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「神聖な義務」


「神聖な義務」関連年表 *血友病 *血友病関連年表

◆2003/10/13 北村健太郎「「神聖な義務」論争をめぐって」(報告)
 第76回日本社会学会大会 於:中央大学 報告要旨  配布資料/報告原稿

 cf.日本社会学会
 http://www.arsvi.com/0a/jss.htm


 「神聖な義務」は、1980年秋に大西巨人と渡部昇一を中心に起こった事件である。当時、上智大学教授の渡部昇一は『週刊文春』に「古語俗解」というエッセイを 連載していたが、『週刊文春』10月2日号に掲載された「神聖な義務」というエッセイが問題とされた。この「神聖な義務」は全文を読まないと細かいニュアンスが 分からないので全文を引用する。なお、「神聖な義務」の「自発的に」「既に」「未然に」および、『古語俗解』あとがきの「既に」「受胎以前」には、 原文では傍点がふってある。


■ 渡部昇一 1980 古語俗解19 「神聖な義務」全文

サミュエル・スマイルズ『西国立志編』の一節を冒頭に引いて、以下本文

 「大声では言えないことだが」とドイツ人の医学生が私に言った。もう三十年も前のことになる。だいたいの話の趣旨は次のようなものであった。

   「この前の大戦でドイツの強健な青年の多くが戦場で失われた。この大量の血液の損失は民族の運命にかかわるものであった。しかし西ドイツは敏速に復興し、 ヨーロッパでも最も活力がある国である。その理由は東ドイツから大量の青少年が流れ込んでいることと、ヒトラーが遺伝的に欠陥ある者たちやジプシーを全部処理 しておいてくれたためである」と。

 その頃、私は西ドイツの学生寮にいたので、いろいろな学科の学生たちの友人がいた。この話をしてくれた医学生は、東ドイツから逃げて来た男であり、スポーツマン で、しかも一時期には楽団の指揮者になることを志したという音楽好きでもあった。
   ヒトラーが非人道的な科学主義者であり、一卵性双生児その他の人体実験におそろしく熱心であったこともどこかで読んで知っていた。そして精神病患者、ジプシー、 ユダヤ人、その他、ヒトラーの考えでドイツ民族の血のためにならないと思われた人たちを容赦なく消したことも知っている。それは非人道的なことでありナチスの犯罪 の典型的なものだと思っていた。しかしこの非人道的犯罪の功績の面を考えているドイツ人がいること、そしてその数は必ずしも少なくないだろうと想定されること、 またそれは公には言えないことになっていることなどをその時知ったのである。
 今年、ヨーロッパの旅行をした時、例によってガイドの注意を受けた。ドイツやオーストリアでは言われないことだが、パリやイタリアに入れば必ず注意されること である。つまりスリやかっぱらいに注意せよ、ということである。特にジプシーの子供には注意せよ、といわれる。実際、ルーブル美術館では追えども払えどもまとわり ついて離れないので実に不愉快だった。特に日本人が狙われるという。
 そういうことはドイツやオーストリアに入るとまるでない。それで三十年前聞いた話を思い出したのである。戦前のドイツの少年小説を読んだ時に、ジプシーがそこ でもプロのこそ泥として扱われていることを知った。すべてのジプシーがそういうわけでもあるまいし、そこには人種的偏見も多くあるように思われたが、ヒトラーは その人種的偏見に従ってドイツ中のジプシーを一掃したわけである。
   今年も一行の人がカメラをミュンヘンのホテルのロビーに忘れた。あとで気付いて連絡したら、次の予定地のバイロイトにちゃんとついていた。去年、私も似たような 経験をした。しかもそれは現金だった。といってドイツで安心しすぎてもよくないと思うが、フランスやイタリアとは別世界という印象を受ける。

