復帰したのであるが、その間にこの『失脚』のはつと共通の要素を持った女性の存在があった。
 この作品の大きな難点は、締めくくり近くで言及されている“血友病者たちだけの村落”の問題である。そういう村落が存在するというのは、おそらく有馬氏の フィクションであろうが、では血友病者を含めた障害者一般が、同じ悩みを持った者たちとのみ生活を共有することが唯一の解決策だとすれば、あまりにも救いの なさ過ぎる結末だった。
 薬害HIV訴訟における血友病者たちの積極的な姿勢は、四〇年を経た後の『失脚』の世界の超克である。その意味でも『失脚』は、障害者が通りぬけてこなければ ならなかった時期のひとつの記念碑といえよう。
 二〇〇一年におけるハンセン病者たちの裁判の勝利とその確定は、同じように不当な差別と蔑視を受けていた者たちの歴史にさらに新しい一歩をつけ加えた。いま有馬氏 の『失脚』を読み返すにあたって、この一歩との関連でさらなる感銘を呼び覚まされるのは、おそらくわたしだけに限ったことではあるまい。



■ 花田春兆 「戦後文学に現れた障害者像――補充されるべきノート 2」
(花田春兆 編著『日本文学のなかの障害者像 近・現代篇』315−316pp.明石書店)

『失脚』
 原爆被爆を名乗ったことが経歴詐称となって、せっかく得た国会議員の議席を“失脚”させられてしまった血友病の男。厳密な差はあるにしても、生きていく上での 重い制約を負うという共通点に立てば、果たしてどれほどの違いがあるのだろうか。原爆症ということで同情票を集めたにしても、いざ現実に身を置くとなれば、 原爆症のレッテルを貼られることは、それなりの深刻なデメリットだって厳存しているのを、覚悟しなければならないのだから。
 家から外に出られない生い立ちというのは、この場合のように純粋に怪我を怖れる親の制止であることもあれば、外聞を気にしての“家”の呪縛によるものもあろう。 私のように歩けなければまだしも、出ようと思えば出られる足を持ちながら封じ込められるのでは、 心理面への影響は倍加しよう。
 人間関係も結局はその枠の中でしか求められない。短絡的にいえば悲劇の根はそこにあったのだ。
 同じ血友病の仲間だけの生活を求めていく結末。確かに血友病者だけの“村”は聞いたことがないから、著者の創造によるものだろう。外部と隔絶した枠の中への 回帰では“家”に閉じ込められていたのと同じになってしまうではないか……となるのだが、異質の人間関係に傷ついたり、積極的に関係を結びかねて身が引けてしまう 場合、同質のものを共有していると思える仲間たちの中に安らぎを求めたとしても、不思議はないという気はする。理想の安住の地になりえたかどうかは別問題だし、 自分の意志で行くのと、外圧によって行かされることの根本的な違いを見落としてはならないが。
 障害者は障害者同士で生きていこう……というのか、厄介だから纏めて面倒見てしまえ……ということになったのか、立場と視点しだいで評価も天と地に開いてしまう のだが、いわゆるコロニー運動が活発に展開していったのはこのころだろうか、もう少し後だっただろうか。

作成:北村健太郎
UP:20040628 REV:0803
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