 劣悪遺伝子は自発的な断種で
 ヒトラーとは逆の立場の人であるが、アレキシス・カレル(1912年ノーベル生理学・医学賞 受賞)も、異常者や劣弱者が、ある比率以上に社会に存在すると、社会全体がおかしくなるのではないか、ということを指摘して いる。カレルは敬虔なキリスト教徒であったから、ヒトラーのように異常者や劣弱者を国家の 手で一掃することには大反対である。しかし悪質な犯罪者や、犯罪を繰り返す異常者からは社会は断乎として守らなければならないとする。また劣悪な遺伝子があると 自覚した人は、犠牲と克己の精神によって「自発的に」その遺伝子を残さないようにすべきであると強くすすめる。そういう人が進んで修道院のようなところで、 独身のまま修行や瞑想や学問に打ちこむような社会の雰囲気がなくなれば、その文明は亡びるであろうという。
 日本の田舎の豪家が精神病患者の息子の病気をかくして、嫁を東京からもらうという小説を少し前に読んだ。親心はわかるが、社会や民族について、また生まれてくる 子に対して責任を感ずるところがあってもよいのではないか、という気がした。
 国家が法律で異常者や劣悪者の断種を強制したり処置するのと、関係者、あるいは当人の意志でそれをやるのでは倫理的に天地の差がある。劣悪遺伝子を受けたと 気付いた人が、それを天命として受けとり、克己と犠牲の行為を自ら進んでやることは聖者に近づく行為で、高い道徳的・人間的価値があるのである。
 知人の家に早産があった。ガラス箱で育てれば育つ可能性はなくはないが、障害児になる可能性が高く、特に目が危ない、ということを知った時、その知人はそのガラス 箱をことわった。また奥さんの悪阻(つわり)が甚だしい時、よい薬が出来たことを知らされた。その知人は直観的に危険を悟り、その薬を使うことを拒絶した。後から わかったことだが、それはサリドマイドだった。決断と良識によってその知人は障害児とサリドマイド児を持つ可能性を回避したことになる。かくしてこの人の行為は社会 に対して莫大な負担をかけることになることを未然に防いだ。

 自助的精神の国に危険な徴候
 もちろん精神異常者、精神薄弱者、先天的身体障害者として「既に」生まれている人たちに対して、国家あるいは社会が援助の手をさしのべるのは当然である。 しかし、未然にふせぎ得る立場にある人は、もっと社会に責任を感じて、良識と克己心を働かせるべきである、ということは強調されてしかるべきであろう。スマイルズ ではないが、国家、あるいは社会の価値というのは、その成員に、どれだけ自助能力があるかによってきまるのである。助けてもらわなければならない人が多ければ、ある いは自助努力を重んじない風潮のところでは、社会の程度は甚だしく低くなるのである。
 日本は自助的精神の強い方の国である。だから資源もろくにないのに繁栄している。しかし危険な徴候がないでもない。『週刊新潮』(9月18日号)によると、生活保護 家庭である作家の大西巨人氏の家庭で、1ヶ月の医療扶助費が1千500万円だというのである。しかも同氏は家賃7万円の借家に住み、公営住宅への移転も拒絶しているとの こと。個人にはそれぞれの理由があり、与野市の福祉事務所がOKしたことに対してよそから口を挿むこともないであろう。
 血友病の子供を持つということは大変に不幸なことである。今のところ不治の病気だという。しかし遺伝性であることが分かったら、第2子はあきらめるというのが多く の人のとっている道である。大西氏は敢えて次の子供を持ったのである。そのお子さんも血友病でテンカン症状があると報じられている。「既に」生まれた子供の ために、一月1千500万円もの治療費を税金から使うというのは、日本の富裕度と文明度を示すものとして、むしろ慶祝すべきことがらである。「既に」生まれた 生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と変わらない、というのが私の生命観である。しかし「未然に」避けうるものは避けるようにするのは、理性のある 人間としての社会に対する神聖な義務である。現在では治癒不可能な悪性の遺伝病をもつ子どもを作るような試みは慎んだ方が人間の尊厳にふさわしいものだと思う。
 今は日本には「自助クル(ミズカラタスクル)人民」が多いために、生活保護費総額1兆2千億という巨額を支えていることができる。「自助クル(ミズカラタスクル) 人民」の数が相対的に減少すれば絶対必要な福祉水準さえも下らざるをえないことは明白なのである。

以上「神聖な義務」全文


■ 渡部昇一 1983 『古語俗解』文藝春秋

あとがき
 ここに収めた小文は昭和55年の2月から、57年3月末まで、丸2年間、『週刊文春』に隔週に連載したものである。(中略)
 2年間にわたる連載中、ちょっとした筆禍事件のようなことが起こった。それは「神聖な義務」(本書117−122ページ)の一文について、この掲載後約3週間経ってから、 朝日新聞が社会面にトップ記事を作り上げたからである。そして大見出しを使って、私がヒトラー礼讃者であるような印象作りをやった。ヒトラーについては私は他の ところでも何度か言及しているし、本書でも41ページで取扱っているから私の態度は明らかであると思うが、この朝日新聞の記事に対する反論は、月刊『文藝春秋』(昭和 56年7月号)の「"検閲機関"としての朝日新聞」(222−236)に詳しくのべているので、その背景に興味ある方に読んでいただければ幸いである。
 この一文の中で私はカレルに同意したのであってヒトラーにではない。ただ私は隔週8枚の小文 を書く時、一つの文体上の工夫を用いた。それは書き出しの3分の1くらいから、一転、あるいは二転させて結びに持ってゆくということである。わずか8枚の原稿の中で そんなことをやるのは、狭い部屋で空中転回をやるようなもので、うまくゆかないこともある。しかし短文の中で、何度か回転をこころみて、読者に「おや」と思わせて みたいと思った。問題になった一文も、ヒトラーを出して、「おや」と思わせたところでカレルを出して、丁度ヒトラーの反対のことを言おうとしたので ある。カレルはカトリック的立場から、この問題に対する国家権力の介入を断乎否定し、個人の 倫理的判断にゆだねるべきこと、そのための個人の道徳的奮起をうながしている。ヒトラーのあとにカレルを出して、その意見を支持する文章を書けば、当然ヒトラーと 反対の立場になっているはずなのであるが、朝日新聞の原賀肇記者はそこのところを読み落としたのか、わざと気付かなかったふりをしたのか、この一文をヒトラー礼讃 記事の如く取り上げたのであった。
   その記事を読んだ「青い芝の会」その他の団体から抗議運動が起こされた。第一回目の話し合いには相当の人が集った。その多くの人たちはそれで誤解を解いてくれた という印象を受けた。それで満足しなかった数人の人とは、日を改めて徹底的に話し合った。そして考え方の違いはあるものの、それなりの立場を認め合うということに なった。
   この新聞報道で驚いたことは、私の意見に賛成の人も反対の人も、どうも見当違いが多かったことである。また私を批判した手紙よりも同感の方がずっと多かった。同時 に、遺伝や医学の分野にはタブーが多く、発言しにくいという嘆きが多くよせられ、私もはじめて学問研究や、意見の発表が甚だしく不自由な分野がここにもあることを 知った。
   しばらく経ちこの問題についての話し合いもなくなってから、木田盈四郎氏が、『先天異常の医学』(中公新書)の中で、私の「神聖なる義務」のほとんど全部を引用 して、私の意見を批判している。しかし木田氏も他の批判者も、私のこの一文を批判する人は、必ず引用しないでおく個所がある。それは、

     「「既に」生まれた生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と変わらない、というのが私の生命観である」

   というところである。8枚の原稿用紙の空中転回は無理があるので、誤解されることのないように、私の生命観を明記しておいたのだが、私の批判者は必ずここをとばす。 そして文章の他の部分を検閲官的に取り扱うのである。
 この私の生命観をもっと詳しくのべて欲しいという要請が「青い芝の会」からもあったので、「神聖な生命」(本書218−224)を書いた。これについては反論をまだ 聞いていない。木田氏もこれには言及していない。私が問題にしているのは終始「受胎以前」の親の倫理観であることを見落としなきようお願いしたい。最近、 堕胎の問題が政治問題になりかけた。「子宮は女の自由である」という見地から、堕胎の自由を主張する女性やそれを支持する人が少なくないようである。然り、子宮は それぞれの女性の自由である。だから堕胎(胎児殺人)しなければならないような受胎をしないように、その「自由」を使え、というのが、われわれの主張なのである。 (中略)
   本書の中で私が書いたことは、いろいろな方の神経に触れたと思う。そこは言論の自由の本質なので、ここでお許しを願っておく。しかし今読み返してみて、言い直さ なければならないことや、野坂昭如氏や本多勝一氏のような罵言は一つもなかったことにいささか満足している。紙面があればもっと上手に、意を尽くして書けたのにと 思う個所も多いが、元来がスペースのはっきり決まったコラムであったのだから、それはやむをえなかった。(後略)

以上『古語俗解』あとがきより抜粋


■ 言及
cf.立岩真也 『私的所有論』より

「……一九八〇年、渡部昇一が、血友病患者の大西赤人の医療費が高額なことを指摘し、血友病の子が生まれる可能性のある場合には子をもつことを控えるのが 「神聖なる義務」だと『週刊文春』で述べ(渡部[1980])、批判がなされた(大西巨人[1980]、横田弘[1981]等、cf.大西赤人[1983])。畦地豊彦[1981]、 篠原睦治[1987b:230-234](cf.[1987a:30ff])で、大西巨人、大西赤人、野坂昭如らの発言が取り上げられ検討されている。他に木田盈四郎[1982:195]、大谷 實[1985:24-25]、やぎみね[1986:144-145]、佐藤和夫[1988:51-52]等で言及。「八〇年に渡部昇一氏は、…劣悪な遺伝子を持つとわかったものは社会的使命と して、みずから第二子を持つことを控えるべきだという、どこから読んでも誤解しようのない優生学的な発言をして戦後最大の禁忌を破った。もちろん、ただちに論争 が始まったが、渡部氏は教授職を追われなかったばかりか、社会的制裁をほとんど受けなかった。」(米本[1987c:111])これを米本は戦後精神(第6章注43)の解体 を示すものとみる。だがそうだろうか。戦後にも天真爛漫な優生学の肯定はあり、それがこの頃問題とされ始めたのかもしれない。『ナチスドイツと障害者「安楽死」 計画』(Gallagher[1995=1996])の訳者が「本書が取り上げている問題に私が関心を抱いたきっかけは、上智大学の渡部昇一が…書いた「神聖な義務」という記事 だった」(長瀬修[1996:413])と記している。」(立岩真也『私的所有論』第9章注2より)

 *文中「血友病患者の大西赤人の医療費が」は「血友病患者の大西野人の医療費が」の誤り

■ 関連文献(発行年順)

◆Carrel,Alexis 1935 L’homme, cet inconnu Plon, Paris
 = 桜沢 如一訳 1979 『人間――この未知なるもの』 日本CI協会(註:訳は1938年のもの)
◆Carrel,Alexis 1935 Man, the Unknown Harper and Bros, Halcyon House Edition
 = 渡部 昇一訳 1980 『人間――この未知なるもの』 三笠書房
◆週刊新潮    19800918 「大西巨人家の『神聖悲劇』」『週刊新潮』 新潮社
◆渡部 昇一   19801002 「古語俗解『神聖な義務』」『週刊文春』22 文藝春秋
◆朝日新聞    19801015 「大西巨人氏vs.渡部昇一氏」
大西 巨人   19801101 「井蛙雑筆 十七 破廉恥漢渡部昇一の面皮をはぐ」『社会評論』29 活動家集団 思想運動
◆上智新聞    19801101 「『神聖な義務』とは何か?」
◆野坂 昭如   19801107 「野坂昭如のオフサイド80『渡部昇一の知性と想像力なき勇気』」『週刊朝日』朝日新聞社
◆高 史明     19801107 「自助的精神の“使徒” 渡部昇一教授に与う」毎日新聞
木田 盈四郎  19801118 「遺伝病に正しい関心を」 朝日新聞
◆本多 勝一   19801125 「不連続線『痴的論証の方法』」 朝日新聞
◆上智新聞    1980    12月1日、12月5日号
◆上智新聞    1981    1月16日、5月1日、7月1日、10月1日、11月1日、12月1日号
◆中村 禎里   1981  「渡部昇一批判」,『思想運動』209
◆畦地 豊彦   1981  「遺伝子操作と優生学について」『臨床心理学研究』19-1:2-16 <430>
横田 弘     19810325 「渡部昇一氏の「神聖な義務」との闘い」  『季刊福祉労働』10:126-140 現代書館 ※
大西 赤人   198104 「僕の「闘病記」」 河出書房新社[1983:22-35]
木田 盈四郎  1982  『先天異常の医学』 中公新書 <431> ※
大西 赤人   1983  「「遺伝子操作」時代と障害者のいのち──いま,人として学ぶこと」(講演)『臨床心理学研究』 20-3:87-101
◆渡部 昇一   19830625 『古語俗解』 文藝春秋
大谷 實     1985 『いのちの法律学──脳死・臓器移植・体外受精』,筑摩書房,214p. <430,431, 436> ※
◆やぎ みね   1986   『女からの旅立ち──新しい他者との共生へ』批評社,247p. <430,431>
米本 昌平   19870630 「逆ユートピア小説と生命科学の現在」 長尾・米本編[1987:89-112]*
*長尾 龍一・米本 昌平 編  19870630 『メタ・バイオエシックス──生命科学と法哲学の対話』 日本 評論社,279p. 3300[絶版]※
篠原 睦治    19871015 「科学的産み分け法の諸問題──特に「伴性遺伝病予防」にかかわって」, 日本臨床心理学会編[1987:213-246]*
*日本臨床心理学会 編 19871015 『「早期発見・治療」はなぜ問題か』,現代書館,445p. 3500 ※
◆佐藤 和夫   1988 「いのちを決める」,佐藤・伊坂・竹内[1988:17-64] <432>*
*佐藤 和夫・伊坂 青司・竹内 章郎 1988 『生命の倫理を問う』,大月書店,238p. ※
米本 昌平   1989 『遺伝管理社会−ナチスと近未来』 弘文堂
◆保木本 一郎  1994 『遺伝子操作と法』 日本評論社
長瀬 修   1996   「訳者あとがき」
「思い起こせば、本書が取り上げている問題に私が関心を抱いたきっかけは、上智大学の渡部昇一が週刊文春誌80年10月2日号に書いた「神聖な義務」という記事 だった。それ以来、ナチスドイツと障害者というテーマは心の片隅にあった。本書と出会った時には、縁を感じた。
 なお、同記事で渡部昇一はアレクシス・カレルを「ヒトラーとは逆の立場の人」としている が、カール・ブラントは自分の弁護の中でカレルを引用している点を指摘したい。(Kuehl, S. The Nazi Connection 1994, Oxford University Press)」
 Hugh G. Gallagher 1995 By Trust Betrayed: Patients, Physicians, and the License to Kill in the Third Reich, Vandamere Press。長瀬修訳, 『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』,現代書館,422p.,3500円,1996年発行
◆立岩 真也  1997 『私的所有論』,勁草書房 http://www.arsvi.com/1i.htm
松原 洋子  20000720 「日本──戦後の優生保護法という名の断種法」,米本・松原・ぬで島・市野川 [2000:169-236]*
 *米本 昌平松原 洋子ぬで島 次郎市野川 容孝  2000 『優生学と人間社会』 講談社現代新書

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作成:北村健太郎
UP:20030624,REV:20051110 
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